性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

機種変更するのに滅茶苦茶時間が掛かったという話。

4年以上使っていたiPhone6sからiPhone11に機種変更をした。

バッテリーの持ちが悪いくらいで誤作動も無く、容量が16GBと少ない以外は不便すら無く使えていた。

あればあるだけ放置する性格である故、容量の少なさも中身を定期的に整理する様になるという利点があり、これもまあ丁寧な暮らしとやらにカウントして良いのでは無かろうか?財布のレシートの整理なんかと同じジャンルであるからして、まぁ丁寧な暮らしというよりは倹約への一歩みたいな雰囲気もあるけれど自分くらいボンヤリとそれらを遠目で眺めている人間からすると失礼ながら大差ないと言うか、同ジャンルの話である様に思えるので、こう、俺もやってるぜ、と誰ともなく勝手に控えめであるが胸を張って暮らしてきた。そんな気がする。

 

バッテリーの減りが早かろうと、容量が常にパンパンであろうと機種変更に赴かなかった理由と言えば只一つ、故障してないのにショップに行くのが面倒だからに他ならない。

丁寧な暮らしとかほざいていた口で言う事ではないけれど、スタイルとして確立出来ていないニワカなんてこんな物である。有象無象という言葉が我ながらお似合いである。着こなせているだろうか。

ショップは料金プランの説明や契約の手数(やってくれるのは店員さんだけど)や目を通す書類の煩雑さ(まとめてくれるのは店員さんだけど)でどれだけ店員さんが頑張ってくれていると頭で解っていても混んでいるイメージが拭いされず、故障もしてないのに長時間待つのも何だかなぁという気になり、どうせ行くなら空いてる可能性がある朝一だろう!と思い立ったものの全然起きられないか、起きても朝から運動してしまったりアニメを観てしまったりして動き出しが遅くなったり気力がないとかで自ら機会を遠ざけ続けて丸一年くらいが経ってしまっていた。時の流れは残酷なほどに早い。一年って本当に早いなぁと痛感したトピックが機種変更の先送りであると言っても過言ではない。人生を見直した方が良い気もする。生きるって何なんだろう。

そんなこんなであるが、この冬の僕は一味違った。

冬のボーナスで機種を一括購入することを決め、その枠を何やかんや別の買い物で使うとまた夏のボーナスまで先送りになるぞ、と自分を脅し続けた結果、遂にこの週末に機種変更を果たしたのである。

自信満々に述べているが、そんだけ脅しても支給日から一月以上が経過しており腰の重さたるや岩の如し、あまり褒められたものではない。漬物石の才能がある。未経験かつ現職からすると畑違いの業界ではあるが、転職が必要となったら思い切ってチャレンジしてみるのも手である。

 

ともかく、朝一にショップへ行き、10時オープンだと思い込んでいたら11時オープンで心が折れかけた所で先にカバーを買ってしまうことで「カバーだけ持って帰るのは虚しかろう」と退路を断ち圧をかけるという機転をみせ(本当に自分のことを天才だと思った)、晴れて機種変更した訳であるが、容量は別にしてバッテリーについては感覚が麻痺していた事を思い知った。

使用期間により、バッテリーも少しずつ疲弊し悪くなっていくので、4年以上交換せずに使っていると30%で電源が落ちてしまう事も多かったのだけれど、これを「今日は機嫌悪いんだなー寒いもんなー」と納得してしまったり、逆に20%を割る際に通知されるバッテリー残量が少なくなっていますという表示を見て「今日は頑張ってんなー」と嬉しくなってしまう、オタク特有(ではないかと思っている)の不便さを性格と読み変えて愛着を抱いてしまう八百万の神的な思考になっていた訳であるが、機種変更した今、20%を割り込んでも一向に電源が落ちない本来有るべき姿を目の当たりにして初めて「あ、あれただの替え時だったんだな」と冷静に振り返り、可愛がっていた自分が何となく恥ずかしく思える次第である。冷静に考えて30%で落ちてたら何が30%あったんだろう、という感じである。iPhoneの中の僕への忠誠心だろうか。30%あるならもう少し頑張れよと思うけど、逆の立場で自分が30%しか信じてない相手にちゃんと尽くせるかと言われると自信がない。気持ちが解る。冷静に振り返った癖に全然懲りてない。人間そんな簡単に変われない。だから争いは無くならない。この世に真の平和が訪れる日は来るのだろうか。

