性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

2019年で良かったものを纏めてみた日記。

2019年が終わる。

気温が高いうちに掃除した方が捗るという知恵を何年も前から手にしながら、実際には年末に面倒だな、寒いなと思いながら順番に片付けて何とか大掃除と成している自分が今年もいる。

仕事納めの翌日からボチボチと流しやら風呂場の掃除、窓拭きを倒しておいたお陰で普段の掃除の延長くらいのものばかりを大晦日に残すことに成功したのは本当に褒められた事だと思う。頑張った。感動した。(数日前の自分に)

年末感がないなぁ、と今年は例年より多く聞く気がするが、これは祝日としての天皇誕生日が23日でなくなってしまったことによるのではと思っている。

これまで23日の休みをクリスマスの本番としていた人たちが不完全燃焼になってしまい、そのままゾンビが如く思考停止、何となく今日へ辿り着いてしまっているのだと思う。

ちょっと可哀想だと思うけど、毎年そんな感じでボンヤリしているのが常な自分からすると仲間が増えた様で嬉しい。ようこそようこそ。水飲む?お茶とか沸かしてないんで。

燃焼と言えば、この年末にまたしても火消しSFアニメ映画「プロメア」を鑑賞してきた。何回目なんだ本当に。

これまで全景を視界にしっかり納めて満遍なく楽しみたいという発想で中央から後方で鑑賞していたのだけれど、今回は出足が鈍くなり前から三列目という至近距離で若干見上げながらとなった。

これが本当に凄い迫力で、あーこれもっと早くやっときゃ良かった!となった。道理で前目が早く埋まる回がある訳である。リピーターと化したファンが新たな刺激を求めて前を埋めていたんである。もー教えてくれたらいいのに。皆、観たい時に埋まってたら困るからって内緒にしてたんでしょ。気持ちは解るなー1番好きな店って人に教えたくなかったりするもんね!という気持ちである。しかし僕も気付いてしまったんでね。悪いね。奪い合おうぜ。それこそが人類の歴史だろう。

それにしても全然飽きない。年明けにも観に行く。

 

2019年がどんな1年だったろうと思い返すも、カンボジア旅行以外はあまり言うこともないので今年1番買って良かったものとか、何かそういうやつを書いておきたいと思う。

Amazonのリンクはアフィリエイトとかやってないんでガンガン踏んでどんなものか見て貰えたら嬉しいです。こんな良いもの持ってんだぜって見せびらかしたいんで。

 

【1番良かった買い物】

今年買ったもので1番良かったのはレンジでパスタを茹でる容器。

これは人から勧められて買ってみたんだけど、

1.鍋でお湯を沸かさなくて良い

2.ヴォルケーノ構造?とやらでモチモチに仕上がる

3.パスタソースなら容器の中であえられるのでフライパンすら不要

という利点がある。

普通に自炊する僕が頑張って茹でるより全然美味しいから最初は認めたくなかったけれど、家事で最もストレスが溜まる(当社比)洗い物も少なく済むのでもうコレ無しの生活は考えられない。

フライパンで具材とあえたいなら時間を少し短くしておけばフライパンで加熱し過ぎる事もない。そして安い。光熱費的にも安い。

他のパスタ茹で容器(ネーミングセンスがゴミ)を試した事がないんだけど、勧めてくれた人からすると最強とのことであるので信じる事にしたい。

パスタ茹で容器狂い(かどうかは知らない)が言うのだから僕も胸を張って人に勧めたい逸品である。

 

【1番良かった音楽】

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今年のリリース作品よりもmudy on the昨晩の「Zyacalanda」を延々聴いていたので嘘はつけない。今年のNo. 1は間違いなくこのアルバムである。インストで1番聴きやすく、音数が多いのにどれもこれも五月蝿くないのに激しいし、変拍子で目が回りそうになるかと思いきや解りやすいという奇跡のバランス感覚で歌うように弾いてくるバンドが名古屋にいるってこんな贅沢なことある?という気持ちで聴いている。

どの作品も好きなんだけど、本作の1〜4までを特に聴いたので選出した。

今年は歌詞のある音楽や漫画によるインプットが気持ち悪くて受け付けないという謎のステータス異常を患っていた期間を長く過ごしたので当然かも知れない。

次点はofficial髭男dismの「宿命」を挙げたい。ド王道の高音男性ボーカルの流れと日本語を気持ちよく聴かせるという緻密な狙いをふんだんに盛り込んだ結果、文学性を程良く失ってカジュアルダウンされたというこちらも奇跡的なバランスの曲だったと思う。

