性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

2016.12.31〜2017.01.01 股下89/壊れかけのテープレコーダーズ/Maison book girl/大森靖子を観てきました。(@新宿motion/LOFT)

12/30

掃除、買い物を朝から精力的にこなす。

帰ってきたらポストにT.M.Revolutionのファンクラブ会員証が届いており、完全に乙女のリアクションであったと自負している。

忙しい最中、疲れた心と体を引きずって毎夜ポストを開け、年内には間に合わないだろうと自分に言い聞かせながらもやめられなかった。

それが年内に届いたので興奮のあまり「はぁー!!」「ふぅー!!」だのよく解らないハ行の感嘆詞を垂れ流す。

ファンクラブの会員規約に並ぶ「西川貴教」の文字の多さに幸せを感じた。西川貴教じゃなくて「西川貴教」ですよ。ねえ?わかる?ねえ?

ファンクラブ会員限定コンテンツを食い入るように見る。中でもスタッフによる日記が大変素晴らしく、何を食べたとか何処に行ったとか書いてあるので大事に読まねばなるまいと正座して読んだ。

午前中頑張り過ぎたので午後からはダラダラして過ごす。買ったCDをのんびりと聴く。最終的にファミレスで夕飯を食べてあっという間に就寝。

 

12/31

 朝から東京へ。

そのまま奥さんの実家に帰るので本を持参するもピエール・ルメートルの文庫の新刊で、昨年もやっぱりルメートルの本を読んでおり、いつもカミーユという刑事が悲惨な目にあうし彼の周りでバンバン人が酷い死に方をする。ミステリーというよりサイコに近いのではないかと思うのだけれど、それを奥さんの実家に持っていくというのは何がそうさせるのだろう。

その前の年も別の作者の洋モノのミステリーを持って行っており、流石に3度目となると奥さんに悩みがあるのか軽く心配されたが、特に何もないし、まあ気付かないでしょうと高を括って持参。読みたいものを読みたい。意外と頑固なのかなと後輩に漏らすと「頑固じゃないけど意地は悪いですよね」とのこと。お前の年賀状にしっかり皮肉書いといたからな。

本が面白くて新幹線はあっという間に東京。今の所2人悲惨な死に方をしている。序の口である。

 

新宿motionにて昼からライブ。

股下89

パンクなのかオルタナなのか、両方なのかって思いながらえらさんのベースのドッシリ具合に対してドラムはスパンとしてて、ギターがずっと不穏なフレーズを弾き続けていて、この弾き倒すとか轟音で薙ぎ倒すとかそんなんじゃなくて淡々と、でも常に「不穏なフレーズを弾き続ける」ということがこんなに迫力がある事なのだなと新鮮だった。ちょっと矛盾した言葉なのかも知れないけど迫力がコンコンと積もり続けるというか。

ボーカルの昭和っぽさもそのイメージにガッツリ拍車をかけて格好良いバンドだった。

 

壊れかけのテープレコーダーズ

セトリが、スゲー、良かった!

ライブは、もっと、良かった!

最近ブルーノ・マーズという新庄剛志激似の洋楽アーティストにハマっているのだけれど、まあ色んな意味で真逆。全ての音楽要素を良いとこ取りで詰め込んだゴージャスなブルーノ・マーズにハマっている一方で余りにクラシカルかつシンプルなロックンロールを鳴らす壊れかけのテープレコーダーズに滅茶苦茶歓喜している不思議。

人さらい、街の灯が特に嬉しくてぶちアガッてしまった。ドストレート轟音。

暫く観れないと思うのだけれど、最後の最後に演奏された「希望」という新曲が凄く格好良くて、あー待ってようという気になった。

 

次のライブまで時間潰せるかなーと思い特に何も調べずファンタスティックビーストの映画のチケットを買ったら想定より上映時間が予告も含めて1時間くらい長くて、更に次のライブの開場時間も思っていたより1時間くらい早くて、結果的思ってたより合計2時間も違っており、人に迷惑を掛けてしまい助けて貰った上に物販まで代行頂くという大晦日にして今年最高の間抜けっぷりを発揮し、それに対し本当に慈悲深く手を差し伸べて貰えたお陰で無事に鑑賞できた上に物販もちゃっかり手に入れた。申し訳ない。僕もまたファンタスティックビーストだったのである。苦しい。

ファンタスティックビーストは、まあそりゃハリーポッターの別シリーズならそれも当然なんだけど随分長くて、そして随分と面白かった。

パン屋のキャラクターと、主人公の妙ちきりんなテンポが何とも愛らしかった。ヒロイン腹立つ。

 

@新宿LOFT

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Maison book girl

生で観たの初めてで、よくこのテンポで踊れるなというのと、曲がスゲーカッケーなというのと、世界観が徹底的にストイックだなというのと、あとメンバー皆凄い可愛かった。矢川葵さんが一番好きになった。

CDを手に入れて聴かねばならない。

それにしてもとんでもないお祭りワッショイな盛り上がり方で怪我しないのかなと思うくらいキツめのダイブばかりだったけど、きっとリフトとかで培った技術を持つ下にいる人たちが上手いんだろうなと思いながら遠くから眺めた。メロコアバンドのライブかと思った。

 

大森靖子

新⚫️zの鍵盤違い+小森さんが追加参加という編成で、最多のギター5本というどうなるか想像もつかない編成でのライブ。

ハイパーカウントダウンとのことで、ハイパー担当のサクライさん参加曲のSHINPIN弾き語りからスタート。弾き語りのSHINPINはキリキリとした緊張感と都市型の無機質さを個人的に見出すのでとても好きだし、原曲とは違ってどこまでも大森さんの間合いでそれが再現ではなく表現されるのがとても楽しい。

