性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

真冬のB級グルメ「アイスバーンを滑らせて作った冷しゃぶ」に16ビートの舌鼓をうつ。

ガッツリした寒波により、駅から家の近くまで延々続く長い下り坂が全編アイスバーンと化しており非常にスリリングな帰宅となった。

怪我で済めば良いけれど、転んで後頭部なんか打ち付けた日には死んでしまうかも知れない訳で、まだ頑張って働いた貯金も使い果たしてないし、大好きな猫カフェの推しニャンコ様の生誕祭にも行ってないし、ひとりディズニーも実行出来てないし、我慢しといた方が後々良いだろと思っていたとんでもない無駄遣いのアレコレだって何故我慢したかって最善のタイミングで罪悪にかます為だし、積立NISAもしてないし、ふるさと納税もやったことないし、ていうか久々にサンミー食いたいしで色んなことを加味した結果、ここで死ぬ訳にはいかないので氷上におけるグリップ性がほぼゼロの革靴に全神経を集中させてノロノロと下り、何とか無事に帰宅することが出来た。

道中、同じマンションに住む住人が同じ様に緊迫した面持ちでおっかなびっくり歩いていたので、それを眺めながら「ひとは一歩ずつ、どんなに遅くとも進む限り前進するのである」みたいな事を思った。

ドラマチック私生活。

それにしたってサンミーが食べたい。スーパーで小学生がサンミー買ってるの見ると凄くバカっぽくて幸せな気分になる。バカに潜む幸せ程、身近で確かなものはないのかも知れない。何言ってるかよく解らない。

 

久々にカラオケに行った。

indigo la endの「秘密の金魚」が入っていたのでアニメをよく見て声優の声真似をしていた頃を思い出しつつ語りに感情を全込めしてブチかましてみたら肝心の歌パートがキー高過ぎてロクに歌えないという事態に陥る。悔しいので練習しようかなと思う次第。

そしてマキシマムザホルモンの「アカギ」も普段は歌わないデスボイスパートに挑戦してみたら案外声が出て嬉しかった。お昼寝する幼児すら起こさない程度にソヨソヨとヘロヘロなデスボイスであったけれど、自分の喉からこんな声が出るもんだなーと発見に気分を良くした。

ニゾンスクエアガーデンの「シュガーソングとビターステップ」を歌いながらドラムの格好良さにほーっとなった。ユニゾンにしろ米津玄師にしろ早口で言葉数が多いのに独特の間合いで外したり跳ねたりする歌い方にカラオケで挑戦する度に、くるりの岸田氏が述べていた「どんな歌でも一回歌ってみれば簡単じゃないことがわかる」みたいなことを思い出す。

慣れてくるとその間合いにすら感情が垣間見えるというか妄想を挟み込めたりするから楽しい。

そしてDAMのカラオケMVにカメラマン役で出ている方に最近のナオトインティライミが似てきいるという確信を得たので実に良い機会であった。カラオケMV俳優に寄せてくることで僕からすらも好感を得ようとするナオトインティライミ、本当に油断出来ない。が、悔しいかな少しばかり見直してしまった。僕がティライミ堕ちする日も遠くないかも知れない。

太陽燦々バーベキューにはマテ茶みたいな男の癖に。

 

ここ最近、プライムビデオで「血界戦線」を観ていたんだけれど無事に最終回まで辿り着いた。元々トライガンが好きなのもあって絶対好きだろと思っていたんだけど、その予想を遥かに凌ぐ好きだった。思考も関係も過去も未来もベタベタしてないのにしっかり熱いというのが内藤先生作品の魅力で、アメコミみたいで好きだ。

その後、プライムミュージックであれこれ聴きながらダラダラしていたんだけど、プライムミュージックの邦楽のラインナップが結構謎で、自分の好みからすると結構スカスカなのに突然「何でこんなもん入ってんだよ」というのに出会うから驚く。

ハヌマーンの「デッセンクルー」なんかがそれで、テレビのバランスの良い音質で聴くとちょっと笑ってしまった。ハヌマーンは雑踏というか、人混みの中で、沢山の人が立てる生活音に紛れて聴くのが一番好きだなと改めて感じた。

他にもヒグチアイさんの「三十万人」やらTHE ORAL CIGARETTESの「UNOFFICIAL」などをザッピング感覚で、でも再生したら最後とりあえずアルバムは丸々聴き通すぞとあれこれ聴いた。