あとは去年に引き続いてヒカリエの「カナシミ」とLOSTAGEはよく聴いたと思う。

 

【1番良かった映画】

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断トツでプロメアしかない。

何やかんや映画館で観たし家でも観たけど、ぶっちぎりでプロメア。

未だに新鮮にグッとくる。

triggerという製作会社の過去作品や今石監督の携わった作品も後追いで観ていると、その集大成という感じがする。今年のM-1で言う所のかまいたちや和牛の様にネタの形式に囚われない「らしさ」が満載でたまらない。

ぺこぱやミルクボーイは形式を生み出した事で素晴らしい漫才を見せてくれたと思うんだけど、かまいたちや和牛の何をやってもこの人たちならではになるというのはやっぱり素晴らしい。

加えて2019年は優しい笑いが強かったと思う。

恐らく体育会系と纏めてしまうのもおかしいけれども、きつい言葉や容姿をいじるタイプの笑いが一般市民に浸透し尽くし、その餌食になることが当然となった人の多さが優しさを求めてきたピークが2019年だったんじゃなかろうか。

割とキツい物言いが魅力の見取り図の順位が物語っている気がする。(し、そもそも選んだネタが見取り図にしてはマイルドであったように思う)

プロメアの話から随分逸れてしまったけど、プロメアはあまりにもシリアスな世界観をポリゴンっぽさと色彩でマイルドに仕上げ、最初から最後まで優しさを失わず全力で走り抜けてしまう映画であると思う。三者三様の正義に込められた(人によってはダダ漏れになった)優しさに気付いてしまうと、もう後戻り出来ない作品だと思う。

盤の発売日がとても楽しみ。

来年は楽しみな映画の公開が沢山控えているので迷うかも知れない。

 

【1番良かった本】

裸一貫!  つづ井さん 1

裸一貫! つづ井さん 1

  • 作者:つづ井
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2019/09/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

ここ数年、日本の人口減少問題、日本の貧困問題、アメリカの貧困問題と固めて読むジャンルを定めてきた中で、2019年は犯罪や非行について、手口や残忍さでなく人について読もうと思っていくつか選んだ1年だった。阿部恭子さんの「息子が人を殺しました」や宮口幸治さんの「ケーキが切れない非行少年たち」あたりが印象に残っているけれど、その反動でこれまで興味がなかった宇宙へ現実逃避した結果、佐伯和人さんの「月はすごい」を読んで「月、スゲー!!!」となるなどした。(面白い本なので月スゲーとなりたい人は読むと良い)

とか言ってるけど1番心を豊かにしてくれた、というよりは守ってくれたのは、つづ井さんの「裸一貫!つづ井さん」であったと思う。

優しいし寛容だし好きなことがあるって素晴らしいと思うし単純に言動が面白過ぎるしで大変である。

つづ井さんとそのお友達の距離感は本当の意味で大人であり、本当の意味での友達なのかも知れないなぁと思う。互いが思いやりをもっていないと成り立たない温度で憧れてしまった。

 

こんな所だろうか。

2020年、オリンピックに興味がなくても何かまた楽しいことを自分で用意して上手く生きていけたら年末にまたこんな意味不明な記事を書けたりするのだろう。色々、やり過ごせたらいいな。

 

またー。

 

真っ赤に染まるギタリズム

最近あったことズラズラと。

 

12/20、サンケイホールブリーゼ大森靖子さんを観に行った。

職場から歩いていける劇場ことブリーゼ。

ドレスコードが赤ということで、暴走族やカープ女子やGEZANなどに負けない気合の入ったお客さんたちの燃やす情熱が整列時から渦巻いており暖かかった。

一列目のほぼセンターという席で、座る椅子と対峙した際に衝撃で息が止まった。

普段、スタンディングだと何番だろうが後ろで情報量の多い大森さんの楽曲を上手く受け取りながら観る(大森さんは僕の中で数少ない姿が見えなくてもライブを楽しめるアーティストなので後ろで何の問題も無いのである)のだけれど、指定席で最前となると逃げ場がない。豪速球をリリースポイントで受けるというゴールデングラブ賞もののリアクションが要求されるポジションでビビってしまい、慌ててドリンクカウンターでギネスビールを流し込んだ。体感何km/hなんだろう。