バンドを呼び込んでピンクメトセラ

非国民的ヒーローの様にしっかりロックチューンは勿論のこと、ピンクメトセラやイミテーションガールなどもギターの本数が単純に多いので音が分厚くロックだった。

バンマス畠山さんのギターにあ〜ちゃんと小森くんが全然違う乗り方をしていく印象。えらさんのベースはツアーよりもガツンとしていた(気がする)。

普段はピエール中野さんのドラムを物凄く追って聴くタイプなのだけど、サクライさんと大森さんを入れると5本になるギターは兎に角面白くって、ギターばかり気にして観てしまう。素人耳としては畠山さんが主軸、あ〜ちゃんが軽やか、小森くんがストレート、サクライさんが厚み兼ノイズ。

そこに大森さんのアコギが重なっての「あまい」が物凄く綺麗で鳥肌がうーわー!!となった。TOKYO BLACK HOLEも格好良かった。

「音楽を捨てよ、そして音楽へ」の絶叫による2017年の抱負とバンド全体での爆発っぷりがたまらなかった。

アンコールはブクガとカメダくんを引き入れて。カメダくんはサクライさんのタンバリンや鍵盤を触っていた。一瞬だけ4ギター2シンセという編成になったのが面白かった。

2017年も頑張ろう、というよりは今日本当に楽しかったからまず1日頑張ろうという気持ちになった。

 

新宿から浜松町へさっさと移動。

ジャニーズのカウントダウンコンサートのお客さんに混じってデニーズで酉年を斃す為にチキン南蛮定食。

ライトアップされた東京タワーを眺めてからモノレールの列に並ぶとまさかの初乗り的なガチ勢で形成された集団の最前ブロックに取り込まれてしまい、後方は後方で初日の出を空港の展望デッキからインスタグラムしようと殺気立っている人たちに塞がれた様な状況で、万が一自身のICカードが使用不能で弾かれたら後ろの人たちに殺されるんじゃないかという過度のプレッシャーに苛まれる。

が、無事通過出来た。新年早々死線をひとつ切り抜けたのは幸先が良いと評価されるべきではないだろうか。

絵馬に願いを書けみたいなコーナーがあったので何か書かねばと思いついたまま書いたけどまさかの「みんな仲良くしろ。」

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願いというか命令。何様。

空港は広い。荷物の整理をし、ダラダラとこの日記を書いている。デニーズで眠け覚ましにコーヒーをお代わりし過ぎて眠くはないけど胃もたれがある。程々という言葉を覚えたい。

身体が怠かったのでマッサージチェアに課金して揉んでもらう。僕はまた一歩、大人になったよ。この調子でガンガン進んでいくんで、お前らにつきましても置いてかれんなよ?って感じですね。お年玉ください。

 

機長が「皆様の後方より初日の出が御覧頂けます!」と意気揚々とアナウンスしてくれたんだけど、マジで真後ろ過ぎて誰も見えてねえだろと思ったり、たった30m程度をバスに乗る→バスが走る→バスを降りるで数分要したりと(LCCなら平気で歩かせるぞ)刺激的な移動をこなした。

あとは大人しく奥さんの実家に潜伏して正月休みを過ごす。

 

またー。

年末進行で逝く弾丸日常ツアーファイナル。

たまには人のスタイルを真似てみようという事で、普段からこっそり読んでいる友人の書式に倣う。

2016年において友人のブログに倣うということの圧倒的根暗さに震える。2006年ですらこの行為は薄ら寒く、随分とまあ控えめにお育ちあそばせたのね的なアレ。笑う。

 

12/25

休日出勤したら後輩に「助けてください」と泣きつかれて森山未來かよと思ったけど世代的に通じないよなと思うも、あまりに泣きそうだったので貰い泣きしてしまって「助けるよ!!」と宣言して盛り上がる。平井堅がいたらマジで高音でサビを熱唱しただろう。ホラ!平井!今だよ!!

ともあれ自分の仕事も終わっていなかったので倍速で片付けて有言実行でヘルプに入れたのは我ながら格好良かったものの、これが地獄への片道切符であるなどという事は気付いて・・・た。残念ながら気付いてた。丸見えだったもんね、地獄の門が開けっ放しになってるの。無用心だよね。まあそこに入っていく側の方が無用心なんだけれども。

だって表札にも記されてるもんね、地獄って。

 

12/26

地獄。

11時過ぎにオフィスなのに線香の匂いがした気がしてオカルト板のまとめスレ読み過ぎたかなと思ったら疲れて冷静な判断力を失った後輩がお香焚いてた。元カレが唐突にくれたという謎エピソードを添えて。薄い不幸を重ねて重ねて地獄のバームクーヘン。

流石に笑った。

ストレス発散に面白可愛い雑貨を5000円分買う。トゲトゲした気持ちを丸みのあるキャラクターで紛らわせようという魂胆は確かに浅いが効果はバツグンだ!