ヒグチアイさんはたまに1曲、みたいな感じだったんだけど、こうしてアルバム単位で聴くとストレート系の球種しか持ってない投手みたいなアーティストだなと思った。

オーラルは原曲を聴くよりもカラオケで歌うことの方が多いバンドなので知っている曲でも新鮮だし何より当然だけど自分よりも何千倍も上手いので「あらカッコイイ人たち…」となる。オーラルは激しいのに暑苦しさが無く、それでいて笑ってしまうくらいダサい瞬間があって、それがバリバリにキマッているからとても好きで、自分の世代のリアルタイムでいうところの9mm Parabellum Bulletかなと思うんだけど、彼等よりもスラっとしていて、滅茶苦茶カッコイイ母校の後輩みたいな存在感である。因みに9mmは文庫本読みながらタンクトップで冷しゃぶ食ってる先輩みたな存在感だ。

リコリス」のドラムと「5150」のえっ?この曲で?というシンガロングっぷりとその分厚さが好きじゃ。

外は寒いし、引き続きダラダラして英気を養うぞー。

 

またー。

これはいけませんねぇおじさんの話。

 最近はKing Gnuとあっこゴリラの音源を購入したのでよく聴いている。どちらもとても良いので改めて簡潔に感想を述べたいのだけれど、それらと並行して「以前よく聴いていたのに最近あまり聴いていなかった作品」をいくらか聴きなおしており、とても格好良くて「え?こんな素敵な音楽誰がインポートしてくれたの?僕だ!」という茶番を度々繰り広げているのでそれについてサラっと書いておく。

まずはPsysalia Psysalis Psycheの「#7」と大森靖子さんの「TOKYO BLACK HOLE」である。この2枚はそもそも現時点での「人生の十傑」に普通に入ってくるくらい好きな作品なのだけれど、どちらも少し間が空いてしまったので新鮮さが出てたまらなく素晴らしかった。前者サイサリは不良っぽさとアングラさと美学を艶っぽい粗暴さでもってブチかますバンドでたまらない。文学めいてから一転ギャグかよくらいにユーモラスな舵の切り方をしつつ、美しく苛立ちを表現出来てしまうところが大好きであり、それが極まった最高傑作(だと僕は思っている)がこの「#7」である。音圧とか声量とか技術とは別の、魅せ方が凄まじいバンドで、未だに聴く度に身悶えてしまう。恋をしている。

大森靖子さんの「TOKYO BLACK HOLE」は好きな作品ばかりの大森さんの中でも特別刺さったアルバムで、こちらは魅せ方も歌も演奏も凄まじいというとんでもない作品である。シリアスな曲の希望と、明るい曲の中に混ざっている絶望はその日の気分によって抱き上げる部分が異なるのでその都度自分がどういう状態で、何を欲しているのかが少し解る気がする、純度と情報量が濃いアルバムだと思っている。

その他ではmudy on the昨晩の「pavilion」を聴き返した。歌の必要性を微塵も感じさせないキャッチーさと爆発的な展開力が魅力のトリプルギターのインストバンドで、特にこの作品は冷んやりした質感で難解な絡み合い方をしているのにテンションが無限に上がっていくという楽しい作りとなっていてたまらないんである。好きなパートのギターを弾くメンバーが脱退するという試練を2度味合わされた経験があるのも思い出深く、また観たいので3度目も辞さないくらいの気持ちでいる。観れる日が来ると良いのだけれど。

mol-74の「ルリタテハ」も聴きなおして恍惚とした作品で、これはもう美しくって優しくってヤバい。「3.9」から「待ちわびた音色」へ続いていくところが特別好きなんだけど、細くて還暦迎える頃には聴き取れないんじゃないかという美声がじんわり温かくて、この透明感と深みの両立として「暗さ」を出してこない姿勢が意外と硬派で好きなのだと思う。

逆に暗さを率直に出す事で透明感と深みを悪魔の様に増して天使と化しているのがplentyの「this」だと思っており、こちらも数珠繋ぎ的に聴き返した。plentyは透明感があるのに浮遊感が無い、身近でゴツゴツした感情を切々と鳴らす様が好きだった。掴み所がない風でいて誰の目にも見えていることを歌うという不思議な存在だなといつも感じる。plentyは僕の中では悲しみというよりも憤りで、だからこそ好きなのかも知れない。悲しいで止めるなんて日常でやり尽くしてる感があるので、彼らなりに憤っている部分に触れると心が軽くなるんである。

