性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

飲んだ後の散財はコンビニ派?スーパー派?

金曜日の飲み会の後にコンビニでスイーツだのおにぎりだのを500円分くらい買って食べ足りない分を補う癖がついてしまっている。
先日、たまたま飲み会が早い時間にお開きになったのでコンビニじゃなくてスーパー寄ったら酔ったらコンビニに比べて単価が安過ぎ、種類も膨大で目が滑ってしまい何を買えばいいのか決めきれず、安いせいで普段の食材買い出しモードも目覚めてしまって野菜などを眺め始めてしまい、その癖酔って散財しに来ているのに普段より割高な商品は買いたくないという矛盾した状態に陥ってしまった。最終的に普段コンビニで買う金額程度をカゴに入れて満足させようという結論に達し、翌日以降の夕飯時に使える特売の舞茸やら焼きそばを買ったりしていたしチョコレートもコンビニなら350円のものを買うのにスーパームーブでその横の80円の板チョコを買ってしまって何の買い物なんだという結果となってしまった。勿論散財感もなく、単に必要な物にオマケで100円以下のお菓子を1つ買ってもらう幼少期のような結果に全然満足いかず、コンビニって凄く有用で煌びやかなのだなと改めて思うと共に恐ろしさも感じた。ブランドと普段使いのユニクロみたいな差を感じるというか。
ただ、この消化不良は自分の不慣れさがもたらした結果と考えると経験値を積めばそのうち満足な買い物が飲み会後のスーパーでも出来るかも知れない。
少し前に本で読んだ話だけど、アリは「ここに餌がある」と解っていても5回に1回はそこではない場所に行く事を選ぶという実験がある。自然界では常に同じ所に餌があるとは限らないから、5回に1回は別の可能性を探す事が生きる本能としてあるかも、という分析がなされていると書いてあった。
つまり、飲み会後の5回に1回はコンビニではなくスーパーで買い物をする事によって、飲んだ後の散財意欲をスーパーでも上手く満たす事が出来る様になるのでは、という事である。
何も繋がっていないというか、ズレた連想で接続が成されていない事は気付いてはいるが、まあそういう事を考えた。たまには普段聴かない音楽を、普段観ないジャンルの映画を、普段食べない料理を、そんな感じで選択の可能性を広げていけば、より自由に、これまでより少し広い範囲で暮らしていけるのではと前向きに捉えておきたい。


それはそうと「アートのお値段」を観て、現代アートとは何なんだろうと思った。現代アート市場を舞台に、競売にかけられる作品を通して作者と市場関係者両方から見た芸術の価値の差についてのドキュメントだった。
大好きな吉住さんも「死後に評価されたくない」みたいな事を言ってて、それはマジ腹の足しにもならないもんなと思っているけど、評価されたとしても転売や競売で莫大な値段がつく現代アート作品と、それを悩ましく思っているアーティストとの温度差があって興味深かった。
売れる作品、求められる作品と創りたい作品は違うし、前者はあくまで流行としての要求、資産としても勘定された要求で、それに対する創作意欲の相性の悪さが色濃くてビリビリしていた。
勿論芸術家が作品を発表してくれなければ成り立たない市場ではあるけど、その芸術家が活動していくにあたって有用な場である事も間違いなく、同じ作品を見ているのに何だか捉え方が違って面白かった。
僕もアート作品を結果的に何点か所有している。
気に入っているのが大前提ではあるけど、眺めていると何となくその作品のことを考えられて、その間は余計な事を思わなくていい。
そういう接し方が正しいかどうか解らないけど、これからも好きな作品があれば触れていきたいなと思った。
別日には「処刑人」を観た。
双子が街にはびこる悪人を処刑しまくる、という映画だった。そもそも信仰というものと縁が薄いので神の啓示というものにどうしても超常性を感じてしまうんだけど、生活の根幹にあるというのは自然と行動に現れるのかなぁ、と洋画を観ていると度々感じる。この作品もそうだった。
処刑を執行する双子がそれこそ神様のご加護があるかの様な体当たりっぷりでそれを成していて爆破が無くてもしっかりド派手で面白かった。
処刑現場を捜査する側のキャラ強っぷりと考察シーンも格好良く、最近では見ないようなブラックアウトでの場面転換だけがあまり合わなかったけれどそれ以外は楽しめた。
続編もあるらしいけど、私刑を重ねる2人がどうなっていくかというより「この先もこうして行くのか」と想像している方が面白そうな気もして続きを観るかどうかは未定。
猫がショッキングな亡くなり方をするので苦手な人はやめといた方が良いとは思った。


本当は「アリスとテレスのまぼろし工場」の雑感が書きたいんだけど日記が長過ぎて断念。


またー。