 

12/27

地獄。

終電に乗車拒否されるレベルで地獄。

ひたすら作業をして目がチカチカする。午前2時踏切に望遠鏡担いでいけるくらいの時間に退社。

タクシーの運転手がマジで延々と喋り続け、黒柳の徹子さん的な、明石家のさんまさん的な名MCだったりしたのに女子アナにちょっかい出し過ぎて干されたおっさんか何かかと思うくらいエンターテイメント。残業よりキツイ。金払って受ける仕打ちじゃねえよと思いながら地獄へのランデブー。

 

12/28

仕事納め。

大掃除、納会と並行して業務をし続けてようやく納まったのは19時くらい。

食事もお酒も全然受け付けなくて、仲の良い後輩2人と全く思い出せない雑談を延々とする。

自分の様な人間が社内にこの後輩2人しかいないのでどうしてだろうと考えた結果、自分の様なタイプは軒並み転職しているという結論に至る。辛過ぎると共に、この後輩たちが少しでも穏やかに過ごせる様にしてあげたいと特に何も出来やしないのに思う。

CDを買ってブラブラと地下街を歩いて帰った。疲れ果てていて殆ど眠れなかった。

 

12/29

朝から洗濯をしたものの、それ以外何にも出来ず気晴らしに年賀状を5枚だけ書いた。

この5枚すら出す予定が無かったんだけど、一番仲の良かった退職してしまった同期が年賀状をくれるというので買ったもの。

使い切らないと勿体無いので職場で好きな人を上から選抜して書く。

カットの予約を入れていたので、それまでカラオケでもしようと思って半年ぶりにヒトカラへ。10人は収容出来そうな部屋に通され、この店の経営状況は大丈夫なんだろうかなどと考えつつ、ひたすらにT.M.RevolutionBase Ball Bear、たまにクリープハイプにL'Arc〜en〜Ciel、最後はうろ覚えのback number。

カットの時間が1時間ズレてしまい、3時間1人で歌い倒した結果、喉が死んだ挙句にT.M.Revolutionを気持ちよく歌う為には発声を根本から見直す必要があると改めて思い知る。やはりボイストレーニングに通うしかない模様。

後輩が言うところの「押し付ける」感じで借りた本が面白くて自分用に買った。

実は作者の事をかなり詳しく知っていたのだけれど、後輩がものを貸してくれるというイベントが新鮮過ぎて言いそびれてしまった。

ギターの弦を買おうかなとボンヤリ思うも近所にお店がないので諦める。

電車に乗って美容室に向かう。引っ越しする度に家からどんどん遠くなる美容室に通い続ける理由は、カットが上手いからというのもあるのだけれど開拓する根気も勇気も無いからである。弁当屋なんかでも同じ様なメニューばかり頼み続けるタイプなので、まあ電車で行ける距離ならばこのまま通い続けるだろうなと思う。唐揚げ弁当ご飯大盛りみたいな美容室である。

何にしても年末にサッパリするのは良い事。

切りながらスゲー高いG-SHOCKを買った話を聞く。30万のG-SHOCKは確かに格好良かったけれども、あまり腕時計を身につけないので只々圧倒された。

凝り固まり過ぎて岩の様だった頭をヘッドスパで揉みほぐして貰ってハッピー兼スーパーありがたや。来年もお世話になります。

 

明日は掃除。

年末年始は東京、新宿。

初日の出よりも早く空に昇って、帰省という流れ。

恐らくこれが年内最後の日記になるでしょう知らんけど。何らかの衝動がアレしてアレだったらアレします。

いつも読んでくれてありがとうございますね。南無南無。

顔も名前も知らない皆さんも是非是非よいお年を。

 

またー。

 

来年やりたい事を考えるだけの日記。

2016年もそろそろ終わるとなると、2017年の目標みたいな話もチラホラと出てくるものの、このチラホラの出所というのがクリスマスの予定が無い界隈だったりするので妙に切なくなる。結婚しただけでその界隈から黙殺され追い出されてしまう節もあるし、仲間では無いという認定を下す側の気持ちも解らなくはない。

だけれど、結婚したからといってそういう世界の住人になれるという訳ではないという事もご理解頂きたい、という主張は贅沢なんだろうか。贅沢なんだったらごめん。僕は贅沢なんだよ。

 

今年の秋に引っ越したマンションにはパーティールーム兼ゲストルームが併設されており、それを住人が借りる事が出来るのだけれど、まだ全戸入居している訳でもなさそうな微妙に人気の無いマンションなのにパーティールームの予約はパンパンだ。その予約表を眺めながら、この世にホームパーティーというイベントは実在するのだと激しい衝撃を受けた。生きてるステージが違う。早くお家に帰ってベッドで眠りたい。

そんな気持ちになった。

これを覆すにはパーティールームでパーティーを主催するしかない気がする。

こんな精神的フィジカルの強い世界でも隙間があって、そこで細々と過ごしている自分は一体何者なんだろう、という気がしている。

これを書いている今も、パーティールームでは意味解らないアッパーなアレンジが施されたクリスマスソングが流れ、脂質と糖質とアルコールで膨らんだキラキラとした明るさで満たされているのだろう。凄い。

まあ実際は大したことないというか、普通に楽しい世界なんだろうと容易に想像がつくものの、経験値の有無はその理解を当然の様に超えてネガティヴに作用する。

 

さて、そんな訳で2017年の目標を考えてみる。

話が逸れ過ぎて突然の感もあるけれど、書き出しからするとこれが本筋なのでしっかりして欲しい。話が長い上に湿っぽくてごめんね。

最近、承認欲求についての本を読んでいてそれが中々に納得いく内容でそんな事ばかり考えてナーバスになっている。それについてはまた6000文字くらいかけて書くとして、だ。

目標というと大それた響きなんだけど、やってみたいなーという事が幾つかあるのでここに書いてみる。

 

その前に今年やったことを簡単に振り返る。

○マンションを買った

○自分にしては高い私服を買った

以上である。少ない。他にも何かあったんだろうか。しかも買い物ばっかり。楽天市場かよ。

その反省を踏まえて、以下2017年の目標。

 