他にも聴き返しているんだけど、長くなるのでまた別の機会に書きたい。

それにしてもこの、中身が伝わらなさそうな書き方は何なんだろう。

 

それはそうと、東京の雪による交通網の麻痺っぷりをみて大変だなーと他人事の様に思っていたけれど、雪こそ降らないものの大阪も気温がぐっと下がり、氷点下の中を通勤しなければいけない朝を迎えた。

ちなみに氷点下と響きが似ているのが黄天化である。封神演義でお馴染みの彼、そう「仙界伝の方」と口にするだけで当時を知るファンが机を拳で叩き顔を伏せてしまう、存在自体が黒歴史のアニメにおいてキャラソンばかりが先行してしまったあの彼である。どのキャラよりも仙界伝時代の汚名を晴らそうと意気込んでいる可能性があるので、この度の「覇穹 封神演義」でも意気込み過ぎて空回り結果として恥ずかしさで血が止まらねえさとならない様に、特に入りに関しては慎重を期して欲しいと願っている。流れるプールならば漂流者を多々出さんとする濁流の様な展開速度である。前回よりも期待出来ることはまず間違い無いけれど、果てしなく心配である。寒い扱いだけはもう本当にやめてあげて欲しい。ただでさえ他のキャラより布の面積が小さいんだから。

そんな黄天化と響きが似ている氷点下の話に戻るけれど、そんな訳で大阪も朝から大変寒かった。我ながらそんな中でよくもまあキチンと起きて支度して家を出れたなと自画自賛したいレベルだった。

しかし家というのは外よりも暖かいものである。外で生活する過酷さから脱却する為に人は床と壁と屋根がある家を発明するに至ったのだから当然である。何が言いたいのかというと、外よりあまりに暖かい家の中で「頑張って準備した」の頑張りがソレとしてカウントされない程度のものだったことをいざ外に出た瞬間に痛感したのであった。頑張ったつもりだったけどアレ別にウォーミングアップですらなかったな、本当にそれしかしてないけど起きて顔洗って歯を磨いて着替えただけだったな、草彅剛が撮影前に歯を磨いて目を覚ますってインタビュー滅茶苦茶前に読んだけど何でいつまでもこんな些細なこと覚えてんのかな、などと余裕ぶっこいていた己を恥じた。寒い。本当に寒い。

マンションの共用廊下を歩き、エレベーターに乗り、エントランスから外へ出た瞬間に冷たい風が頬を張った。撫でるとかそんな生易しいものじゃなく、完全にぶたれた。出会い頭に暴力ってもうDQNじゃなくてサイコパスだと思うよ。

その一撃があまりに寒くて思わず石田彰が言いそうな優男ニヒリスト風に「これはいけませんねぇ」と呟いたのを知らぬ間に後ろに来ていた同じマンションの小学生集団にバッチリ聞かれてしまい恥ずかしさのあまり競歩で五輪目指せるくらいのスピードでその場を去った。

警戒心の強い僕の背後を取るなんてとんでもない子供たちである。義務教育ではなく忍術学園に通っている可能性がある。忍たま彗星…。

マンションの子供達の間で「これはいけませんねぇおじさん」が都市伝説として流行ったらどうしよう。悪いことをすると背を向けた状態のおじさんが現れ、「これはいけませんねぇ」と呟いてからこちらを振り返る前に本心から謝らないと連れ去られ翌日死体で発見されるみたいなエピソードがどんどん広がって実写化されたらどうしよう。始祖としてはやっぱ最終的には貞子か伽倻子とバトって欲しいところであるし、実現した際には軽く取材も受ける可能性があるので何かしら上手いコメントを用意しておきたいところだ。

独り言を子供達に聞かれてすごい恥ずかしかったということをここまで判りにくく書けるものなのかと焦りを感じている。この焦りを今後に活かしたい。

 

またー。

ムキムキマンの「ササミを喰って寝ろ!」のコーナー

諸事情による12連勤が終わった。

その間、友人とビールを飲んだり、1時間以上もLINE通話をしたりもしたけれど基本的に常にバタバタと働いていた。しょしょしょ消耗、という感じである。ピューと吹くジャガーのポギーの話が印象に残っている。

