性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

皿は存在しない。

平日の仕事を何とか片付けてたどり着いた休日、オンラインショップで「これでいつでも家で飲めるぜ」と意気込んで購入したスタバのジョイフルメドレーのティーバッグで紅茶を淹れ、誰かの結婚式で貰ったティファニーのマグカップで啜りながら、いつまでも慣れない高級感(いつもは変な阪神タイガースのマグカップを使っている為)に合う表情が思いつかず、困った時はこれに限ると物憂げな表情を浮かべながら読書が好きなんですと本など読んでいるが、お茶受けとして選んだクッキーがお皿代わりにされた一枚のティッシュの上に鎮座しているので台無しである。色々頑張ったのに詰めが甘い。
オフの時間にどこまで拘ることが出来るかというポイントと、どこまで肩の力を抜く事が出来るかというポイントは本来バッティングしない価値観に思われるが、自分の場合はバディものの漫画やドラマの序盤くらいの衝突を見せるので両方を成す事がなかなか難しい。
バディものなんだったら危機を乗り越えることで打ち解けて素晴らしい連携を見せる様になるかと思いきや、ずっと序盤。次どこへ行くか解らなくなってしまったRPGの様にいつまでも同じステージで同じ事を繰り返している気がする。
現状を受け入れるか成長を見せるか解らないが、そんな些細な事で自分の中で喧嘩しないで欲しい。


一緒にしたら叱られてしまいそうだけど自身の折り合いのつかなさで苦しんでしまう感覚を「悪は存在しない」を観て受け取ってしまったのでネタバレ無しで雑感を書いておきたい。
悪は存在しない、本当に悪は存在しないって感じだった。
あらすじとしては水の綺麗な田舎にグランピング場建設が計画され、住人と開発側のそれぞれの視点で互いがどう映っているのか、また本当はそれぞれどんな人間なのかのギャップを丁寧に描いた作品だった。
個人的にはここに自然という超然的な視点が加わって人間同士の時間と対話が解決出来る関係にもっと上からの圧力を生じさせる、割とファンタジーっぽさ、どちらかと言うとオカルトみたいなものも感じられて面白かった。
土地が人間性に干渉してくるみたいなのは割とある話だと思っていて、自分の生活における喪失感、こんな筈じゃなかったと苦悩する人が自然の守護者として役割兼居場所を見出すという構図が観ていて結構メンタル的に来るものがあった。
自分を含めて仕事が認められないと苛立つ人間を沢山見てきたけれど、一方でそう言う時は人の仕事を無自覚に簡単に見積もってしまっている場合が多く、一度狭まった視野を元の広さに戻していく事の困難さを身を持って知っている社会人、家族を養う人たちには気が重くなる面もあるなぁ、としみじみ感じた。
淡々として難しい様で、ユーモア通り越してコミカルでいっそシュールにすら見せてしまうテンポの良さも面白かった。
自分の先の見通せなさと、毎日は続いていくのだろうという漠然とした当たり前の中で暮らし続けるのって結構来るものがあると再認識させられる映画だと思いました。


またー。