性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

心でなく腹部のエコー写真に映画の場面が焼き付いている症例。

健康診断で腹部のエコーを受けながら、技師の方の「息を吸って・・・止めて・・・」と言う消え入りそうなボリュームの声を聞き逃さない様に聴覚に意識を集中させていた(隣のブースの技師の声の方がよく聞こえるので「もしかして聴力の診断も兼ねているのでは」と思ったほどである)ら、検査が終わったらしい隣のブースで男性患者がエコー写真が貰えないかとお願いしており、技師の方もそれが何故なのか分からず困惑している会話が聞こえてきた。

自費の検査で気にしているならまだしも、健康診断で撮った写真を欲しがる理由は自分の中で全く見当がつかず、また技師さんからしてもイレギュラーな事だったようで、どうして良いか解らずに困っている様だった。

どんな理由で腹部のエコー写真が欲しいのだろう。きっと何かしらの理由があって、それは話したくない事なんだろうか、そんなことを考えているうちに自分のエコーを担当してくれている技師さんの小さな声を無視してしまっていた様で、腹部に押し当てられている機械でお腹をグリッと強めに抉られて、咄嗟に「すいません」と言い、大きく息を吸い込んだ。

支配されている、健康を盾に絶対服従ってやつかと思うと、何と言うか隣のブースの患者さんの希望も必要性という枠からはみ出た反抗の様な気がしないでも無いな、と思いながらその後の検査を受けた。

即時結果が分かるものに関しては前年とまるで違いのない数値で健康極まりなく、本当に1年を過ごしたのかな、自分だけ1歳若いまま年齢を留めてくれたりしないのかなと思いながらその日を過ごした。

 

最近、平日にも土日にも映画を観る。

途中で止めれば二時間近い映画でも余裕のない日にも鑑賞できる事にようやく気付き、その方法を導入した。

まぁ余裕というのは作るものであるので、それが捻出できない自分において優先順位が低いとも言え、あまり自慢げに言うほどのことではないのだとは思う。

何となく映画を観たいと思って「バグダット・カフェ」の気怠くなってしまいそうな暑さと、どこへも行けない中の自由みたいなものをボンヤリ眺めた。

コーヒーの濃さにお国柄を通り越してキャラ立ちを垣間見れるのは素敵だなと思うと、他の作品でもコーヒーの飲み方で割とその人の雰囲気が感じられたりするよな、と思った。ホテルもモーテルも何となくホラーやサイコスリラーの舞台になることが多いけど、こういう小さな幸せ系(人生としての変化は大きいけども)も良いものだなとしみじみ感じる。

また別日には「マグリナント〜狂暴な悪夢〜」を観た。何となくパワー系のヤバいやつが出てくる映画が観たいなと思いながらプライムビデオを適当に漁っていたら辿り着いた。何を書いてもネタバレになりそうなので詳しく書けないので、ヤバい身体能力の連続殺人犯が出てくるホラー要素もある映画と言うに留めておきたい。発想の一点突破でしっかりエンタメに振り切っており、超満足した。

2日に分けて観たのだけど、たまたま丁度前半から後半の分岐くらいのタイミングで持ち越した様で、前日の内容を自分で整理して後半に挑めたのも良かった。思っていた通りの仕掛けで思っていた通りの展開だったけれど、視覚的に予想を上回る派手さで凄く楽しめた。内容を知ってしまうと2度とこの新鮮な楽しみ方は出来ないのだろうな、と思うと残念ではあるけれど、知らない映画が星の数ほどあるので次の出会いに期待したいと思った。

その他には朝早くから「ユージュアル・サスペクツ」を観て、どんどん明るくなってくる外に対して基本的に夜に物語が動き続けるので「朝に観る作品ではなかったかも知れない」と後悔しつつ、結局面白くて最後まで見続けてしまった。美学も躊躇いも大きな恐怖の前に揺らいで、遠くに見えて「そこにあるぞ」と思っていた破滅へ向けてワンチャン狙いで突っ込んで行かなくてはならなくなる主人公たちの苦しさにゾワゾワしたし、感じていた会話の違和感もしっかり明かされ、しっかり寝て早起きしたはずなのに徹夜特有のギンギンした感覚になってしまったので、立て続けに「ドラゴン・タトゥーの女」を観てしまった。

昔に映画館で観た予告の雰囲気からバリバリのアクション映画なのかと思っていたけど、かなりミステリー要素が大きくて意外だったけれど、ダニエル・クレイグ氏の善良なパパっぷりと娘と同年代のヒロインに終始押されっぱなしの愛らしさ、猫ちゃん愛でパートなんかも意外な良さだったし、ルーニー・マーラさんのスタイリッシュなビジュアルと知的ながら自己防衛本能全開な姿にはビリビリ来た。

割とロマンス要素で好みが分かれてしまいそうだなと思うんだけど、ロマンスじゃなくてヒロインが欲しくて手に入らなかった人生への望みを主人公に垣間見れたんじゃないかと思うと凄く切ないというか、それでも信頼出来る繋がりを得られたと言うことが彼女の糧になってくれたらいいなと願わずにはいられないし、続編もあるので早いとこ観たいなと思っている。

最後は「文芸版プラダを着た悪魔」と言う、宣伝の仕方としてはリスペクトもへったくれも無いコピーが添えられてしまった「マイ・ニューヨーク・ダイアリー」を「きっとそれだけじゃねぇだろ」と勝手に反抗的な気持ちになって、これを書いている今日の朝に観た。

プラダを着た悪魔」と言うフレーズから脳内に米津玄師のKICK  BACKが流れるオタク脳。チェンソーマンの中でハイブランドの悪魔ってどれくらい強いんだろう。恐怖というよりは畏敬って感じだろうけども。

作家を夢見ながらも出版エージェントの職についた主人公が、職務であるサリンジャーへのファンレターへの返事を通して読者の人生や想いに触れ、やっぱり作家を目指したいぜ!という気持ちと向き合うかどうかというあらすじの作品で、だとしてもプラダを着た悪魔みたいにライバルとバチバチとかじゃなく、感情に振り回されながらも手放さず、尊敬に値する行動力で生活を切り開いて進んでいく良い作品だと思った。

サリンジャーのファンの手紙を書く人たちがX(旧Twitter)にいる文学的に140文字を使い切る天才と近い価値観で迫ってきて、やっぱりTwitterは文学的側面があるし、それがXになっても残って欲しいなと明後日なことを思ったし、本が好きな人や詩が好きな人はこういう事をどうしても考えちゃうんだろうなと思ってしまった。返事なんてどうでも良くてファンレターを書くほどに好きな作品に出会いたいなと思うし、これまで書いてくれば良かったと思う映画だった。

何となく始めた習慣なのでそのうち飽きるんだろうけど、それまでに何本か映画が観れたらいいなと思いつつ。

 

またー。