ギネスビールを飲むと亡くなった祖母がよく食べさせてくれた喜界島の黒糖を思い出す。

お婆ちゃん、俺、頑張るよと決意して席についた。

ストリングスがいる特別編成故に壮大でしっとりした内容になるのかと思っていたら「絶対絶望絶好調」を含む感情ぶん回し系楽曲を普段より含んだもので、でもストリングス鳴ってるしで情緒の無呼吸連打(出典:刃牙)と化していて面白かった。

ミスマッチ感を感じさせずにストリングス連れて飛び跳ね、全身を使って絶唱する大森さんは本当に凄いなと鳥肌が立ちっぱなしだった。

喉を手術したことにより全快となった大森さんの嬉しそうな声と姿を真近に拝見させて頂きながら本当に良かったなぁと思うのだけれど、あまりに近かったので失礼な意図は無いのだけれど、どっと疲れてしまった。贅沢な話である。

そして、それは青柳カヲルさんの描いたフラッグが背景に掲げられていたことも一因であろうと思う。

ライティングやモチーフの投影で表情を変え、曲と合わさることで物語を展開していたこのフラッグというより絵画が素敵で魂を抜かれかけた。危ない。

個人的に思うこの演出の凄いところは曲をBGMにして絵の物語が思い浮かぶ情報量を躊躇いなくぶち込んで来るということで、とは言え大森さんのライブにもしっかり作用していて、互いに調和して渦巻いているんだけど別は別という怒涛の状況で、出来るだけ受け取り損ねたくないという気持ちで忙しく頭を働かせていた。マルチタスク

ライブとフラッグとその合わせ技で3作品同時に目撃した気持ちになり、こんなの東映アニメフェア以来かも知れないなと終演後ジンジンする頭でボンヤリ考えた。ドラゴンボールスラムダンクの映画特別エピソードを観ながら、そもそもあまりテレビ放送も観ていなかったのでキャラクターの性格及び相関に全くついていけずそもそもの付け焼き刃の基礎知識の上に映画版という特殊な知識のみが溶接されるという歪な子供であったことを思うと苦いものを喉の奥に感じてしまう。

 

クリスマスやら正月やら、もう年々苦手になっていて、さっさと片付かないかなという気持ちになる。

何となく色んなことが嫌になる。「こんなに頑張ったのだな」という気持ちが「こんなに頑張ってるのにな」という気持ちを連れてくる。

頑張っていることが余りに多過ぎて、本来の自分と乖離してしまっている。こんな人生を送る、送れる、送らされるほどタフになったつもりはない、みたいなことを考えてしまう。

こんな気持ちに比べれば、働くなんてことは本当に簡単な事だと思う。数字をあげたらお金を沢山貰えるなんて仕組みを考えた人は天才だと思う。神様だとこの時期は考えてしまう。

そんな中だからこそ大森さんの強い言葉に揺さぶられる事で少しでもその緊張を解いて貰えて良かった様に思う。

 

12/22、阪神タイガースの前監督である金本さんの講演会に誘われて行った。

野球の思い出話なんて殆どなく、非常に解りやすい言葉でメンタルについてや組織の動かし方の参考になる話を山ほど聞かせてくれた。

管理職で部下も増え、お誕生日席に座って仕事をし、部下に飲みに行こうと言われたら行き(今の所割り勘で済んでいるので慕ってくれているのだと思う。財布目当てになったらそれはそれで楽だろうが今はまだこっちのが嬉しい)、仕事の話から軽口まで聞かされる身になってしまって距離感が読み方を間違えないかと自分にハラハラすることも多いので参考になった。

ゲストで高山選手が横を通り過ぎた時に凄く良い匂いがしてデトックスされた。アロマセラピー

その後、誘ってくれた方とプチ忘年会。お世話になることしか無かったので来年こそは何らかの形でお返し出来たら良いなと思った。

 

12/27、仕事納め。

大掃除して昼から納会。

ありとあらゆるテーブルに配された寿司を渡り鳥の様に摘んでは去りを繰り返して60分をやり過ごしていたら部下に叱られる。

わしゃ今日喋りたくない気分なんじゃ…とぼやいたら「この中の何人か、長期休みで死んでるかも知れないんですよ?最期になるかも知れないんですよ?」とお前の発想の方が失礼なのではと思ってしまって腑に落ちないし、3人くらいで細々と二次会をしていたら大部隊から合流の誘い電話が掛かってきて、その部下が「これから用事があって、その後実家に帰らなきゃいけなくてー」と断っており、さっきの説教は何だったんだという気待ちになったし、そいつはその後2時間飲んだあとに2時間カラオケまでしっかり楽しんで実家に帰らずに録画したM-1を観る為に自宅に帰っていったので最後まで納得がいかなかった。

