性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

映画「みなに幸あれ」に対する妄想の数々。

仕事疲れと「哀れなるものたち」の先行上映に押し出されてしまい1週間遅れで「みなに幸あれ」をようやく観た。

予告編、テーマ曲のBase Ball Bearの「Endless  Etude」の歌詞から推測するにかなりアリ・アスター的な不穏さ、それもヘレディタリーよりもミッドサマー方面な気がしていてワクワク二割、不安八割という状況だった。

加えて年度末で有給休暇が9日も消滅することを知り、そのホラー映画を凌駕する恐怖に慌てて申請した。

年度末の業務量に疲弊しているのにわざわざ外出し、映画館で2000円払ってホラー映画を観るというのは没入感があって良かった。勝手に更なる緊張感をコンディションで演出しているというか。

 


短編ホラーのコンペで大賞を受賞された監督が副賞として長編作品として撮り直したという位置付けの作品との事で、日本においてそんな夢のようなボリュームの副賞を与えてくれる素晴らしいショーレースがあるというのは映画を観る側としても滅茶苦茶有難いなと感動してしまった。

 


ネタバレにならない程度に内容を紹介すると、祖父母の家を訪れた孫娘である主人公が「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」ということを我が身をもって思い知る物語である。

何のことやらという感じだけど、世の中にある幸せと不幸せの総量が100だったとしたら、自分たちがより幸せになろうと思えば誰かがより不幸にならないとバランスが保てないよね、という価値観が根付いた村の秘密に気付いた主人公がそれまで考えもしなかった宿命に追い立てられる、という。

心霊的な怖さは無いけれど、とにかく精神的に追い込まれる感覚になるので立派過ぎるほどのホラー作品だと思う。

 


色々妄想が捗ってしまい、これ以降はネタバレを含んで書きたいのでNGな方はここまでにしていただければと思う。

それと特にインタビューなどを何も読まずに映画で感じたことを書いているだけなので、これは考察なんてしっかりしたもので無いという事をご了承ください。

ただの受け手の妄想なので「間違ってる」とか「考えすぎ」とか言われても「そうですよ」でしか無いので。

これを読むのは内容を把握されていて、人の妄想まで目を通してしまえる奇特な方という前提で思いついた順で各要素への雑感を書いていきたい。散らかっててすいません。

関係ないけど、招かれた部屋が散らかってて足の踏み場もないからベッドに座ろうとしたら怒る奴いますよね。何なんでしょうねあの人種。掃除してから物言えよな。

 


【『誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている』仕組みについて】

この仕組みを人為的に生み出す為に、祖父母の村では人を監禁し、人権やら尊厳を尽く取り上げる事で不幸漬けにし、その不幸分だけ自分たちがより多くの幸せを得るという事を長年続けている。

その行為を特に名付けたりしていないので指し方が難しいのだけれど、個人的には呪いだと思うのでそう呼びたいと思う。

主人公の祖父母にとっての最上の幸せは劇中で祖母が妊娠・出産することから「子宝に恵まれる、子孫繁栄」だと僕は感じていて、その奇跡を成り立たせるほどの幸せを得る為に同等量の不幸を監禁した人(こちらも明言されていないけど人柱と仮称)に背負わせていた。

人柱の何らかを利用して作られた味噌を日常的に食べているのも体内に取り込む事でより効果がありそうな行為だなぁと邪推が本当に捗る。

一族がただ幸せに暮らす為だけに日常的な不幸の類も押し付けていたのだとしたら相当量の負荷だと思われるし、実際その人柱が亡くなった事で相当量の幸せを享受した反動で呪い返しの様に死が家族全員に迫ってくる。

出血、痙攣を経て最後は笑いながら死ぬという呪いの反動の症状が語られていて、貰いすぎた幸せの反動で笑いながら死ぬというのは最後まで幸せに固執した人間の末路っぽくて怖さがある。

そんな状況においても家族にいまいち死の恐怖がないのは「幸せボケ」によるものなのかも知れないなと思いながら観ていた。幸せしかない状況でずっと生きてきたからボケてしまって重く受け止めきれないのでは、というか。

幸せかどうかを度々問いかけたり、幸せであると述べたりしているが、幸せボケしてしまって具体的に何が幸せを指すのか解らなくなってしまっている様な印象も受ける。

愛情表現も相手の指を舐めたりとかなり直接的な接触に頼っている所も見失ってるのでは感が個人的には増す演出だったと思う。

一方で人の分の幸せを奪って生きてきたという自覚もあるから、奪われることもあるよねと認識しているのかも知れないとも思った。

 


【どうして主人公は今までこの風習に気付かなかったのか】

祖父母宅で行われていた呪いの影響(出血等)が離れて暮らす主人公たちにも現れたのは、自分たちがその呪いで幸せを享受して発展してきた事で反動の対象になっていたのかなと感じた。

その主人公がこれまで気付かなかった(子供の頃に観た事を忘れようと思い込んでいた可能性はある)のは、同級生の彼氏に言われた「まだサンタクロース信じているんですか」みたいな言葉からして、教わる・気付く年齢には村を離れて暮らしていたからというのがあるのではと思った。

 


【この風習はこの村だけのものなのか】

主人公の一家が祖父母から離れた土地で暮らしている事、主人公が東京に進学している事などから、それなりに広まっている可能性はゼロではないけれど、そもそも他人がこの呪いを利用して幸せになってしまうと自分たちが得られる幸せの量が減ってしまう→それは困る→秘密にしようとなりそうなものなので、あくまで村に関係する人たちだけに根付いているというのが一番しっくり来るのかなと思っている。