そして久々に休日を迎え、何をしていいのかよく解らず録画したアニメやアマゾンプライムビデオを延々と観て過ごした。

少女終末旅行変態仮面おそ松さん封神演義ポプテピピックなどを鑑賞した。

変態仮面にずっと既視感を覚えていたのだけれど、銀魂であると気付いて調べると同じ監督だった。全く同じ作りであるし、普通に面白い映画だった。

封神演義についてはシンゴジラばりのバツンと移入ポイントを切る倍速展開で浅瀬を猛ダッシュという感じであるものの、作画が綺麗なのでもうそれで十分ですという気分になる。主題歌の歌詞が全く聴き取れない。ラスベガスは騒々しくも煌びやかな街なのだろうと思う。

ポプテピピックは衝撃であった。若干の変化と声優の入れ替えだけで2回同じものを流すという、音質変えたり繰り返し流すYOUTUBEの違法アップロードを再現するかの様な演出で笑った。散弾銃の様に複数クリエーターがショートアニメというかファストアニメを作っているのも面白かった。あまりに短く、そして一編ごとの打撃力が強いものを見返さなくてももう一度、しかもアレンジ違いで観られるというのは親切なのかも知れないと思いつつ観た。快速東京のアムバムみてえなアニメだな。

星のカービィスーパーデラックスのデータ消えるパロディで滅茶苦茶笑った。

ただこれがあと10回くらい続くのかと思うと、果たしてどんな感じになるんだろうと予想がつかない。ちゃんと終わるんだろうかコレ。それにしても銀魂も恐る恐る渡っていたし、ポプテピピックもかなりおっかなビックリ渡っていたジブリという橋の恐ろしさよ。皆がジブリ好きなのってもしかして吊り橋効果なんじゃない?大丈夫?え?俺?純粋に好きだよ?

 

そんなインドアな休日を送っている一方で、新年のキャンペーンを利用してスポーツジムに入会した。

ジムに通うのは数年前に一度辞めていたのだけれど、「自分の腹筋ってどんな風に割れるんだろう」という興味本位でチマチマ始めた腹筋と腕立て伏せが半年以上継続して続き、年が明けてからも意外としぶとく平然と続くので可笑しな事ではあるのだけれど自身に根負けし、ご褒美的に取り敢えず3ヶ月通う事にした。

前回通った時は単純に運動不足の解消が目的だった。痩せる必要など微塵もなく、時々身体動かせたらいいかなーくらいの気持ちだったので月謝(という表現が正しいのかどうか)が8000円だったのに月に2回行けば良い方という次元で、勿体無くて退会したのだった。

今回もバシっとした目標もなく、相変わらず痩せる必要など微塵もなく、ボンヤリでも週3程度を継続して筋トレしてきたことを褒めてあげ、ついでにこの半年考えていた「自分の腹筋がどんな風に割れるか」を確認する為の効率的なサポートとなればと思っての入会である。すぐに通わなくなりそうなフラグがバッチリ立っている気もするんだけれど、一応対策を立てた。それは「わざわざ行かねばならぬ場所を選ばない」というもので、要するに通勤経路にあるジムに入会すればわざわざジムに遠回りして行く必要もなく、会社帰りに寄ることが出来るというものである。

そもそも運動する為に出向くというのに遠回り程度で頓挫する意欲など意欲の風上にも置けぬと指摘されそうなもんであるが、ハッキリ言ってロクにジム通いが続かない人が沢山いるうちの25%はコレが原因ではないかと思われる。

ジムでの運動には気持ちが入るものの、そこに至るまでの行程をウォーミングアップにカウント出来ないタイプの人は少なくない。それが出来ればジムなど通わなくても良いくらい自己管理が出来そうなものである。何を隠そう僕もそうだ。

そしてもう1つ、シューズやウェアの持ち運びが億劫な点である。コレがジム通いが続かない理由の25%を占めると思う。

僕はこれをそれまで手提げタイプの通勤鞄だったものをビジネスリュックへ移行することにより手に下げる荷物の重みを軽減し、緩和することに成功した。

要するに合わせて50%の続かない理由を前もって潰す事に成功した僕である。これで続かなければ筋金入りのダメ人間であるか前世はジムのマシントラブルに巻き込まれて死んだか汗が冷えて病を患い還らぬ人となったかではなかろうか。