 

12/28、塚口サンサン劇場でプロメアのマサラ上映というド派手な応援上映(紙吹雪が終始舞うらしい)のチケット争奪戦に瞬殺で敗れていたところに大学からの友人から布袋寅泰さんのライブの誘いがあり、二つ返事で乗った。

自分では中々選ばないアーティストの単独公演というのでワクワクした。

前半はレコ発的なコンセプトでSF感のある内容で、後半はこれ聴いたことある!というロックに振り切った内容だった。

ボーカルとして歌いながらリードギターを弾く人を観たのは初めてかも知れない。テクニカルというよりは(テクニカルでもあるけれど)飄々と弾きながらも熱量を込めるのが非常に上手く、そりゃここまで皆が憧れる存在だよなと感動してしまった。

ドローンが飛び交っていて映像がどんな感じなのかが非常に気になった。

布袋バンドのキーボードが奥野さんで笑ってしまった。どこにでもおる化け物プレイヤー。素敵だった。

帰りは混雑の中、友人とは別々の方角に住んでいるので翌日また飲みに行って感想戦をしようと話して解散した。

家のソファで寝落ちしてしまい、背の高い布袋さんを観た反動か背の低い女の人にストーキングされる夢をみて朝の4時に起きた。怖い。

 

またー。

///20190809-20191223///

///読みかけたまま忘れていた本の様に序盤のことなんてもう覚えてないし/想像上の生き物みたいな幸せを手にしているという前提で笑う/窓の外は海の底みたいに重たくて黒い/触れたら割れてしまいそうな27時のガラス///

 

///何時に起きても眠ってもぬいぐるみとは目が合うし/空っぽで柔らかいから優しくて気が合うし/求められる役目は正しいはずだから/逸れてズレていった分だけ僕が歩かないとな/義務感に震えてしまうと/くるくる目が回る/ふるふる震えてしまって/くるくる狂ってしまう/溜息で緩くなった生活で/最低ラインの底辺に足がついて安心しちゃう/最低ラインの頂点を切り下げて下げて下げていくと/最低ラインの底辺が深くなって潜り込む/そろそろおやすみ///

 

///顔の見えない気高さに/自覚もないまま首を絞められている/毎日の息苦しさの正体はスパムが知らせてくれる/僕らの指紋と一致する///

 

///日々から消えれば死んだと同じ/FALL OUT BOY好きな元カレ/結局誰かを傷つけて/「伝えたい」とか言える芸術も同じ/痛みを届けてまだ捨てないでくれなんて/酔い潰れて戯論は西陽に焼かれて灰になる/吸い込んでまた誰かがハイになる文化/FALL OUT BOY好きな元カレ/日々から消えれば死んだと同じ///

 

///河原で丸い石を探すみたいに拾って/パッチワークみたいに繋いだ綺麗な感情が/上手く馴染まなくても平気でいられるなら差し色として使えるよな/自分の中から生まれた言葉じゃなければ/突然の雨の中でも傘の下にいられるなんて/濡れた肩に気付かないフリが苦しくたって/乾くまで演じてしまえる/優れた人間による丁寧な暮らし///

 

///痩せた潜水艦は進む/まるで沈没していくみたい/痩せた潜水艦が進む/何も見ていない、見えてないフリしながら/海上で荒れ狂う巨大な台風を/知らなかったことにして肩をぶつけない様に進む/また深く、もっと深く、明日天気になあれ///

 

またー。

卵かけご飯を食べてタッチダウンを決めるジェンヌ。

納豆ご飯か卵かけご飯か納豆卵かけご飯(早口言葉みたいだな)という3種類のメニューから選べる多彩さを誇る僕の朝ご飯(所要時間5分)なんだけども、納豆を買い忘れた今週、ここまで卵かけご飯ばかりに偏るという窮地にセルフプロデュースで立たされている。悲劇の主人公に浸る興奮を朝から演出。劇場型犯行説。