1.ボイストレーニングを受ける

半年に一度のペースでガス抜きとして突発的にヒトカラ(3時間コース)に行くんだけど、その時に毎回「もっと気持ち良く歌えたらいいなー」と感じていて、そんな同期でもボイストレーニングを受けている人がいるのかと検索してみると、高齢者が趣味のカラオケの為に通っているとの情報を得て一気にボイストレーニングに親近感が湧いた。

ただ、高齢者のカラオケの最終目的地はストレス発散ではなくカラオケスナックのコミュニティーにおける熾烈なポジション争いを有利に進める為の一手である事を知っているので親近感は得ても仲間意識は芽生えない。

高齢者になっても一芸に秀でなければキャラクターを確立出来ないというのは、考えてみれば当然なのだけれど切なくもある。

あとは雨宮まみさんがボイストレーニングを受けていたのが楽しそうで、というのもある。

何だか完全に後追いみたいになっているけれど、それだけ喪失感が凄い。雨宮さんに対する感謝の気持ちというか、彼女が与えてくれた影響を自分の中に探しているのかも知れない。

ちなみにコレも完全に雨宮さんの綾波レイコスに感銘を受けた結果である。

 HOT LIMITスーツを買ったよ。 - 性格の悪そうなBLOG

まあ色々あるんだけど、半年に一度、3時間のヒトカラで気持ち良く歌う為に月に2回くらいレッスンを受けるのも良いのではないかと思っている。身1つで出来る習い事としても秀逸ではなかろうか。

 

2.あんまり知らない人と遊びたい

存在は知ってるけど、とか顔見知りだけど、くらいの人と遊びたい。

何となく自分の世界(社会ではなく、世界。ここ重要)が狭い気がして、とりあえず何かしたいという気持ちがある。

書き出しの根暗つらつら節も要は世界の引き出しの少なさ及び狭さが影響している。

単純に世の中には色んな人がいるのだなと思いたいので何かしたい。

とは言え、そこそこ社交的ながらパーティーピーポー気質では無いのでどうしたら良いのかなと考えた結果、以下の様な候補を定めた。

a.誰かと服を買いに行ってお茶をする

b.誰かと美味しいご飯を食べに行く

c.誰かと映画を観てお茶をする

ただ会うだけより楽しいのでは無いかという気がする。一緒に何か目的を果たす為に会うとなるとワンクッションというか、ハードルも低くなる気がする。(僕の場合は)

どの様に募っていけばいいのか解らないけれど、まあやってみようと思う。(相手がいないと始まらない話ではあるけれど)

 

3.パーティールームでパーティーをする。

これはもう、完全に書きながら思いついたんだけども、この脳内にあるホームパーティーを具現化せねば一生この影に付纏われるのではないかと感じ、ならばやるしかあるまいという結論に至った。

自分が想像するホームパーティーに沿って料理やイベントを用意する。そしてそれを参加者に強いる。かなりエグみのある企画であるし、場合によっては会費が発生するという恐ろしい展開が待ち受けている。金を取るのか。

とりあえずパーティールームで何かする、くらいから始めて最終的にパーティーを目指す方が良いかも知れない。突然100m全力疾走したら痛めてしまうのと同じで、取り返しのつかない傷(精神的なもの)を負う可能性がある。

アラサーでこの類の負傷をすると将来設計に関わるので多少なり慎重にならざるを得ない。

誰を呼ぶのか、パーティーとは何なのか、それを1年かけて考え、夏にとりあえずパーティールームの全貌を把握する何らかの催しをして、冬に本番のパーティーを実行する長期計画となるだろう。どうしよう書いてて全然楽しみにならない。いや、でももうこれは楽しみというより己との闘いとも言える訳で・・・。

好きなアーティストに集まってもらった自主企画よりも全然緊張を伴う。だってその時のお客さんの目当てはあくまで音楽。パーティーのために集まるとかマジちょっと今の所「日本語としては読解出来るんだけど意味は解らない」という状態だ。このパーティー偏差値から上げて、あ、アゲていかなければならないのである。道程は果てしなく遠い。

まぁ、年が明けても覚えていれば、そして他にこれより叶えたいものが無ければ実行したい所存。

 

とりあえず何でも良いけど、2016年と違う発見を自分の行動で得たいという気持ちはある。

その前に、今年の残りを楽しまねば本末転倒ではあるのだけれど。

頑張ルンバ!(懐かしい)

 

またー。

コートを買いに行くというタイプの冒険譚。

スーツに合わせる良いコートが欲しくなったのでなけなしのボーナスを握りしめて買いに行った。

本来、仕事着にお金をかけることを嫌っていたのだけれど急にコートは良いやつでもアリなんじゃないかと思い至って買いにいった。

 

事前にネットで調べてみると、タケオキクチとかポールスミスとかがお手頃かつ身の丈に合うかと思っていたものの、マッキントッシュのサイトでコートを見た時に好み過ぎてマジ新垣結衣星野源スクラム組んで迫ってくる感覚に陥ってしまい、逃げるは恥だが役に立つ!逃げちゃダメだ!逃げるは恥だが役に立つ!逃げちゃダメだ!と押し問答した挙句、えーいここだ!ここしかない!!となって、マッキントッシュと言えどピンキリとのことで阪急メンズ館及び大丸に行った。

まずは普通の紳士服売り場で2万円とかのコートを物色する。徐々にグレードを上げていかないと、急にプールに浸かって心臓がビックリする展開になりかねない。接客にも慣らしておく為にも試着などもさせて頂く。