適当な事ばかり言っているが、せめてバッテリーの交換くらいしてあげたら4年と言わずもう少しあの機種を使ってあげられたんじゃないかな、何か悪いことしたな、とは思う。物を大切にしなければいけないと単純に反省した。

 

とりあえず随分と時間が掛かったものの機種変更を果たしたので、前回を超える長い付き合いになるといいなぁと思う。

大切に使いたい。

 

またー。

ハーフマラソン感想(完走)日記

地元で開催されたハーフマラソンに参加してきた。

ジョギングをする時に距離やらペースを記録して使って達成感を得ようと思って(達成感を無しに走れる人がいるとすればそれは立派な才能かもしくは性癖です。知らんけど)アプリを導入したら、こっちの要求していたよりもハイスペックでキャンペーンに参加して走ったらスポーツ用品店のクーポンが貰えたり、大会を検索してそれにエントリー出来たり、大会参加者で同じアプリを使っている人と走破した距離をランキングで競えたりしてて完全に踊らされた。AI崩壊ってこういう映画なんじゃないかな(アプリはAIというよりGPSって感じ)と戦々恐々。俺たち皆、大沢たかおだよな。アプリに踊らされ、後者の機能を利用して調べた結果、地元でハーフマラソンがあるとのことでエントリーしてしまった。これまでそんなん参加したことがない。

学生時代の学校行事のマラソン大会は10kmくらいだったから倍である。距離も年齢も倍。つまり4倍くらいの大変さと言っても過言ではないのだ。バカなんだろうか。

若干危機感があり、当日までの練習は週に1度の10kmのジョギングと1度の15〜21kmと徐々に距離を伸ばしていくジョギングの週2回で構成した。危機感がなかったら多分10kmの練習しかしてなかったと思う。

二ヶ月くらいの間に合わせトレーニングでしかも絶対無理しないぞ、長い距離走るってしんどいのに怪我とかしたらもう意味解らない、必要性を感じなくなってしまう、家でアニメ観たい、コードギアスとか鋼の錬金術師とか観たいとゴネてしまう性格なので慎重になり過ぎた結果、本番と同じ距離を練習で走破したのはレースの一週間前という状態で若干の不安もあったものの、ペースは最初から最後まで1kmあたり5分半〜6分の間に収める事が出来たし、練習期間に弱虫ペダルをよく観ていたおかげか家の周りが坂だらけだったお陰か勾配でも一切タイムが落ちない特性があることも解った。クライマー気質(弱虫ペダルの自転車ロードレースで山道の登りに強い選手をクライマーと呼ぶ事を知ったので滅茶苦茶使ってる。マラソンが趣味の人に「僕、クライマーっぽいんですよね」って言ったら何それみたいな顔をされた)

そんな訳で準備期間は足りなかったのだけれど、15kmも21kmも走破後の疲労が全然変わらないしそのあと普通に生活も出来てしまう体力がこれまでの筋トレにより培われていた事も幸いして「これは何とかなるんでは」と珍しく楽観的に当日を迎える事が出来た。

 

地元である高槻市は、かの有名な向井秀徳氏の生誕の地(だけど一瞬で引っ越したので何の思い入れもないことがロッキンオンジャパンのインタビューにて発覚している)であり槇原敬之氏の故郷であり、あと何か数人の著名人の故郷である。ロンブーの騒動になった人とか。