そこで炒め物やカリーブルスト(お洒落な響きだけどウインナーにカレー粉しこたま振っただけ)の為に買ってあるカレーパウダーを卵かけご飯に入れたところ当たり前だけど凄く美味しかったので当たり前なんだけど自分のことを天才だと思ってしまい当たり前のことを偉そうに書きたくなってしまい当たり前の様にここに買いている次第である。あたりまえ体操、TT兄弟。彗星の如く現れる体操ネタは普通に滅茶苦茶面白い漫才師やコント師が生み出すので副業感があるなぁといつも思う。副業が本業を超えることもあるだろうにどんな気持ちなのだろうな。副業と言えばやたらとブログで食ってくみたいなことを言ってた人たちがいたはずだけど、未だにそういう生活してますみたいな人と巡り合ったことがないのでその席はあまりに少なかったんだろうか。輪をかけて今やインスタグラマーとか何かそういうのに分散してしまって絶滅危惧種なのかも知れないなと思うと誰か文化として保護していかなければいけないのではと思うものの、それを目指すブログが自己啓発本右から左みたいなのばかりで保護すべきはテキストサイトだったのではという気持ちになる。(テキストサイトの方々はライターなどでまだ健在であり大変お世話になっている)

そんな事は考える余裕もなく美味しいな!とカレー卵かけご飯を食べているのでお勧めしたい。イチローさんが現役時代の一時期ルーティーンとしてカレーを朝食にしていたことはあまりにも有名である。それと同じことをしていると思えば(思える図太さがあれば)僕もまたイチローさん(当時はイチロー選手)と同じステージに立っていると言えるのではなかろうか。皆でイチローさんと同じステージに立とう。まあ宇宙規模で見れば地球という既に同じステージに(以下略)

話が逸れ過ぎて書きたかったことが書かなかったんだけどここまで長くなるともういいやという気持ちになる。

本当は朝からトーストとかも食べたいなどと思っており、でも腹持ちが悪くて2時間くらいでお腹が空いてしまうみたいなことを書きたかったのでそういう話として読み替えて欲しい。お願いしますね。

 

先週末は土曜日に始発で宝塚へ行って宝塚歌劇の当日券の列に並び、日曜日は甲子園球場へ行って甲子園ボウルを観戦するという自分にとっては新鮮なイベントを立て続けにこなした。

宝塚歌劇もアメフトも両方ともに今年初めて触れた世界で頭が物凄く回る感じがして面白い。

宝塚歌劇は美と表現のどっちに己の重心を置けば良いのかまだ定まらないものの、想像よりも物語が複雑で(その癖ど真ん中にシュートブチ込むような展開が多いのも王道っぽくて良い)どちらかというと表現に重心を置きながら観劇している。周囲を埋め尽くす強靭なマダム達の様にご贔屓にしたいジェンヌも今の所定まっておらんのでそれくらいが丁度良いのかも知れない。

ミュージカルパートである第1部よりもショーパートの第2部の方が歌と踊りで全てを表現する分だけ比喩を読み取る作業により想像力がバリバリ働いて好きな気がしている。

悲鳴やため息や涙をこぼすマダム達の幸せそうな空気の中、皆の様に一挙一動に歓喜する様な推しが自分にも見つかるんだろうかとボンヤリ考えるも、見つかったら素晴らしいけど同時に沼へ一直線だろうなと恐ろしくもある。

アメフトはたまたまモノレールに乗った際に甲子園ボウルへの出場権を賭けた西日本代表決定戦の広告を目にしたのがキッカケで、対戦カードの立命館大学関西学院大学もアメフトが有名な学校であると知っていたし、仕事が忙しくてムシャクシャしていたのでスポーツ観戦したいという気持ちにも背を押されてルールも知らないまま観戦したのが最初だった。

戦術自体は多岐に渡るんだろうけど大きく分けると攻撃は2種類に分けられると考え至ってからはスルスルと状況が理解出来る様になった。

ただし大まかな流れが掴めているに過ぎないのでクォーターバック以外はポジション名も解らないしスペシャルチームとか何それという感じである。

ただ、どんなスポーツよりも大勢が各々の役割を果たすことで初めて勝利出来る競技というのが大変に魅力的だなと思った。滅茶苦茶に鍛え抜いた重戦車みたいな選手達が入れ替わり立ち替わり、自身がフィールドにいない時も移り変わる戦局を見守りながらそれに合わせて移動する様など戦国大名かと思いながら眺めてしまう。