3万円、4万円で充分可愛い。いざとなったらココでも良い買い物が出来ると自身に入念に暗示をかける。「このフロアで買えるコートの時点で去年の倍の予算だぞ」と言い聞かせる。

そう、去年は場当たり的に安い1万円ちょいのコートを購入し、かなり後悔したのだ。可愛かったんだけど劣化の速度がマジ烈&豪でマグナムトルネード。

しかし4万円など出せば余裕で何年も着れそうで一安心だ。色んなお店で試着などさせて貰い、準備運動をする。世の中には素敵な服屋が沢山あるのだなと思うも、目的はキッチリ果たさねばならない。いざ。

 

まずはセレクトショップマッキントッシュを取り扱っている所へ行くも怖くて入れず、表面をサラサラっと流す感じで逃亡。

その後意を決してマッキントッシュ ロンドンに突入し、ビクビクしながら選び、候補を絞りに絞って試着したのは15万円台のショート丈のウールのコート。

滅茶苦茶柔らかいし軽いしスタイリッシュで最高!ネットには「マッキントッシュは言うほど暖かくない」みたいな事が書いてあったけど大阪の冬は暖かいんじゃコレで寒けりゃ何着ても寒いわ!」という印象だった。

しかし、何だか違和感がある。完璧に素敵だけれど、この感覚は何だ?

15万円のコートから「15万円のコートはまだ君には早いよ坊や」という声が聞こえた気がした。

そう、コートを着ているつもりが、完全にコートに着られていたのである。ランドセルが歩いていると揶揄される小学校の入学式を彷彿とさせる「着られてる感」がこの違和感の正体だったのだ。

同年代で年齢的に15万円のコートを着ている人は世の中に幾らでもいる。だけど、そういう人たちは15万円のコートに見合うスーツを、鞄を、靴を身につけているだろう。

そうでなければ、そのコートに気圧されないセンスもしくはメンタルを兼ね備えている必要がある。

その両方が自分に欠けている事が明らかになってしまった。これは自虐でも何でもなく、単純かつ清々しいまでの事実で、これまで自虐の裏に隠れてセンスを先天的なものと思い込もうとしていた事をマッキントッシュからご指導賜わった状態。背伸びしても自分が違和感を感じている時点でどんなに商品が素敵でも、それを好きになれる訳もない。あ!り!が!と!う!ご!ざ!い!ま!す!

俺にはまだ早かったぜ!アバヨ!とする前に変に吹っ切れてしまったのでカシミアの27万円くらいのコートを試着させて貰う。

店員さんに何てお願いをすれば良いのか解らず「後学の為に・・・」と意味不明な事を口走り最早供述の域。僕が警官なら調書を取るがそこはショップ店員、サラリとした対応でフワリと着せてくれた。

え?着た?え?着てる???という軽さと柔らかさ、これはコートではなく、羽衣!?羽衣だわコレ!かぐや姫!どっちかと言うと一反木綿!マジで地面からちょっと浮いてない?などとミスター味っ子の領域に爆ぜる語彙力。

 

40代とかで買える様に頑張って働こうと思いながら退店し、マッキントッシュフィロソフィーへ。

 あ、買える。俺はここで買う事になるであろう。

店に入った瞬間にそう思った。

一着のコートに吸い寄せられる。

ストーン!と効果音がつきそうな綺麗なストレートのコート。軽くて柔らかい。着る。綺麗で滅茶苦茶しっくり来る。お値段8万円。あー買う。もう買う。店員さん、早くこれをくれ。ワシにコレをくれ!となった。

冷静に考えても8万円というのは前任の7倍のお値段。スーツ2着分。

あれ?これ悪徳商法によくある「最初にスゲー高額の商品ふっかけて、後から安い商品出して買わせる」的なアレじゃね?自分でその流れを作ってセルフ落とし穴にハマってはいないか?と思いながらも、もう欲しくて欲しくて入店5分でお会計してしまった。

あと何故かついでにマフラーも買ってしまった。アンゴラウサギ何匹分か定かでないマフラーは柔らかいが普通に神妙な面持ちになってしまう。でも買ってしまった。

 

最近、ようやく服を買ってウキウキするという感覚が解りつつある気がする。

大事に着よう、40代にあのコートが着れる様になる為にはどんな感じでやっていけば良いんだろうなーと思いながら、買ったコートを着るのを楽しみに帰りましたとさ。

 

因みにフィロソフィーは何故か2店舗行った。

それにしてもマッキントッシュもこんなに連呼されるとは思ってないだろうな。なんかごめんな。

 

またー。

それっぽい歌詞を書くという黒歴史の話。

このブログでGIZA所属アーティストっぽい歌詞を思いつきで書いたら曲をつけて歌って貰えた。何でも続けていると良い事がある。

 

ちなみに歌詞はこちら。

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こんな展開になるなら、もう少しGIZA所属アーティストの曲を聴き返し、名探偵コナンのEDタイアップとしてデビューという設定に絞り、もっと自我薄めのそれっぽい言葉選びが出来たのにという後悔もあるけれど、最初から拘れなかったのが自分の今の限界。あとの祭りなのでこれに限らず普段から何事も何かアレしていきたい。

 

この「○○っぽい歌詞を考える」というのは地味に継続歴の長い趣味とまではいかないけど時々やってる行為で、これには週刊少年マガジンで過去に連載されていた西山優里子先生の「DRAGON VOICE」が関係している。