そうして石橋をバシバシ叩きまくっていざ渡り始めたジムである。今のところ週に1日は会社帰りに寄ることが出来ている。

サラリーマンに対するウリなんだろうか、若い女性スタッフばかりが配されていて不満ではあるけれど、サラリーマンが多いだけあって落ち着いた雰囲気で過ごしやすくはある。前回通っていた時は、ジムの男性スタッフさんを身近にいる目標みたいな目で見ていた。ムキムキという訳ではないが、細いながらもしっかりした体格で爽やかで、目標としては頑張れば手が届きそうで励みになった。まあ辞めたんだけど。

しかし今回はどうやらそこが期待出来ない。女性スタッフもまず体幹から弱そうな感じで運動している身体つきではない。スポーツジムのスタッフの制服はスポーツウェアなので姿勢が悪目立ちするんである。

ではストイックに筋トレに励むバリバリ仕事出来そうなムキムキサラリーマンではどうか。目標として程良くなさ過ぎて難しい。マシンの使い方が解らず、スタッフさんに聞こうとした際に隣で同じマシンを使っていたムキムキサラリーマン、略してムキムキマンが使い方を教えてくれた挙句に爽やかな笑顔で「頑張りましょうね!」と言ってくれて大変に嬉しかったのだけれど、笑顔のまま平然と50キロ、60キロを挙げる彼に対してこちらは30キロを早々に諦め25キロに下げた貧弱さである。自分の半分の重量にヒイヒイ言っている男を筋トレ同志として認めてくれる優しさには感動したものの、こちらからすると倍挙げる超人を目指すというのは異次元過ぎるチャレンジで段階を踏みたいという気持ちが明確になってしまった。贅沢な話である。大抵の人の運動が続かない理由が気楽さを求める贅沢さにあるので僕のこの感情はほぼほぼスタンダードなものだと思うけれど、皆と一緒で安心していてはいつまでもこんなままであるので、どうにか頑張れたら良いとも思っている。

ムキムキマンからは自信とゆとりを感じる。自己管理が出来ている人は厳しさと優しさを知っていると思うので、自分の職場にもたくさん居てくれたらいいのにと思ったんだけど、昼ごはんにササミとか食べてそうだし揚げ物とか炭水化物を基本特盛りにして食べている僕は滅茶苦茶注意されそうなので他部署に3人くらい居てくれたらいいなーと願いをトーンダウンするに留めた。とんだ甘ちゃんである。

一先ず3月末までは継続してみたい。何かしらあればまたダラダラ書きたいところ。

 

またー。

流行の最先端へ飛び込んでいく勇者たちを見守る会。

パンデミック系の映画の、度々訪れる絶対感染しただろというピンチを運も発揮して何だかんだ潜り抜ける主人公達を観て「こいつら手を洗ったりしてなくてその小さな積み重ねでウィルスという存在に対して基本的に強くなってるんじゃないか」という疑念を真っ先に抱く為にあまり手に汗握らない展開となってしまい、スリルも感動も自爆的に逃している気がするんだけれど、これはもう僕のせいではなくて男性という生き物があんまりにトイレで手を洗わないところに、そしてそれを気にしてしまう自分自身に起因する。

異性が手を洗ってるのかどうかと問われると解らない。それ観てたらちょっと何かしらの罪を犯してませんかね?でも性別が変わったからといってそう劇的に洗ってない人の割合が減るとは思えないんだよな、僕は。知らないし、そんな知りたい事でもない。女子トイレのドアノブに手を掛ける必要がないからである。

「僕って○○じゃないですか〜」みたいな第一声が本当に苦手なんだけど敢えて踏ませて貰うと、僕は潔癖って訳でもないけど基本的に洗うタイプなんである。

そうやって洗ってるのにトイレのドアに小でも大でも洗わない人の後に触れる事になるので本当に無意味を毎日のように思い知っている。

気のせいかも知れないけど手を洗ってない人ほど自己肯定感に溢れているように感じる。他者が自分を汚いと思うハズがないという根本的な自信、コレが普通でしょという自信。凄い羨ましいんだけどそれが普通なら手洗い石鹸とか常備されてねえからな。花王の提供でお送りされるテレビ番組観たことないのかな。NHKとユーチューバーしか観てないのかな?皆、受信料払ってなさそうだけど。最後のは偏見が過ぎるな、ごめんな。だけどそう思うのも仕方がない。

