性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

京都で京都らしいことをせずに過ごした日記。

新年早々京都の猫カフェへ行く。

入店してまずキャットタワーの目線の高さで寛いでいた猫様に至近距離でクシャミを喰らい、顔面に唾を盛大に浴びる。

何このサービス、微塵も嫌味もなく素直に100%の感謝でもってありがとうございますだった。完全にご褒美だった。風俗店に縛られ、罵られにいくおっさんの気持ちと少し共鳴した気がする。俺たちの琴線(性癖とも言う)、きっと、そんなに遠くないぜ…。

猫に踏まれたり乗られたりすることに興奮を覚え、猫の尻を2時間に渡り追っかけ回した。至福です。

2018年も隙をみては足繁く通いたい。今年も何卒宜しくお願い致します。

 

帰りに友人の家が近かった為、奇襲を掛ける。

手土産が無いし、彼の生活圏でお土産を買うのも変なのでコンビニで差し入れを買う事にした。

最初はスナック菓子かなと思っていたのだけれど、コンビニでカゴを持つことが普段ないせいでテンションが異様に上がってしまい、カゴが商品で重くなることに高揚感を覚え、重みを出そうとした場合にスナック菓子より冷凍食品の方が優れている(重量的に)との結論に至り、差し入れと称して冷凍食品をアレコレ買ってしまう。完全にチョイスが料理が不得意な彼女が風邪気味の彼氏に買うソレ。母親の救援物資ですらない。欲に任せてカゴが一杯になるまでやったら3〜4食分くらいになってしまった。そこまでやれば当然ではあるが満足感もあり、非常に楽しかった。

その後、手にさげた袋の重さに我にかえるも、下手なお菓子貰うよりマシだろうと自分に言い聞かせて誤魔化し、友人宅の冷凍庫に全部突っ込んで一仕事終えた気分になる。頼まれて初めて仕事になるという視点が完全に欠落している。

アレコレ話すなどした後、居酒屋で食事をする。

焼き鳥を箸でバラすのを眺めていると、わざわざ串に刺して焼いたものを壊す(それが嫌なのではなく工程としてそうであるという事)という流れから4歳の頃、自分で頑張って作ったテレビマガジンの紙のロボットを自分で踏んづけて壊してしまった記憶がフラッシュバックして瞬間的に凄く悲しい気持ちになったけど焼き鳥は美味しかった。

隣のテーブルの子供がしきりに「飲み放題だぜ〜」と言いながらその威勢と裏腹に舐めるようにコーラをチビチビやっていた。その言葉に似合う衝動が全く足りていない。痛飲という表現にはあと100年程足りない。愛奴愛奴よのう。

どこでそんな言葉を覚えてくるんだと思ったけど、どう考えてもこういう店だろう。ヘイ、ボーイ手慣れてんな。言葉の地産地消を感じた。将来酒飲みになりそうで怖いな、どう考えてもお前の飲みっぷりじゃ親は飲み放題にしてくれてないだろうけど元気に楽しく暮らせよと目を細めた。

いつか酒を酌み交わそうぜ、そこまで僕が生きていたらよ。

その居酒屋では主にアマゾンレビューの書き方についての意見交換を行う。アマゾンレビューに溢れる、直感的かつ個人的で商品説明を全く読んでいないレベルで素直な感想を如何に再現するか、如何にそういう層に参考になれるかについて、あーでもないこーでもないと熱い議論を交わした。

文章において意図的にハードルを上げることは比較的容易な気がするんだけど、ハードルを下げることはなかなか難しいものだと思った。賢い人たちが集まって誰にでも伝わりやすいコピーを考える意味を思い知った。

 

気分が良くなり、友人宅で好きなアーティストの曲を聴いたのと前日のBase Ball Bearのライブが良かったのも手伝ってカラオケに行きたくなってしまったのでこれから行ってくる。

何か適当に歌って、気持ちの良いまま帰り、風呂に入って気持ちの良いまま寝られたらいいなと企んでいる。

 

どうぞアナタも気持ちの良い夜をお過ごし下さい。あったかくして寝ろよ。

 

またー。