このDRAGON VOICEという作品は、僕にとっては少年マガジンの漫画にも関わらず所持しているのが微妙に恥ずかしく公言し辛いものだった。好きだったけれどあまりクラスメイトに読んでると言えなかったその理由は、男性アイドルグループの青春サクセスストーリーだった為である。

思春期においては、萌え漫画よりも全然言いにくかった。萌え漫画は割と同志というか、特定の層に支持を得やすいので共有出来るものの、男性アイドルグループの青春モノ(恋愛要素ほぼ無し)というのはそもそも読んでいる同性が少なく、また週刊少年マガジンという掲載誌からして女子の読者も非常に少なかった。

ここに女性読者も非常に多いジャンプの凄さをヒシヒシと感じたし、これが少女漫画雑誌ならもっとヒットしたのではないかと苦い思いをしながら読んでいた。(大きなお世話)

で、その中身はというと、主人公の天海凛がひどいしゃがれ声というコンプレックスを武器に変えてBEATMENというアイドルグループに所属して成長していく様を描いているこの漫画は、最終的にBEATMENのキャパを超える才能がアレして音楽十字軍なるアレでノーベル平和賞をアレするに至る、中々熱い展開をみせ、そこまで話題にならずにそこそこの長さで完結した。

アイドルグループ、音楽十字軍、ノーベル平和賞。どうだこの並びは。凄いだろう。(とは言うものの、凛は平和賞を受賞していない。何故か気になるそこの貴方!読もう!)

作中でアイドルソングの歌詞が登場する為に作者である西山先生が作詞教室に出向いて勉強に励む様子がオマケ漫画に描かれていて、僕はそこで初めて作詞をする為に勉強する場が世の中に存在しているのだと気付いた。

西山先生が自分にではなく、作中の登場人物の性格から歌いそうな歌詞を考えて書くというこの流れに触れて、自分のイメージではなく、人や曲のイメージを伝える為に歌詞を書くのが作詞家なのかと衝撃を受けた。(それまでは例えばつんく♂さんがモーニング娘。に書く歌詞は願望というか性癖だと思っていた。本当に、本当にごめんなさい)

 

そんな訳で、それっぽい歌詞を書くというのが面白く、イエモンLUNA SEASHAZNA藤原基央、細美武士に至るまで何か書きそうな歌詞を音源を聴いたり歌詞カードを読んだりしながら稀に書いており、去年もBase Ball Bearの小出氏が書きそうな歌詞を考えこのブログに掲載するなどしていた。

例えば細美武士なら、和訳っぽい日本語で「あの日俺たちが池に沈めたボートは  今じゃ魚の愛の巣さ 冷めた不味いコーヒーを飲み干して くたびれた顔して家に帰ろうぜ」というものを書いた覚えがある。

これは細美さんが「俺たち」と複数形で呼びかける歌詞はカースト的にはナード寄りであり、皮肉を含みながらもポジティブなものが多く、また日本の日常風景というよりはアメリカの青春映画っぽさがあるという当時の自分の見解が生み出した「それっぽい歌詞」だ。

かなり省エネかつ自己満足を得られる謎の趣味である。それが何かの役に立ったことは無かったけれど、当時の自分としてはとても有意義であった。

 

何かこの記事が今までで一番恥ずかしい気がしているのは黒歴史をリアルタイムで今まさに更新しているからだろうか。冷静になったら死ぬ。あと一息だ。このまま押し通るぞ。

兎に角、そうやって気が向いた時限定であるものの、その趣味に結果的に曲がついたというのは単純に喜ばしいし、この経緯を微塵も知らない人が叶えてくれたというのも嬉しい。

気まぐれに重たい意味を後追いで背負わされて当人はきっと子泣き爺による通り魔的犯行に震え上がっているかも知れないが、そんなもの知った事ではない。

読んでいる人たちもかなり寒い思いをしていることと推測するが、こちらもこれまで言わずに荒れた庭に埋めていた黒歴史を掘り起こして満身創痍気味。

痛み分けといったところで今日はここまで。

お疲れ様でした。

 

またー。

 

オリオン座(前前前夜)

まとまらない文字を、いっそ、そのまま。

 

運動不足解消の為、三時のおやつを買いにコンビニに行った帰り道は職場のあるフロアまで階段で登る。

4分程度、のんびりと窓のない非常階段を登る。

コンクリートで囲まれた竪穴区画に足音がよく響くので「そこまで響く必要ある?」と大袈裟なボリュームにゲンナリしながら登る毎日だった。だけど、毎日の様にある階の踊り場でサラリーマンが休憩していて、その人のリアクションを見るにつれてこの足音には意味があるのだと思った。

初めは、足音の主に警戒しているのかこちらの姿が見えるまで視線を向けていた。だけど今では足音で僕だと判別がつくのか全く気にされなくなった。彼に取っては非常階段が一息つけるシェルターの様な場所なのかも知れない。

そこに立ち入る人間が同僚だった場合、やり過ごす事で消耗してしまうのかも知れないし、居場所が知れたらまた違う隠れ場所を探さなければいけないかも知れない。彼がいるのもそこそこ中層階なので、わざわざ階段を使う同僚がいるとは思わないが、それでも万が一を想定しているのか警戒している様子だった。

僕の足音に関心を示さなくなったという事は、無害な通行人と認められたからであり、何となくそれが誇らしかった。

 