冒頭とラストに出てきた老人も、見ず知らずの若者に親切にされる幸せを享受していることから同じ呪いを利用している可能性もある。(最初から物騒過ぎたのでそう妄想してしまう。自分たち老人のせいで若者が犠牲になる、という物言いは呪いと親和性が高いので)

冒頭で手を差し伸べた主人公がラストで老人を見て見ぬふりをしたのは、幸せの総量を知ってしまったことからすべき親切を選ぶ様になったのかなと思った。

主人公が外の世界にはそんな呪いがないと思っているのか、外の世界にはそんな呪いがないから自分は人より幸せでいられると思っているのかを考え始めると「どっちが怖いかな」と勝手に盛り上がってしまう。

ラストの住宅街で窓越しに目が合いカーテンを閉めた女性は人柱の役割を負っているのか、単に主人公の笑顔が異質で怖かったのか解らないけれど、どっちにしても怖いなと思う。

 


【誰が人柱の対象になるのか】

人柱を逃して死なせてしまった主人公は、家族に「新しいのを探してこい」と言われていた。

つまり素質など関係なく、誰でもいいのだという事。

加えて、人柱の死体を焼いた現場での近所に住む老婆からの「うちはやめてね、年寄りばかりだから」という発言から寿命が長く続くほど人柱に適していると示されており、同級生にも「手伝ってあげようか」と言われたことからもナンパなどして同世代を連れてきたり子供を攫ってきたりと言うのがこれまでもあったのでは、という想像に至った。

自分たちも人柱になる可能性があるはずなのにギスギスしていないのは共犯意識なのか、自分たちは幸せを得ているからそんな目に遭わないと思っているのか、個人的には後者な気がしている。

主人公がアテもなく家に帰った際に老人を人柱にする為に家族がもてなしていたのは、長くもたないとしても繋ぎ役として期待したからだと想像出来る。

 


【幼馴染は不幸だったのか】

登場した家族の中では村で唯一、人柱を立てていない家で病気に罹った父親と暮らす主人公の幼馴染は、呪いが倫理的に間違っていると判っていながら、父が病気になり、そして亡くなった事で自分たちは不幸で、それは呪いを利用していないからだと言っていた。

ただ、周囲が幸せを当たり前に多く得ているせいで自分たちが不幸に見えているだけで、幼馴染の家は村で唯一の「どこにでもある普通の家」だったんだと思う。

年老いた親が病気になるのも、結果亡くなるのも当たり前の事で、何より過剰な幸せを得るには人柱に不幸を押し付ける為、それをしないと言うことは普通でしか無い。

普通のことが異常になるほど呪いに関わらないことで村八分状態だった事が伺えて辛い場面だった。(祖父にも幼馴染に関わるなと言われていた)

呪いを取り入れている村人からすると、やれば幸せになれるのに実行しない人たちは理解出来ない余所者のような扱いなのかも知れない。

一方、呪いに関与していないのだから村の外にさえ出てしまえば解放されたはずでもあり、最終的に孤独になってしまった自身を人柱として主人公に差し出すという悲し過ぎる結末を迎えて泣きそうになった。

想っていた彼女を死なせない為、幸せに暮らしてもらう為に犠牲になると言うのはそこだけ文字にするとラブストーリーみたいだなと思わなくもない。趣味は果てしなく悪いけども。

それはそうと老人の妊娠・出産という超常的なものは別として些細な幸せは気の持ちようみたいな部分もあるので、呪いを行使している村の人たちは幸せを追い求め手に入れ過ぎた結果として本来の幸せの意義を見失っているかもな、と幼馴染親子の互いを思いやる姿から感じてしまった。この親子が一番幸せに近かったのかも知れない。

 


【主人公の父の姉について】

村から逃げるように山奥に暮らしていた父の姉(主人公の叔母)は呪いから逃れようとしたもののその中で生きてきた事を受け入れた結果、自分も同じことをしていると受け入れられずに壊れてしまったのかな、と思った。

主人公がその姿を見る事で「自分も逃げられないんだ」と感じたかどうかは解らないけど、自分が図らずも(というか叔母に謀られて)手を下した事で意識せずにいられない状態に追い込まれたのではと思った。(だから夢で人柱と家族の団欒?をみたのかなと)

 


【名前がない】

90分近い作品にも関わらず名前がついている登場人物が一人もいない。

全員が立場、役割を表す呼ばれ方をしているのが印象的だった。

名前がない事で観ている側としては切り離せず、自分の立場や自分の家族がどこの役割なのかを連想しながら観る羽目になってしまい、お世辞にも気持ちの良い体験ではないが、作品側からすると狙い通りなのかも知れない。

酷い目に遭った気がしている。

 


【エンディングテーマ】

冒頭に述べた様に、かなり映画の内容をマッチした歌詞と不穏ながら踊るように流れていく楽曲が良かった。

単純に曲が好きで聴いていたけれど、今後聴く度にこの映画を連想することになると思うと複雑な気持ちになる。

映画館の音響で聴くエンディング用のアレンジが凄まじい破壊力で、小出氏の映画愛、ホラー愛、プロデュース力が遺憾無く発揮されていて最高だった。

 

 

 

まとまりもなく長文になってしまったけど、僕の中で「みなに幸あれ」はこんな感じでした。

ホラーという器に入っているけど、自分さえ良ければ、家族だけ上手いこと行けば、という世の中から感じる風潮をしっかり投影した芸術点が大変に高い胸クソ映画にもなっているのと思うのでしっかり刺されてしまった。

 

重ねて言うけど、ここまで書いた全てはあくまで無理筋の妄想の産物なのでご了承くださいね。

あなたは今、幸せ?

 


またー。