性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

ナナイロエレクロリックソカワパーティー

以下、ライブレポとして中身に触れて無さ過ぎて全く機能してない個人の感情語り倒してるだけなので期待しないで欲しいし、了承頂けなくてもどうでもいいです。

 

2019/10/05

大森靖子さんのライブを観に梅田クラブクアトロへ行く。

クアトロの足元に埋まる泉の広場が完全に閉鎖された姿を初めて観た。交差点の地下に噴水の広場を作ってしまうという何をどうしたらそういう発想になるんだろうという広場だった。

駅から伸びる地下道の果て、水の匂いが充満し、明るさが妙に足りず何とも気怠い、通る人から何かを吸い取って永らえている様なRPG感のある空間で、心底ゾッとした都市伝説「赤い女」の舞台でもある。あれ考えた人、どこの誰なんだろう。怖過ぎて一時期マジで通れなかったから一発殴らせて欲しい。

工事看板に印字された通り、予告された終わりがその通り迎えられただけ。それに対して感傷に浸る程の思い出もないのだけれど、何度も通った道が塞がれてしまう事に時間の流れを見て、もうそんなに生きてきたのだなぁという感想を抱いた。

結局、何を通しても欲しがってしまうのはそういう生を実感出来る何かなのかも知れない。些細なことでも、大層なことでも、自分の手でそういうのを用意することを放棄した人たちはそれを実感出来る何かを外から得ようとする。そういうもので世の中は成り立っているという考え方は年々強くなる。

人という字が支え合っているなんてのは弱い者の都合の良い解釈だと思う。もたれ掛かって、縋って、自分より強い者に頼って生きている。じゃあ強いとされた方はどうしたらいいんだろう。大差ないのにそういう役割を果たせと言われる側は、足踏ん張って胸を張って背伸びしてまで騙し騙しやってかなきゃいけないのかよ、などと言う様に、たった二画の漢字のことを時々凄く考える。芸術も、宗教もそうやって考えた末の拠り所として生まれてきたんだと思う。より大きなものに肯定されたい、救われたいという気持ち、あとは自分だけじゃないと思いたいその気持ちを随分とまあ美しく、まるで正しいものであるかの様に導いてくれるもの。生きてると思いたい。生きてていいと思いたい。

自分のそんな感情について考えると、心底苛立つ。口の中が苦々しく、言葉は刺々しくなる。自分で自分をうるさいと思う。ガッカリだ。

大森靖子さんのライブは、それをいちいち全部並べて1個ずつ光を当てて、こうすると綺麗に見えるんだよと教えてくれるライブだといつも思う。

光を当てて白飛びさせてしまえば大体のものは綺麗に見える。カメラアプリと同じ様に。

ただ大きく違うのはカメラアプリで補正を掛けるのは自分自身だけれど、こちらは大森さんが大森さんの言葉で補正を掛けてくれることだと思う。人にその人の言葉で自分の気持ちを間違いでないと言って貰えると心底安心する。感情のキュレーター大森靖子

ただ頷くだけでなく、自分の言葉で返してくれる、果てしなく手間が掛かって回りくどい方法をずっと続けてくれる人だな、と大森さんのライブを観ているといつも思う。

長いツアーで喉を酷使して、それでも全身を大きく使いながらそういう事を届け続けてくれる姿を観て本当に励まされる。お陰で自分に対して頷いてあげられるエネルギーを引っ張り出せる気がする。面倒ばっかだけど、もうちょっと頑張っていくしかないよなぁ、みたいな。

