性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

Base Ball Bearの「光源」についての感想を書きました。

質問箱というサイトで匿名の質問を頂戴し自己承認欲求を満たしつつお答えしていたんですけども、その中でBase Ball Bearの「光源」についての感想を聞きたいと言ってくれた方がいて、大丈夫ですか?、僕ですよ?、長く、なりますよ?と言いながら非常に舞い上がって容赦無く長文を書こうとしている次第です。今ココ。

ちなみにこの作品に関しては一切インタビューなど読んでいないので公式の見解からかけ離れた邪推で埋め尽くされる内容になるかと思いますが、そこはそういう奴もいるんだな、くらいの気持ちで存在をスルーして欲しいです。お願いしますね。お願いしましたからね。

なので、読みたいと言ってくれた方への完全なる私信記事です。

年内とか言ってたのに年越しちゃってごめんなさい。でも、本当に嬉しかったです。

ありがとう。

 

ちなみに過去作品のレビューはこちら。

 BASE BALL BEARのアルバムを聴き返したのでレビューを書いた。(前編) - 性格の悪そうなBLOG

BASE BALL BEARのアルバムを聴き返したのでレビューを書いた。(後編) - 性格の悪そうなBLOG

 

そして実はまだ書いていない1枚がコレ。

 C2(2015年)オススメ度:☆☆☆☆☆

☆5つ付けといて何だけど、好き過ぎてまだ書き終わってない。順不同になってもこんだけリリースから間が空いてれば問題無い気がするのでそのうちちゃんと書き終えます。

 

長いんでさっさと始めますね。

長いんで本当に覚悟してくださいね。

長いんで!!!

 

光源(2017年)オススメ度:☆☆☆☆

冒頭の「すべては君のせいで」を聴いてまず思うのが、10代のリアルさって描こうとしても年を重ねるごとに実年齢と乖離していく訳で、流行ってる物も触れているものも世代でニュアンスの差が出てくるし、それを越えようと思うと普遍的なキツめのエピソードでもって寄せていくしかないと思うんですけど、この曲は正にそれだなと感じた。

10代の女の子に当て書きしたアイドルネッサンスの楽曲に比べてその世代差が際立っているのは、アイドルネッサンスのメンバーをモチーフに書いているのと違いストーリーを軸に書いているからだと思う。

この「光源」という作品はBase Ball Bearがこれまでの実年齢通りに成長してきた過去のアルバムと違って、30代から思春期を振り返った時に思い出補正によりドラマチックにキラキラと、また残酷さを増した10代と化しているからで、それを当時と比べ巧みさを増した2017年の言葉で歌われているからであると僕は思うので、こう、小出氏が目を細めて振り返ってる様を妄想してしまう訳です。歌詞の思春期っぽさに比べてギターのカッティングとかラテンよりアーバンって感じでどうしても大人っぽい気がしていて、余計そう感じているのかも知れません。その辺を例えば「C」とか「バンドBについて」に寄せたところで胡散臭くなってしまうと思うので、スタイルとしては僕にとって最高の選択をしてくれていると思います。こう、一緒に歳取ってきた感に縋ってるタイプのファンなのでね、正直に言ったしまえば。

それとは全然別の話で、この作品全般に言えるんですけどギターソロの気張り方というか、やってやるぞ感凄いですよね。これまでに負けてたまるかという気合い(気負いではなく)をガツンと感じてニヤニヤしてしまいます。

歌詞の中で特に印象的なのが大好きな君のせいで「心が#していきます」というフレーズで、#を半音上がるという意味で受け取って、半音しか上がらないのか、小出氏、いつもの片想いの暴走っぷりはどうしたんだよ!!!と最初は思ったんですが、「名前を知ってくれているだけでも十分幸せ」くらいスクールカーストで低めに位置している主人公は期待を殺して生きるのに長けてしまっているのだと思ってからは「半音しか上がらない」のではなく「半音も上げることが出来た」のだと快挙に思え、かなりしっくりきました。

最近、小さい幸せで満足し過ぎであると飲み会で見知らぬ隣席のアラフォー男女に指摘されたんですが(マジ放っといて欲しい)、基本的に多くは求めない(期待してても実際には求めない)性格の人間からすると半音上がるって凄いことだよな、頑張って素直に欲しがったんだなと思ってしまいます。だって「なぜか頑張ろうとか思ってます」でそれに対して「頭抱えるばかり」ですよ。

自分の心境の変化とそれをもたらした君にダブルで頭抱えてるのは幸せの度合いとしては控えめじゃないですか。不慣れすぎかよ。わかる。

そういう意味で、この曲における「心が#していく」という表現があんまりに意地らしく、可愛くて悶える次第であります。(何の報告だろう)

先にも述べた振り返り系の姿勢が特に感じられるのが「逆バタフライ・エフェクト」で、これまで自分が選んだ全てが影響しての今を「自分こそだよ 運命の正体は」と歌っているのが印象的である。

「いま、この時こうしていること「も」鳴り響いて 決められたパラレルワールドへ 決められた並行世界へ」という歌詞からは理想を本筋だとして、迎える運命が理想と違う、思いもよらぬ行き先であると「決められたパラレルワールド」と並行世界扱いしてしまうことで表しているんじゃないかと思って、随分とまあリアリストだなと思った。それこそ「C」ならば自虐に走ってそれでもちょっと期待したい節があったと思うんだけれど、置かれた場所で咲きなさい的な精神というか、そこでまず楽しんでごらんという成熟さを感じるんだけど買い被りというか邪推が過ぎるんだろうか。

