性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

大森靖子さんと違国日記に共通する「見守る」に連日見守られただけの日記。

「違国日記」を映画館で観た。
感嘆詞の使い方、主人公2人の目線の真っ直ぐさ及びウロウロする感じが滅茶苦茶生身が演じたらこうなるんだろうなのド真ん中で個人的には結構良いなぁ、と思っていたんだけど周囲の感想はそんなに良くない感じで難しいものだなぁ、と思った。
長い時間で同じテーマに何度もぶつかりながら進む原作を2時間そこらで表現する為に原作に無いシーンを使って補完していった割に、強く決める事に逃げずに「尊重する」という見守りの姿勢を貫いたんではなかろうかと思っている。
エミリ役の小宮山莉渚さんが高校デビュー以降美し過ぎてドン引きした。何じゃあの造形。
塔野弁護士が短い登場で最大限塔野弁護士!!!って感じで良かった。
あと橋本えっちゃんの曲、凄い朝さんぽくて良かったよな。これはもう誰に何と言われてもこれしかないって感じだった。
どの人物も生身でぽさを伝えるのに想像より強く押し出していかなきゃいけないんだろうなと思って、そういう出力調整というか機微がよく分かってそれも面白かった。
普通に生活してて自分の感情を露わにする分量がいつまでも解らないので、やっぱプロはスゲーな、と思った。
見守る事と干渉する事の正解を決められない(と信じているし、もはや自己肯定の意味でもそうであってくれという願いにも近い)状況で常々決定を求められる役割を担ってしまう槙生さんが、自分がされて嫌だった事をしないが故に悩んだりしながら朝さんと暮らしていく姿はグッときたし、どこに重心を置いているのか自分でも解らないで軽めに地雷を踏んで琴線に触れる朝さんの癖になる危なっかしさこと愛嬌も素敵だった。
もっと槙生さんの小説家としての創作の壁とか、エミリママとの交流も観てみたかったなぁ、というのが贅沢な悩みである。
良い映画だったと思う。


大森靖子さんのツアーで難波のライブハウスに行ったら厨二ファッションを脱いで垢抜けた商社マンになっただけの難波ロケッツだった。デュエマに熱中してあらゆるパターンを人にまで説いて師匠と呼ばれていたお前が、今や朝のスタバでオンラインでコーチングを誰ぞやに授けて強めの笑顔でニコニコしているなんてビックリだよ、まあ親身になれる所は変わってないって事か、あはは、という気持ちになった。
大森さんのライブはリリースツアーの剥き出しコンセプチュアルとはまた違う、好きに組んでいいからこその自由さが面白かった。
リリースの時は割とキャラの強い演奏のギターだったけど、今回は的確に表現するギターというのが一番違いとして解りやすかったように思う。どちらも滅茶苦茶上手いので「はー」と感心しっぱなし。演技も演奏も、どっちもプロってえげつない。
TikTok性というか、少なくとも10代や20代へどんどんしっかりと手渡していく大森さんのアプローチが結実した客層で新鮮だったし、息苦しさとかではなく普通に自分が異分子な層になりつつあるのも面白かった。
思い出にするつもりもなく聴き続けるけど、重なる部分がない中で面白さを見つけにいく段階にリスナーとして来ている気がする。冒険じゃん。
きっと新たなツールを経由して大森さんが刺さってしまったリスナーも僕が最初に喰らった地点を眺めながら、同じような冒険をこれから楽しんでいくんだろうと思う。
どこで鉢合わせるか解らないけど、歩き続ければどこか、お互いの中間地点で会おうぜ、という感じである。
大森さんのシリアスな曲と高架下の電車のくぐもった通過音は鼓動や呻めきの様で相性が良いだろうことは会場が発表になった時から想像出来ていた事だったけど、予想を遥かに超える良さだった。
別に挑んでる訳でもないのに「か、勝てねぇ〜」と思ってしまった。超歌手はやっぱ超を冠してるだけあるな、としみじみ。
何より「君と映画」が聴けて凄く嬉しかった。やったぜ。


またー。