そんな気持ちになった。

あと、単純に曲が格好良いから凄い。

クソカワpartyの収録曲やでBPMがガツガツしたものを音源で聴くと30代特有の邦ロックのダサさで溢れかえっていて世代的に「2019年にまさかこの純度でかまされるとは思ってなかった」と何とも言えない気持ちになることもある(大抵その時は自分の気が滅入っているのでバロメーターとしても非常に優れている。そういう時は何故か浜崎あゆみTOKIOの長瀬のことを思い出す)んだけど、ライブで音としてもプレイスタイルとしても躍動している様を見せ付けられると鈍器で殴られる類の凄みがあって痺れる。family nameも冗談じゃない執念を見せ付けられた気がしてハッとする。チムドンドンの漫画を思い出す。俺もチムドンドンしたい。最高にチムドンドンしたから。ギャグにしたい訳ではなく、それくらい執念というものは周りから見るとウケてしまうのかも知れないと思っていて、例えばバッティングセンターでホームランを打ちたくて球数を打てる様になりたい一心で手首の強化に努めた話をすると割と笑われるんだけど僕はクソ真面目に言っている訳で、そういうものなんだなと思って、それを思い出してハッとした。悪い傾向じゃないんだよな、そういうの、みたいな。

最近はピエール中野さんのドラムがバチクソに活きるタイプの曲が多いのもあって、どの曲でもドラムが格好良い。それでいて目立たない叩き方をするのがえげつない。

ギターの畠山さんもバンマスとして引っ張るし器用に表情を変える演奏だけれど畠山さん!!!って感じにならないのが凄い。戦隊ロボみたいな感じで、メインはレッドが操作してるけど他の隊員もエネルギーを確かに送り続けいて、大きな大きな大森靖子を動かしている様な印象を受ける。夜のスーパーヒーロータイムだと思った。

曲単位でどう、みたいなの時間が経ち過ぎてて薄れているんだけど、歌詞飛びまくってても、伝えたい言葉が溢れかえってる大森さんの姿を見せられると、ここまでしてくれる人がいるんだからもうちょっと頑張って暮らしていかなきゃいけないよな、みたいなことを思ったことは鮮明に覚えているのでそんな感じでした、という終わり。

ライブの後、餃子を食べ、友人の営業ネタに覚えたというELLEGARDENのジターバグを聴いた。そういう風にしかやっていけないんならそういう風にやってくしかない。新鮮で面白かった。

 

2019/10/18

相変わらず映画「プロメア」の夢をみる。

自分がどこに感情移入しているのかいまいち判然としない。ただ、スポーツの試合を観ている様な気持ちになるのは確かで、リオとガロにそれぞれ別々に想いを託している気はしている。

プリキュアがんばれ現象とはこういうものなんだろうか。知らんけど。

そんな夢をみたあとはあまり疲れが抜けておらず、大事なライブがあるのにな、という気持ちになるものの感覚としては部活で夏の大会初日の2試合を勝ち抜いた2日目の朝というニュアンスで案外悪くない。疲れはあるけど今日も試合が出来る的な。

午前中はバリバリ仕事を片して午後から半休。

インテックス大阪へ、ナナイロエレクロリックツアーを観に行く。

ナナイロエレクロリックツアーというクソダサい名前のイベントはASIAN KUNG-FU GENERATIONストレイテナーがやってた企画にELLEGARDENが加わってえらいことになっていたもので、15年ぶりにそれが開催されるという事でチケットを手に入れられたので行ってきた。

自分の中では高1でストレイテナー、高1の終わりにエルレ、そして大学1年にアジカンという順番で当時のナナイロを知る身でもあり、年季が入っていて眩暈がする。歳を取ったという実感に涙が出て死にたい気持ちで一杯になると同時に、まあ上手い事ここまで勝ち抜いてきたよなーという変な達成感を抱いた。

まだ名古屋と東京が残っているのであまり内容に触れない様にしたいけれど、どうしても曲名を書きたい部分もあるので嫌な人は読まないでいて欲しい。そもそもここまで2900字くらい書いているので9割以上が立ち去っている気もする。最初の30秒で掴めないとリスナーは去る的な。

ストレイテナーは2019年のストレイテナーを見せ付けつつ、時折過去のハイライトたる曲を織り込んでくるセットリストだったと思う。

ストレイテナーは一番長く観てきおり、メンバーも2→3→4人と増え、ボーカルの技量も一番伸びたなぁと都度感じさせられるバンドで、二組に比べれば派手さはないけれど確実に表現が多彩になり続けた成長する末っ子という感じで本当に頼もしかった。こんなにメンバーが増えて嬉しい気持ちになるバンドもいない。

