性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

射抜かれ、痺れ、受け取ってばかりの宅配ボックスみたいな週末。

水野しずさんの「親切人間論」を読んでいたら「理由や前触れもなく突然熱海などに移住しましょう」と書かれていて、かなりデカめの矢で射抜かれてしまった。マジそれ過ぎる。
そして、直近に大阪の郵便局に密着したドキュメントに登場したおじいさんの事を思い出した。
そのおじいさんは夫婦喧嘩した(という理由があるが)結果、家出してやろうと四国の縁もゆかりもない街の公営住宅への入居申請用の書類を送付しに来ており、彼の自分を大事にする為のその行動力というか、自由さに驚かされた。
自由さ、というのも身勝手な意味なんかじゃなくて、これまでもこれからも努力していくけどなという己に対する責任感をしっかり持った上で好きに決めますわという感じで、この計画が実行されるかどうか知る由もないけれど、どうなっていようがきっと納得されるんだろうなと思った。
社会の仕組みなんて話でなく、単純に1人の人間としてこれくらいの自由さを持てやしないものかと自問するも、何というか恐らく享受しているものの大きさに躊躇ってしまう時点で「この下駄を脱いだら僕は普通に歩けるんだろうか」とビビっているという事なのでまだそういう資格を持っていないのだろうと感じた。
などとすぐに尺度が大きくなってしまって勝手に映画か漫画かよくらいの撮れ高に走ってしまうお悩み癖をどうにかしないとなと思う。
もっと単純になっても良い。
何かケーキ屋さんやお花屋さんでこれが欲しいと選ぶくらいの感じの素直な選択が少しでも増やせたらいいなと思う。


それはそうと宝塚歌劇団宙組公演「カジノ・ロワイヤル〜我が名はボンド〜」の千秋楽を配信チケットでライブ鑑賞した。
ここ数年、縁あって数作品鑑賞した宙組の男役と娘役のトップ、そして組長までもが退団されるという事で、楽しい思い出をありがとうという気持ちで観た。
ご贔屓もおらず(真彩希帆さんがとても好きだったけど推しという程までいかなかった。桜木みなとさんが推しになるかも知れない)、組推しでもなく、箱推しどころか興味のある演目を観られたら幸せ程度のファンからしても幸せな千秋楽だった。
誰かの一瞬の出来事から生涯までを毎日毎日繰り返し生まれ変わって演じるというのは、どれだけの想像力や表現力、エネルギーを要する事なのだろうとそのとんでもなさにクラクラする。
更にその中で確実に自分の魅力を伝えていかなければならないという宝塚歌劇団ならではの困難さも相まって、観る度に「只事ではない」と頭が痺れてしまう。勿論感動してるし、美しさを見てしまった!みたいな興奮もあるんだけども、その痺れが僕にとっての宝塚の一番好きな所だと思う。
また劇場に行きたいな。
世界配信までしてしまう宝塚の、世の中の推し活とは逆行するファンイラスト禁止などのコンセプトのガラパゴス化は世代交代が進むお客さんの中にあって今後どうなるんだろうと思うけど、小料理屋の女将さんに「結局、きちんと好きな方はきちんと寄り添って行かれる」と教えて貰ったので、まあ無事にそうやって伝統が続いていってくれたらなと考えるなどした。


またー。