転職して割と体育会系な職場に潜入を果たしてからというもの、手を洗う人口が本当に減っていて、冒頭のパンデミック系のソレが地味に進行していて手を洗う人が絶滅の危機に瀕しているんじゃないかとハラハラするんだけど、外に出ると手を洗う人も沢山見かけるので単にそういう生活文化圏に突入してしまっただけなのだとそれはそれで切ない気持ちになる。

個室から出てきて手を洗わずにまっすぐ外に出ていく人を見かけた日には「もしかして今、僕の時間だけ止められてた?」とそっちを疑うくらいに衝撃だった。ポーズすら取らないなんてマジか。世界との格の違いを見せつけられた気分である。震えちまうぜ。

なので、いつも結局手を洗って、汚染されたドアに触れて開け、席に戻ってアルコールで再消毒する流れを採用している。もうこの星で俺だけが清潔な気がする。周りに潔癖と思われてたら面倒なんだけど、お前らが不潔なんだよとは流石に言えない。僕にも社会的地位というものがあるからな。あるだけマシ程度の貧相なもんだけれど。

でもまあこんだけ常日頃から鍛えられている対ウィルスに関しては軍隊ばりの屈強な職場である。ノロウィルスやインフルエンザなんて流行らないだろうと虚しいながらも安心していた。

そしたらめっちゃ流行んの。

めっっっっっちゃ流行る。

恋ダンスよりも35億よりもハンドスピナーよりも流行ってんの。もしかして今年の忘年会の出し物インフルエンザじゃね?くらい流行ってる。もう年末のこと考えなきゃならないなんて鬼が笑うわ。

しかも、僕はどちらにもかかってないんである。

待って?おかしくない?

いや、自分の正しさが証明されて大変喜ばしい気持ちもあるんだけどそこは菌に対して抗力を備えとけよ、バッタバッタとなぎ倒されてんじゃねえよ。職業ドミノかお前ら。

さてはアレか、ステータス毒の状態で暮らしてんのか。どこでそんな呪いに掛けられたんだ弊社。見るからにアカン感じの祠を名誉会長がドロップキックで木っ端微塵にしたとかそういうアレでもあるんですか?

沿革に載せとけよな、そういう大事なことは。面接の話題になるからよ。名誉会長のドロップキック高度が全然出てなかったそうですねー。こちらからお祈りメール送り付けたるわ。御社の呪いが1日も早く解けますことを云々、そもそもそんな会社なら受けてないけどな。

そんな訳でささやかながら野戦病院みたいになった社内で諸事情により12連勤をこなし、確実に過疎ったオフィスを眺めては時折溜息をつく日々を過ごしている。親にこんな近況報告したら泣くかも知れないな。

そんなカジュアルダウンした地獄みたいな状況なら流石に皆も手を洗うかと思いきや、生き残りたちは洗わないんだなーこれが。流石精鋭。終わらないチキンレース。洗っとこ?ねえ、もう洗っとこうよ。

そんなに僕ら強くないんだよ、もう少し自分を大切にしよう?と呆れを通り越して全然似合わないハシャギっぷりをしている友人を見る様な気持ちになってしまっている。その二の腕が引き締まりそうなハンドルの自転車めっちゃダサいよ。

それにしても、これで僕がインフルエンザになったら絶対こいつらのせいだと思っている。

そうなったら1人ずつ的確な悪口でもってあだ名をつけてサッカーゲームのエディットモードに落とし込み、攻撃的なフォーメーションを組んで試合をかましてやるからな、と思いながら過ごしている。

何か若干風邪っぽいのでこれがフラグにならないことを切に願っている。

 

皆さんにおきましては適度に清潔にお過ごし下さいませ。折角もうすぐ土日なんだから風邪ひくなよ。

 

またー。

///20180103-20180112///

///エアコンで枯れた喉から忘れたい言葉ばかりが蘇るから、ゾンビ映画は大体寝落ち///

 

///凍った雨が刺さる2月の地面/靴底がすり減って音が変わって/この世界は滅びましたとさ/しぶとく眠りに落ちない団地の窓をタブ譜に落として鳴らせばマイナーコード/チューニングがズレたままの嘘は少しずつ朝に埋もれて/イートインコーナーで突っ伏す誰かが繰り返し唱える/オッケーグーグルこれじゃあまるでルーベンスの絵だよ?///

 