そんなガタイの良い人たちが群がってたった一つのボールを取り合って派手なぶつかり合いをかますんだから面白くない訳がない。サッカーに似ているけど、接触プレーありきな競技であることが格闘技と球技の良い所取りな気がした。ここから心身ともに鍛え上げた精鋭が商社マンになるのも解る。全員凄え。

甲子園ボウルは西日本代表の関西学院大学と東日本代表の早稲田大学との対戦だった。

印象としてはビッグプレーを見せる早稲田を確実に修正を重ねて点数を重ねた関学が押し切ったという内容だったと思う。素晴らしく楽しい試合でビールを沢山飲んだ。

野球、サッカー、バレーの様にこれまで観たりやったりしたことのない競技なので頭を随分使った気がする。来年も是非観たいしそれまでにもう少しルールを覚えたい。

二日連続で脳に刺激が。健康に良さそうではあるが頭が疲れてしまいさっさと寝てしまった。

 

またー。

 

グラタンコロッケプロテインバーガー

ネットで物を買う時、割と内容量を見落として買う癖があり、乾燥肌過ぎるからパックとか効果あるかなーとお試し気分で「お徳用」と書かれたものを買ったら100枚入りの特大ボリュームの段ボールが届いて驚いたりする。

10枚とかで良かったんだけどまさかの想定より0が一つ多いという大盤振る舞いも、桁が違うとなると「この価格でこんなにたくさん!?」という感動をすっ飛ばして「お試しだって言ってんじゃん…」と若干引く領域に達してしまう。

販売側は企業努力を褒められ、末長くお客様に愛されて商売繁盛すべきである。お徳用を選んだ自分が悪いし、そもそも内容量を確認してない自分が悪いし、沢山あればそれだけ使えるのに素直に喜ばない自分が悪いし、要するに自分が悪い。こんなことをしていたら地獄に堕ちるかも知れない。

そんな感じでやらせて頂いておる訳ですけれども、つい昨日もAmazonで購入したプロテインが届いた事により、その手のやらかしをまた繰り返した事を知った。

これまで内容量1kgのチョコレート味のものを好んで購入していたのに、あるキッカケで普段と別のものを普段と同じく内容量をきちんと確認せずに購入したら同じ値段で750gしかなかったというものである。250gも少なくて膝から崩れ落ちた。いや自分のせいなんだけど。商品に対してのショックではなく、「また繰り返すのかお前は」という己へのショックが膝をつかせたんである。

商品変更に至るキッカケとは、俺の心の親善大使こと西川貴教さんがファンクラブの会報で「同じプロテインを飲み続けるのは身体によくない」と述べていて、そもそもプロテインを飲み始めたのも西川貴教さんの影響(その癖、彼の飲んでるプロテインは高過ぎるので激安のやつを飲むという中途半端な寄せ具合)なので筋肉の肥大化目的っていうよりもファン心理の表れみたいな部分が大きく、彼が述べるならそうなのだろうと思って別のプロテインを頼んだ訳である。

そしたらちゃんと確認しておらず内容量が750gのものが届いて大変ショックを受けたという。凄い、この、全てが自分の不注意という意図の長文。

西川貴教さんことT.M.Revolutionのファンクラブの更新を忘れていたのをこの文章を書く事により思い出したので不幸中の幸いである。皆も入るといい。

余談であるが(というか最早全てが余談みたいな内容であるが)、750gのプロテインはこれまで飲んでいた1kgのそれより格段に美味しかった。良薬口に苦しというか、青汁のCMで「不味いもの程、身体に良い」という謎の刷り込みがされているのでプラシーボ効果が薄れやしないかと心配しているものの、たった250g減らすだけでこんなに味に拘る余裕が出来るのかという驚きもあったことを報告しておきたい。

コンビニで1パック120円はするザバスプロテインに限らずパック飲料の中で美味しい部類に入ることを踏まえると、高い物ほど美味しく飲めるのかも知れない。そこに慣れてしまうと元の生活レベルに戻すことは恐らく困難であるので、早めに格安でボンヤリした味のする1kgのプロテインに戻そうと心に誓うのだった。

 

最近、割と忙しくて心が荒みがちな状況にあり、年末のボーナスとプロメアしか目先の楽しみが無いので年末のボーナスでプロメアのブルーレイを予約するという目先の楽しみコンボを決めるのを心の支えに笑顔を振りまいている。