彼を見かける様になって数年は、自分にとっての職場におけるシェルターは幸いにも必要無く過ごせた。

中間管理職に就いてから、急に誰とも接しない時間が欲しくなった。少し遠くのコンビニまで出掛ける様になり、帰り道も少し遠回りして帰る事が増えた。

社内に嫌な人間なんていないのに兎に角毎日ヘトヘトになって、そうなってしまう自分が嫌で嫌で苦しかった。

泣きたいとは思わないけれど、どうにもギリギリ表面張力で保ったコップを持たされてフラフラしてしまう様な状況が続いた。

限界かも知れない、と思って「マジ限界集落」という口癖を生み出したら「気が滅入る」「世知辛い」「オヤジ臭い」と好評を博し、こんなに社会人するの下手くそだったっけと地味に打ちのめされた。

 

そんな中で手に入れたのが、大森靖子さんのライブで配られた「オリオン座」の歌詞が印刷された紙だった。

何となくそれをiPhoneケースの蓋についたポケットに折り畳んで入れた。ライブが終わってカバンの中でクシャクシャになるくらいなら折り目の方がマシだと思ったんだと思う。

ある日、あまりに疲れ果てて、思わずトイレの個室に篭ってボンヤリしている時に(松本大洋『ピンポン』のドラゴン的に)ふとその存在を思い出して広げて小声で読んでみたら、究極的に自分が肯定された気がして心の平穏を取り戻し、無事に業務を乗り切れた。

ここで胡散臭いと感じた人はきっとまだまだ余裕のある人なんだと思うし、願わくば一生余裕があるままで生きてって欲しいと思う。

良い歳したおっさんが、と思った人は同じ様に下の世代から思われている事から一生逃げ通せ。どうせなら捕まるなよ。

おっさんは加齢であるので個性として頼る事は本当に本当にダサい。でも良い歳したおっさんに逃げてしまうくらいに疲れ果てている。そんな自分が哀れで虚しくて悔しい。

兎も角、この通信販売や新興宗教勧誘的に見えてしまう精神衛生上のどんでん返しは、きっと当人にしか解らない。

声に出して読むという行為は特にその側面を色濃くさせる気がするけれど、無意識に声に出して読んでいたというのはそれだけメンタル的にかつてないレベルで追い詰められていたのかも知れないと分析する。

その非現実味を解っていながらも書きたいと思ったのは、先の非常階段の彼に警戒されなくなった時に感じた「彼にとってのシェルター」が自分にとってこれではないかと感じたからだ。

それからと言うもの、あまりに辛かったり疲れた時はスマホケースから歌詞を取り出し、小さな声で読んでいる。(まあ別に辛い事は多くないので正直そこまでの頻度ではないけど)

お守りの様に持っているだけで、何か1つ武器が増えた気がして心強い。

小さく声に出す時、いつも非常階段の彼を思い出す。僕は生き残りたいし、彼にも生き残って欲しい。

 

毎日辛いって自分を呪ったり、世の中を呪ったりする事が歳を取れば取るほど億劫になり、控える様になり、それで大人になったと思い込む。

そして、この辛いを「幸せ」に、呪うを「祝う」に置き換えても全く同じことが起こりうる。大抵の事は年々ボンヤリしてくる。

それを内側からダイレクトに正してくれるのは当然ながら奥さんの存在なのだけど、外から正してくれる存在がここ数年は大森靖子さんだったし、大森さんの旦那さんだった。(理想の大人像、旦那像を諦めないキッカケになった)

幸せも不幸も嬉しいも悲しいも、自分がそう思ったならわざわざ鈍化させなくても良いと教えてくれた。

これまでもそうだったのだけれど、オリオン座の歌詞が僕に気付かせてくれたものは本当に大きく、明確であると自分で思っている。事細かに記すことも出来るけど、書いても何の意味もない。

 

普段、人がどうして自分と同じアーティストが好きなのかというのにはあまり興味が湧かないし、逆に自分がアーティストを好きな理由を同じファンに共感して貰えたり消費して貰えたりする物語性は必要ないと思っている。

なのに、物語があるんじゃないか、いや、あるだろと思わせてくれて、挙句引きずり出してこんなことをダラダラ書かせてくれる。

自分の面倒な部分こそを白昼に突き出してくれるのが、僕が大森さんを好きな理由なのかも知れない。

本当に音楽が魔法であるのかないのかは、結局受け手によるのだろうけれど、出せる手は全部差し出す千手観音状態大森靖子さんは僕にとってちょっとした仏ゾーンだよ。(照れ隠しでも何でもなく仏ゾーンも凄く好きだというアピール)

勝手に救われて勝手に幸せになるんで、大森さんがもっと好きなこと沢山出来ますように。

 

 

またー。

2016.12.11 オワリカラ(@京都nano)アイドルネッサンス(@梅田クアトロ)Gigantic Roar、SuiseiNoboAz(@梅田HARD RAIN)を観てきました。

結果として3本ライブをハシゴするに至る日曜日であった。

 

2016.12.11@京都nano

オワリカラ

久し振りの真昼の実験惑星。

新曲だらけの実験中間報告的ライブ。

インスト有り、クーラシェイカー的アプローチ有り、謎コール&レスポンスの提案有りと非常に実験的だった。

「L」と「はなとゆめ」聴けたの嬉しかった。カメダくんの鍵盤は大森さんのツアーでも聴いたけれど、やっぱりオワリカラの方が圧倒的に良い。(当たり前)

モグラさんのサックスもフレーズが渋い。グッと楽曲に色気が出る。

新曲はどれも面白かったのだけれど、本編最後の楽曲(東京もあるので書いていいのかなって気もするんだけどゲルニカのやつ)が一番好きだった。

次から次へと面白いことを思いつくなーと思った。来年もオワリカラ何本も観れたら嬉しい。

 