そのリアリストっぷりを続く「Low way」でゆったりと淡々と歌う流れがとても良くて、派手な一発じゃなく、組み立てて三振を狙う巧さが今作でも発揮されていてニヤニヤしてしまう。追われる生活で唯一息をつけるひとりの時間が終電後というシチュエーションで、家の方向へ歩きながら昔の自由だった自分と今を比べながら帰るのが生々しいくて好きだ。

特に好きなのが「トンネルの出口色のコンビニが眩しいな 思わず立ち寄り 光浴び」というフレーズで深夜のコンビニの気怠さや妙な安心感、蛍光灯の光を浴びることに癒しを見出してしまう切ない疲労感がドッと湧いてきて聴いていて疲れてしまう。この曲がシリアスでもなく、性急でもなく、彼らの中でも珍しいのんびりしたもの(「二十九歳」収録の「カナリア」、「C2」収録の「美しいのさ」など比較的最近の傾向な気がしている)くらいでバンドBがシティーポップに寄っていくとこういう生活感のある曲になるのかなと思ったりしつつ聴いている。

2010年にリリースされたDETECTIVE BOY収録の「Transfer Girl」の「僕ら同じ大人になることを疑わなかった」の7年後を描いているとも取れる「(LIKE A)TRANSFER GIRL」は曲調も地続きで余計にそう意識せざるを得ない。小文字が大文字になっている所に大人を垣間見てしまう程に妄想力が研ぎ澄まされてしまうのがBase Ball Bearを聴く時のモードで彼らと同世代のファンは大体こういう思いをしているんだろうと思う。ちなみに2011年の「新呼吸」収録の「転校生」は個人的にこの二曲の間に挟まるスピンオフで、この3曲全部がサンバっぽさを内包した作りになってる辺りに小出氏の転校生に対する非日常っぷりを感じてしまう。性癖だろコレ。文学というよりラノベだわ。

「(LIKE A)TRANSFER GIRL」は今作の流れ通り、あの頃を今振り返るという表現になっており7年の重みを感じてしまう。強気な自分主体の表現も無いし、大人になっちゃったなーと。

続く「寛解」は彼らの曲で初めてエロいなと思ったんだけど、最後の最後で疲れた社会人の赤ちゃん返りみたいな気分を味わってしまいあまり好んで聴けなくなってしまった。寛解という言葉の意味が「病状が軽くなって治るかも知れないし再発するかも知れない」というものなので、その辺の事なんだろうか。割愛。

今作の中で唯一青春現役視点なのが「SHINE 」だと思っていて、君を神様と称している辺りに青春というよりアイドルとナードみたいなニュアンスになっているし、「君がゆらゆら 時と踊る そばでずっと見学したいな」の見学から始まって「Boy Meets Girl 世界で僕らだけが 本当の意味で生きているから」で「聖槍で檸檬を貫くように 何もかも作って壊す」んですよ。2017年のセカイ系か。小出氏が年齢を加味して落ち着いた男性になった訳でないことが解って本当に嬉しいし噎せ返る様な小出節が本当に好き。うおー待たせやがって!やっとやりよったー!!!という歓喜とともに聴きまくっているものの、アルバムからは完全に浮いている。

それが暴投だったのかとすら思わせる程にどっしりしたシリアスチューン、その名も「リアリティーズ」に続くのが笑ってしまうんだけど、歌い出しが「誰かでありたいなら 席につくことさ」なのさっきのテンションにビンタ張るくらい重たいし痛い。ていうかリアリティーズって何だよアベンジャーズが泣く程強そうだわ。畏敬の念だわ。

「傷つくのも 傷つけるのも 部屋が狭いからさ どうでもいいことばかり大切にしても」というのがマジ実社会だしマジSNSで、こう解りやすい言葉でシリアスな曲ほど歌ってくれるのはズルい。刺さるターンに確実に刺しに来る。

その上で「自分になりたいなら 出かけることさ どこかに どこにだって 椅子を置けばいい」としっかり希望を説いて終わるのがまたニクい。歌い出しの席につくは「用意された席につく=誰でもなれる誰かになれる」で、そこから自分で探した場所に自分の椅子を置くことが自分を貫く術だと歌い終えるのカッコイイな、本当に。この曲に「逆バタフライ・エフェクト」が物凄い呼応するというか、逆バタフライ・エフェクトで得た「運命とは自分の選択なんだ」という感覚が「リアリティーズ」で確かになるという構図よ。

どっちを選択するかはまだ解らないよ、お前はお前だろ、お前はお前が選べよと言っている様でグッとくる。無責任な励ましポップには発せないメッセージだと思う(んだけど他方そういう能天気なポップにしか救えないものもあるんですよ)

アルバムの最後を飾る「Darling」は大人になっていくことの恐怖に対してアルバムを通して歌ってきた全ては地続きという角度から「全て繋がっているんだから大丈夫」と希望を歌っている壮大な曲だと思う。これまでの結果が今だからという絶望に対して、これからの自分のやり方次第で未来はどうにかなると真っ当な、言い訳のきかない火の灯し方をして終わる。

Base Ball Bearはカッコイイ大人のバンドになったのだなと思うとあんまり恥ずかしいことやってらんねーな、頑張らないととなるし、そこから「全ては君のせいで」に戻ると君がバンドBにすり替わって聴こえて涙腺に来るので気をつけて欲しい。彼らと過ごした時間が長い人ほど喰らうことになるのでさっさと停止ボタン押した方が良い。何か癪だから。あーもう好き。

ただ曲調のバリエーションや展開がこれまでよりも一辺倒というか、突貫工事感ありませんかという気もしてしまうので早々に二軍行きになってしまう人もいるんじゃないかと正直思う。

これまでのアルバムがそういう意味では完璧過ぎたのかな。贅沢な話だなー本当。彼らが続いてくれて本当に嬉しい。もうそれだけです。

 

またー。