「幸せになろう」みたいな年相応なメッセージを送りまくっていたのには笑ってしまったけど、その言葉に説得力を持たせるだけの曲をストレイテナーは生み出せる様になっているんだなと思い知らされた。良い意味でファンタジー一辺倒だった時代から、今、日々の暮らしを彩る地に足つけた歌が歌えるまでになったのかと思うと凄く励まされた。

高校生が時を経てサラリーマンになる様な。その中で演奏された「REMINDER」に変わらない根っこを垣間見て少し泣けた。

 

ASIAN KUNG-FU GENERATIONは、好きになったり嫌い(というよりは苦手)になったりと思い出の多いバンドである。君という花咲かなくて良くね?な時期もあったり、いや別にリライトせんで良くね?という時期もあったりした癖に常に好きという起伏が多くて忙しない思入れがある。

同じく来ていた大学時代の友人と会場の外でビールを飲みながらリライトを聴き、ゲラゲラ笑ってしまった。リセットとリライトの違いを何故か東京03に引っ掛けて考えていたけどビールでサッパリ洗い流されてしまっていて言語化出来ない。その程度の話なんだと思う。

アジカンアジカンの表現で「ありがとう」を伝えまくっていてイベントのアニバーサリー感がエグい。同窓会を通り越してシルバーホームみが出てきている。ありがとうの言い方及びゴッチの顔が友達に凄く似ていて友達に対して腹が立った。俺のゴッチの威厳を返せ。

これ以上の名曲はあるのかと思ってしまう広がり続けるギターの「サイレン」、フラッシュバックや振動覚にない圧倒的な重みと打力を両立した「Easter」など、リアルタイムで聴いていて完成されたバンドだと思っていた彼らの表現力にまだ先があったのだと感動するステージだった。サイレンは本当に今のアジカンが一番映える曲なのではと改めて驚愕した。リアルタイムでシングルを買った時の衝撃を僕の中では超えた。初聴を超えてくるというのは尋常でないと思う。

 

ELLEGARDENを観たら死んでしまうと思っていた。

好き過ぎて、聴き過ぎて、待ち過ぎた。

絶対にまた観れると信じていた一方で、次に観たらもう全部どうでも良くなってしまうんじゃないかという怖さがあった。

大森靖子さんが全てを言語化して救ってくれる存在なのだとしたら、細美武士は腐った所を全部並べてうるせえ生きるぞと発破をかける存在だと思う。大森さんが天使なのだとしたら、細美さんの視点は肯定というより事実認定に近く、翻って残酷さとも取れるソレは超然的なので神なのかも知れない。

結論として、ELLEGARDENは相変わらずELLEGARDENであったけれど、ナナイロエレクロリックツアー仕様というか、カムバック仕様の祝賀会編成のセットリストだったことが功を奏してメンタル的に持っていかれることも少なく、リハビリとして本当に良いライブだったと思う。各々の中にある「あの日」のツアーTシャツを引っ張り出して会場に駆け付けた人たちにはきっとこの感覚が伝わるんじゃないかと思う。

当たり障りのないセットリストで、大声で歌う感覚、飛び跳ねる感覚、拳を突き上げる感覚を1つ1つ思い出させてくれる愛おしい時間だった。

唯一、この尺で演奏されると思っていなかった「金星」でボロボロに泣かされてしまったけれど、まあこれも演出的にはナナイロエレクロリックツアー仕様だったので振り切れて戻って来れないなんてことも無く、「無事に帰して貰えた」という言葉がしっくりきた。

「今度はもっと小さいハコで会おう」という趣旨の細美さんのMCを「次は容赦しないぞ」と勝手に読み替えて(完全に誤認である)、観たかったELLEGARDENではあったけれど会いたかったELLEGARDENかと思うと少し違った違和感が腑に落ち、単純に楽しみに待とうと思った。

少しずつ、自分を犠牲にすることで何となく上手くいくことを覚えて、それが自然になって、どんどん過剰になってもう麻痺してしまった毎日の中で、何を犠牲にしても自分を守ってやんなきゃいけない、という気持ちを少し思い出さされるライブだった。

 

ここまで自分の話ばっか書いてるの凄いな。思想及び死相でも出てんのか。

 

またー。