帰りがけ、アイドルネッサンスのライブにどれくらいサポートバンドとして参加するのか聞いてみるとまさかの1時間程度とのことで電車の中で行くか行くまいかみたいなことを考えた。

 

完全にスタートから行く方向で考えていたんだけど、その理由は前日、北海道でモーニング娘。のライブが中止になり、そのファンが同じ様に雪に阻まれ辿り着けなかったファンに代わって関ジャニ∞のライブに行った話を読んだことにある。

何か当日券があるなら、自分にとって新しいものを観てみたいなと思った。

検索してみると、実験惑星を観に来ていたアイドルネッサンスのファンの方が数人いて、楽しかったとツイートしてくれていて、だったら僕もアイドルネッサンスのライブ観て楽しいんじゃないかと思って行くことにした。

チケット売り切れてたらお茶でも飲んでボンヤリしようと思っていたら当日券無事に買えた。

 

@梅田CLUB QUATTRO

アイドルネッサンス

コンセプトすら知らずに来てしまったのだけれど、過去の名曲をカバーするアイドルとのことで知ってる曲のオンパレードで楽しかった。

カバーというか、アイドルらしい爽やかさと軽やかさでもって原曲を解体再構築しまくっていてスゲーと思った。

最早ただのカバーでは無いというか、懐かしい曲歌ってんなで終わらせない馬力の様なものを特に往年の名曲枠から感じてアイドルスゲーと感心した。

コーラスに低いパートが無くて可愛さが1.3倍くらいになる事や、ダンスしながら5曲ぶっ通しで歌ったり、レパートリーが広いからか曲名を敢えて言わずに演奏に入るワクワク感などを味わう。

バックバンドとして登場したオワリカラは普段絶対やらないだろうというパワーコードガシガシの進行だったり2ビートだったりで笑ってしまったものの、新鮮で良かった。ただしタカハシ氏がバンド外の人様の鍵盤に土足で立つのだけは何かアレだった。コラー!

そしてカワノくんはアイドルのバックに座してもドラムの音がクソでかい。弱パンチが中パンチくらいの打力でやっぱり好き。

FUNNY BUNNYや夜明けのBEATなどを聴きながら、バンドは現役バリバリだとしてもこうして歌い継がれていくんだなーと不思議な感覚。

キンモクセイ岡村ちゃんが凄く嬉しかったしカッコ良かった。

Youtubeで数曲観ていたものの、本当にYoutubeってCMとしては優れてるけどアテになんないんだなと感じる程に生の方が断トツで良くて、あんなモンで優劣判断するの無理だよなと改めて反省したしキッカケがあって良かったとオワリカラに感謝したし、KANA-BOONを弾くオワリカラを観る日が来るとは思わず爆笑してしまった。 

オリジナル楽曲もリリースされるということで、それが我らがベボベ小出氏によるものとうのを聞いて武者震いじゃ。遂に小出氏の時代が来るのかと思いつつも、名曲カバーをコンセプトにしてきたアイドルにオリジナル楽曲というのはその名曲たちに負けない作品を作らねばならないというとんでもないプレッシャーが伴う作業だ。ファンとしては小出氏なら何ら問題ないと大船に乗ったつもりでいたい。(何視点だコレ)

また機会があれば観たいしとりあえずアルバムが発売されてるらしいので買いたい。

それくらい「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」が良かったし、セトリから外れていた「17才」が聴きたい。

 

その後、バタバタと近所のライブハウスに。慣れ親しんだ空気感にただいま。

@梅田HARD RAIN

 Gigantic Roar

昼間に京都から帰る為に電車に乗っていて、同じ車両に外国人が楽器を持って乗ってるなーとぼんやり眺めていた。途中でこの人たちがGigantic Roarではないだろうかと思い至ったのだけれど、マジでこの人たちだった。

「俺、Gigantic Roarと同じ電車に乗ってたんだぜ」って将来孫に自慢しよう。

あー僕、オルタナ好きだったんだよな!!!とガンガンにドチャドチャしたドラムとペラっとした様で妙に硬質で鋭いギターを聴いて思った。不穏かつキュート。

加えて台湾国語のリズムと、Gigantic Roarのコーラスを乗せてくるタイミングが普段聴いてるものと全然違う魅力があってテンションがブチ上がった。歌い方的には朗らかでラップっぽくも聴こえて面白かった、

透明雑誌にもそういうものを感じて好きでCDを買っていた経緯があるので、台湾のロックバンドが基本的に好きなのかも知れない。

カッコ良かったのでアルバムと旗を購入。旗は滅茶苦茶可愛いのだけれど、どこに飾ればいいのだろう全く見当がつかない。

ステージはガツンとオルタナなのに、ライブ後は穏やかな人たちであった。また来て欲しいなと贅沢なことを考える。

 

SuiseiNoboAz

細胞が歓喜してるって感じだった。

絶叫してしまったし汗だくになってしまった。

やっぱり好きだ。色んなものが浄化というかぶっ飛ばされてしまった気がする。

新曲もどえらい格好良くてゲラゲラ笑ってしまったしmy discoは泣く。

どんどんバンドとしての熱が上がってる気がして、全員殺気みたいなものが漲っている一体感がバシバシ出ていた。サポートの概念は消し飛んでる。

楽し過ぎた。もうなんも説明いらん。格好良い。

また観る。

 

1日でチケット代のだけで1万円削って得たこの楽しさを削ってチマチマ消費しながら今週も頑張らねばって感じ。

 

またー。