///ひび割れたチョコレートの表面は溶かして固めて元通り/都合の良い生活のように、同じであると装って出荷/どんなに素敵な言葉を貰っても所詮カロリーは0/それでも太り続ける自意識に絶望して胸ヤケ/憂いてばかりの僕は甘ったるく生焼け///

 

///卵が先か鶏が先かは解らないけど、黒猫が横切らなくたってお前の不幸はずっとそこにあったよ///

 

またー。

あるある日記。

郵便物の処理が面倒過ぎるんである。
これの何が面倒かと言うと、まず郵便受けを開けるのが面倒なんである。
億劫になってあまり開けないので基本的に郵便物が溜まっており、それを家に運んでテーブルに置いたところで一仕事終えた気持ちになってしまい、何が届いているのか確認するのは次回の機会というパターンが多い。
大体はその週の土日が多く、これも普通に怠ることがあるので返送や振り込みが必要な書類への対応が基本的にギリギリになってしまう。
よくこれまでオーバーせずにやってきているなと思うものの、実際それでなんとかなっているせいで特に改めようという気にならないのも実情である。
郵便受けを開くのが面倒なので全部メールで送ってくれと思いもするけれど、実際はメール送られても読まないので重要な書類に関しては是非ともこのまま紙で送り続けて欲しい次第。

 

あとは通帳の記帳なんかも非常に面倒である。
通帳の記帳は自分の貯金の把握に有益だと解ってはいるものの残額把握してればまあ危機的状況に陥ることが無い為に先延ばしにしがちである。
ネットで入出金が見れるこの時代、まぁ、とっても便利!!でもそれを登録し、閲覧出来る状態にするのすら面倒なんである。
初めて作った郵便局の口座、その後郵便局だけだと不便だったので作った銀行の口座A、住宅ローンの為に作った銀行口座B、転職先が提携しているので作らされた銀行口座C。
事あるごとに口座を作っており、ただでさえ面倒なのに口座が4つある状態で面倒臭さも4倍となり、より先延ばしにしがちになっている。4倍先延ばしにしている。もう何かしら計算で求められそうな状況だが何も求める気にならないくらい面倒臭い。
ならば不要な口座を解約すれば良い、と言う人はこの程度の面倒は面倒と思わぬマトモな人であり、記帳程度のことが面倒臭い僕へのアドバイスとしては残念ながら、ハッキリ言って説得力はゼロである。
記帳すら面倒な人間が窓口に赴いて解約なんて大仕事をする訳がない。出来る訳がないのでなく、出来てもする訳がない。面倒だから。

少し考えれば解るでしょうが。しっかりしろよ寝ぼけてんのか。(全て大型のブーメラン発言との自覚はある)
そんな調子なのでたまに記帳をすると背筋が伸びる思いで、しっかりした大人の仲間入りを果たした気がする。
しっかりした大人は記帳をこまめにするし、入出金を見返して今後の資産形成の参考にするハズであるが、僕は記帳自体が一大イベントである為にそこがゴールとなって一切中身を見ない。
真のしっかりした大人への道は果てしなく遠い。

 

郵便物に関しても、通帳の記帳に関しても「お金が貯まらない大人の特徴」みたいなネット記事に登場しそうな事例でなので決して良いものではないのだけれど、こうも主人公感のないTHEモブなスタンスで生活しているとこんなものでもスポットが当たっていると思うとそう悪い気がせず、何なら若干照れくさい表情を浮かべながら胸を張ってしまいそうな自分がいる。
小さな幸せにすら不慣れかつ満足してしまう点を飲みの場で隣席(別グループ)の見知らぬ上昇志向の年上の男女に説教された際、期待しないし求めていないことの何がそんなに悪いのか全くピンと来ず単純にストレスだったのだけれど、こういうデメリットがあるのかも知れないと今更思い至った。
かといってあの男女が備えた輝きは僕の目にはギラつきに見えたし、お前ら青魚かよ焼いたら美味しそうだなと思ったので参考にはなるが倣うべきかと言われればまた新たなストレスを生み出しそうな気がする。
結論として人様に迷惑を掛けなければこのままでも良いのではないかという所に落ち着いてしまうので、どうにも大成することは無さそうだなと自負している。
名前が「優勝」とか「高徳」とか「正義」とかそんなんじゃなくて良かったなと思う。
名が体を表すかどうかというか、その通りに進んで育つかどうかは個人に委ねられた権利であると思うものの、小心者なので寄せたくても寄せられない自身へフラストレーションに苛まれてしまいそうな気がする。
一体何の話をしているのかよく解らなくなってきたのでこの辺で唐突に終わる。