年末のボーナスはお金が貰えて最高だし、プロメアはマジのマジのマジのマジで面白いから最高である。

こんなにハマった映画はないかもレベルでハマっている。

それとは全然関係ないんだけどマクドナルドのグラタンコロッケバーガーの季節が始まったので早速食べてきた。

毎年微妙にバージョンチェンジしているのかどうか、一年開いてしまうと全く解らない。ボージョレヌーボーみたいに今年のグラコロは10年に一度の出来!みたいな評価を見かけないのでそこまで大きな仕様変更は恐らくないのだろうけど、毎年「あぁ、小麦粉の旬がやってきたのだなぁ」と思いながら販売開始当初に食べ、販売終了間近に再度食べるという中毒症状のカケラもない付き合い方を毎年している。

グラコロの登場する季節は小麦の旬でなく小麦粉の旬と呼ぶのが相応しいと思う。日本の小麦粉の消費量が一番多いんじゃなかろうか。クリスマスもあるし。クリスマスに小麦粉食べるかどうかよく解らないけど食べそうだし。

本来小麦粉は加工品であるので旬などないとは思うのだけれど、小麦粉の旬と呼んで(僕としては)違和感のないグラコロ販売期間は完全に風物詩と化したのではないかと思う。

おいしいので気が向いたら試して欲しい。

 

またー。

 

高速バスでルーマニアに行こう。

道を歩いていたら木曽路の送迎バスとすれ違ったんだけど、その瞬間にBUMP OF CHICKENの「乗車権」が脳内で再生された。

排気ガスを吐いて腹ぺこ(の客を乗せた)バスが来る夢の先(木曽路)に連れてってくれんだどうだろう?

木曽路バスは一族が離散している(絶滅ではなく不仲が原因で大体ピンピン生きているはず。死んだら流石に連絡が来るシステムなので今のところ生きてるという事になっている)のでもう何年も乗っていない。俺には乗車権がねぇ。俺のために停まってくれるはずもねぇ。自分の中に藤原基央の才能が完全に無いことが判ってしまって辛い。あんなにBUMP OF CHICKEN聴いてきたのに。何を受け取った気になっていたんだ。のうのうと生きてる場合じゃなかった。いや、そこそこ頑張ってきたつもりなんだけどな。

辛くなってきた(その事実及びこの話題において話が半歩も進行出来ないということが)から木曽路の話に戻す。

木曽路木曽路な。いいよなぁ。

この先に人生、法事なんかでその木曽路に行くことはないのかも知れないと思うと寂しく感じる。なんて事を書きながら頭の中で「別に木曽路自体は普通に行けばいいだけは?」と気付いてしまった。これではただバスに乗りたいだけの人に成り下がってしまっている。だが事実でもある。認めるのも虚しいがそういう面も多少はある。多少は。

しかし何のバスでも良いという訳ではなく、木曽路のバスという点を評価して頂きたい。

数多のバスの中で、僕はあくまで木曽路のバスに乗りたいんである。知らんけど。

叶わぬ願いを抱いた途端、何だか物語の主人公になった気がするから不思議だ。照れるぜ。

次回「自動車教習所の送迎バスにも乗ってみたかった」デュエル、スタンバイ!

 

先日、万博公園にある民族博物館へ「ルーマニア近代の知識人と民衆」というテーマの講義をルーマニアモンテビデオ以外のルーマニアに関する知識を持ち合わせていない身でありながら受けに行った。厳密に言えばルーマニアモンテビデオルーマニアの近代は愚か歴史に特に関与していない。厳密に言わなくても関与していない。ルーマニアモンテビデオルーマニア近代の知識人も民衆もいない。そういう曲もない。要するに何に興味があるかも自分で解らない状態でありながら、ルーマニアというこれまで知らなかった国のことを教えて貰えるなら行ってみようかな、くらいのノリで行った。

ただこの講義(みんぱくゼミナールというイベント名がついている)の凄い所は、先生の話が滅茶苦茶分かりやすいのでそんな状態で参加しても大変に勉強になって楽しいんである。

月一で開催されているので興味のあるテーマの回に行ってみることをオススメしたい。

この講義、参加するとポイントカードにスタンプが捺印され、10個貯めると10毎に講義前に壇上で表彰されるということで毎月参加してスタンプを貯めている人も沢山おられる。

お年寄りの方なんか290回とか参加して表彰されている猛者もおり、それは通い始めてから皆勤賞でも24年かかる偉業で、その凄さを身を以て知っている他の参加者からどよめきが起こる。羨望なのか憧れなのかはたまたちょっと引いているのか。何にしても素晴らしいことである。ドラッグストアの様にポイントを界王拳が如く倍増させたりしないシビアなルールで積み重ねたとんでもなく高い名誉ある塔である。

まぁ受賞者の中には講義中爆睡している方も稀におり、どっちが目的になっているのか若干怪しいランカーがいるのも事実ではあるものの、行ってから興味があるかどうか判断するという知識への飛び込み方はかなり正しいと思うので見習いたい。(タイトルやちょっと調べただけで興味があるかどうかなんて正直判断がつかないので)

知識人と民衆の立ち位置、関係性、線引きなどを通してルーマニアの移り変わりを通して自分たちの国のことなんかも考えたりして楽しかった。

そもそも民族博物館は展示物の量が凄まじく、建物も最高なので大阪府民はもとより関西在住の皆さんには絶対に行って欲しい。ワクワクしてしまう。施設の重要性からして無いとは思うが、万が一、財政難で何だかんだなどという事になったら困るので切にお願いしたい。

ただ情報の濁流過ぎるのでデートなどには向かないと思う。そういう人たちはエキスポシティーの観覧車に乗れ。回れ。

 

またー。

ソルティードッグの塩多めで!!!

寒さに背中を押され、ようやく衣替えをするついでに昨年の自分が大鉈を振るい、来季も戦力として換算できると踏んだ服を引っ張り出してきた疲労感でハイになり、ここまで疲れてるんだからついでに何やっても同じだろうと全部着てみた結果、ユニクロのニットの着心地がゴワゴワになっていて「お前、去年はあんなに優しかったのに一体どうしちまったんだ…」と滅茶苦茶寂しい気持ちになってしまった。傷んでもないから滅茶苦茶着るけど服も人間と同じように休む期間が長いと鈍ってしまうんだろうか。ローテの一角を託すには些か不安がある。

しかし、この一度全部着てみるというのは割と大事なことなのではないかと感じたので人に言いたい気持ちになってこれを書いている。

大抵の人は当たり前にやっていることだろうとは思うけど、このブログをわざわざ読んでいる人の中には似たような生活をしている人もいると思うのでさも大発見したくらいのつもりで書いた。ご満悦である。

 

たまに人を驚かせる様な阿保さを発揮してしまうんだけど、最新のやらかしを果たしたので言い訳と共に報告しておきたい。

それは会社の同僚と呑みに行ったバーに片足突っ込んだ居酒屋での出来事であった。

同僚の頼んだフライドポテトを摘んだ際に、どうにも味がしない、塩が足りないのではないかという気がして行ってみたものの同僚たち的には丁度良いとのこと。

ポテトはジャンキーさが命だと思っている僕としては全く味のしない虚無を食べている気がして多少の抵抗を試みたものの「いや素材本来の味で良いじゃん」みたいなことを言われ、えーちょっと待って、原形留めないくらいマッシュされて人工的に整形されて油で揚げ尽くすという素材本来のアイデンティティを徹底的に破壊された上に成り立つ料理に素材本来の味とかある訳 ???とおかしな所で内心腹を立ててしまったんだけど、和気藹々とした飲み会の場でわざわざ言うのも憚られるため、自分だけが塩分の足りないこの世界の片隅に塩を確保する術はないかと考えに考えに考えた結果、俺はもしかしたら神かも知れないというレベルの閃きを得たので、自信満々に店員さんに「ソルティードッグの塩多めでお願いします!」とオーダーした。ソルティードッグの塩でフライドポテトの足りない塩分を補給しようというんである。フライドポテトはソルティードッグに合うし、ソルティードッグはフライドポテトに合うのだから完璧過ぎる計画であると胸を張って皆に教えてやろうくらいの気持ちで意図を発表したら「いや、小皿に塩貰ったらよくね?」と言われて滅茶苦茶恥ずかしかったと同時に周りを愕然とさせた。まさか同じ席で呑んでいた同僚がここまで阿保だと思っていなかったのだろう。そして誰より僕自身がそう思った。

突然発揮されるこの間抜けさをどうにかせねばならないとは思うものの、そんなもの上手く出来れば人生は楽勝である。

何とかネタとして昇華しながらさっさと忘れたいと共に同僚の記憶から綺麗に消えてくれることを切に願う今日この頃である。

 

またー。