さて、この日記で「ある」と何回言ったでしょうか。

 

またー。

京都で京都らしいことをせずに過ごした日記。

新年早々京都の猫カフェへ行く。

入店してまずキャットタワーの目線の高さで寛いでいた猫様に至近距離でクシャミを喰らい、顔面に唾を盛大に浴びる。

何このサービス、微塵も嫌味もなく素直に100%の感謝でもってありがとうございますだった。完全にご褒美だった。風俗店に縛られ、罵られにいくおっさんの気持ちと少し共鳴した気がする。俺たちの琴線(性癖とも言う)、きっと、そんなに遠くないぜ…。

猫に踏まれたり乗られたりすることに興奮を覚え、猫の尻を2時間に渡り追っかけ回した。至福です。

2018年も隙をみては足繁く通いたい。今年も何卒宜しくお願い致します。

 

帰りに友人の家が近かった為、奇襲を掛ける。

手土産が無いし、彼の生活圏でお土産を買うのも変なのでコンビニで差し入れを買う事にした。

最初はスナック菓子かなと思っていたのだけれど、コンビニでカゴを持つことが普段ないせいでテンションが異様に上がってしまい、カゴが商品で重くなることに高揚感を覚え、重みを出そうとした場合にスナック菓子より冷凍食品の方が優れている(重量的に)との結論に至り、差し入れと称して冷凍食品をアレコレ買ってしまう。完全にチョイスが料理が不得意な彼女が風邪気味の彼氏に買うソレ。母親の救援物資ですらない。欲に任せてカゴが一杯になるまでやったら3〜4食分くらいになってしまった。そこまでやれば当然ではあるが満足感もあり、非常に楽しかった。

その後、手にさげた袋の重さに我にかえるも、下手なお菓子貰うよりマシだろうと自分に言い聞かせて誤魔化し、友人宅の冷凍庫に全部突っ込んで一仕事終えた気分になる。頼まれて初めて仕事になるという視点が完全に欠落している。

アレコレ話すなどした後、居酒屋で食事をする。

焼き鳥を箸でバラすのを眺めていると、わざわざ串に刺して焼いたものを壊す(それが嫌なのではなく工程としてそうであるという事)という流れから4歳の頃、自分で頑張って作ったテレビマガジンの紙のロボットを自分で踏んづけて壊してしまった記憶がフラッシュバックして瞬間的に凄く悲しい気持ちになったけど焼き鳥は美味しかった。

隣のテーブルの子供がしきりに「飲み放題だぜ〜」と言いながらその威勢と裏腹に舐めるようにコーラをチビチビやっていた。その言葉に似合う衝動が全く足りていない。痛飲という表現にはあと100年程足りない。愛奴愛奴よのう。

どこでそんな言葉を覚えてくるんだと思ったけど、どう考えてもこういう店だろう。ヘイ、ボーイ手慣れてんな。言葉の地産地消を感じた。将来酒飲みになりそうで怖いな、どう考えてもお前の飲みっぷりじゃ親は飲み放題にしてくれてないだろうけど元気に楽しく暮らせよと目を細めた。

いつか酒を酌み交わそうぜ、そこまで僕が生きていたらよ。

その居酒屋では主にアマゾンレビューの書き方についての意見交換を行う。アマゾンレビューに溢れる、直感的かつ個人的で商品説明を全く読んでいないレベルで素直な感想を如何に再現するか、如何にそういう層に参考になれるかについて、あーでもないこーでもないと熱い議論を交わした。

文章において意図的にハードルを上げることは比較的容易な気がするんだけど、ハードルを下げることはなかなか難しいものだと思った。賢い人たちが集まって誰にでも伝わりやすいコピーを考える意味を思い知った。

 

気分が良くなり、友人宅で好きなアーティストの曲を聴いたのと前日のBase Ball Bearのライブが良かったのも手伝ってカラオケに行きたくなってしまったのでこれから行ってくる。

何か適当に歌って、気持ちの良いまま帰り、風呂に入って気持ちの良いまま寝られたらいいなと企んでいる。

 

どうぞアナタも気持ちの良い夜をお過ごし下さい。あったかくして寝ろよ。

 

またー。