便利で住みやすい街だが特に住民以外の印象に残らない、それが高槻市であると僕は思っている。超好き。高校生くらいの頃は「大阪にも京都にも入れてもらえないから独自発展を遂げたベッドタウン」みたいなdisり方を京都の人にされたり、「え?高槻って大阪なの?」と岸和田の人に言われたりしたんだけど、岸和田こそほぼ和歌山じゃねえか遠いんだよ!!とは地車が恐ろしくて言えず、積み重ねた伝統というのは本当に尊いものだなクソ…高槻と言えば古墳くらいか…ふるさと納税で古墳型クッションが返礼品にラインナップされているくらいしか笑うところがない、しかし笑いは各々の家庭やコミュニティであれば良い訳でネタになってしまう地元である必要など一体どこにあると言うのだろうか?いや、まあ面白いに越したことはないけど面白い土地って大体治安悪いじゃん。どっち取るかは個人の自由よな。

話が逸れているけれど、地元の、しかも7年ほど住んでいた場所の近所が会場になっていて滅茶苦茶見覚えがある中を走るレースである。

これ練習で走ってる近所をセルフで21km駆け回るのと何が違うんだろ、との疑念は交通規制のお陰で信号を守らなくて良いというメリットで何とか黙らせて会場入りを果たした。

体育館で着替え、陸上競技場のトラックをのんびり歩いてアップ代わりにし、マラソンが趣味の上司と合流して記念撮影をしたりしながら時間を潰し、出発式の間中、全然知らないおばさんに滅茶苦茶話し掛けられて集中する事も出来ず(別に話し掛けられてなくても集中するという発想は無かったけれどカッコつけたかったので書いた)、話題が駅前の百貨店に移ったあたりでスタートし、おばさんとは一瞬ではぐれた。運が良ければまた会おうぜと思ったけど、その後見かけることは無かった。おばさんも完走してたら良いけど。

 

レースは5kmを過ぎた辺りでお腹が空いてきて、昼ごはんに何を食べようか、でも上司も出走しているので一緒に食べる事になるんじゃないか、そしたら選択権はないのではないか、でも希望を聞かれたら素直に食べたいものを挙げられる様に考えておかねばならない、今週何を食べたろうか、最近食べたいと思ったものはあっただろうか、ファミチキ、いや買い食いじゃんもうそれ部活帰りの中学生かよ、上司も流石に引くわそれは、その顔見て僕も自分に引くわ、あー何かもう面倒だな、ラーメンとかでいいかな、お腹空いたな、ラーメン屋ならチャーハンのセットとかいいよな、ラーメン大盛りでチャーハンつけて、チャーハンの大盛りがあったらラーメンは並みのパターンで、餃子は別にいらないけどシェアしようって言われたら食べよう、ビールは流石にいらんかな、てかそもそもラーメンの可能性どれくらいあるのかな、パスタとか?定食屋とか?選択肢無限だな、いや待て、もし上司の家にお呼ばれしたらどうしよう、普通に嫌だな、平時普通にお邪魔するのは全然嫌じゃないけど21km走った疲労を引き摺ってまでお宅訪問したくないな、ていうか上司がそもそも僕なんぞ呼びたくないだろお前何様なんだよ我ながらビックリするわ、思い切り過ぎだよーこれランナーズハイ?ランナーズハイってやつ?それにしてもお腹空いた、さっきより本当にお腹空いた気がする、走りながらこんなお腹空く事ってある?空腹なのに食べ物のこと考えてるから加速してる?餓死するんじゃない?走りながら餓死?でも朝滅茶苦茶食べた上にプロテインまで飲んだのにたった5kmでもうお腹空くって何なの?燃費悪くない?穀潰しかよ、え待って穀潰しの穀が書けない、殻に似てるやつ、いやでもそもそも殻も自信がない、殻、殻かぁ、殻といえば卵、あ!オムライスも食べたいな、やーでも50過ぎた上司にオムライスが食べたいですとか言える?言えないよなー50過ぎでオムライス超いいじゃんポムの樹行こ?みたいになる上司に会ったことある?僕はないよ、ポムの樹めっちゃ好きだけど提案する勇気がないわ、やっぱラーメンだな、ラーメンしかない、みたいな事を考えている間に15kmを通過していてビックリした。

マジで有り難みが無さ過ぎて心底ビックリした。そんな不毛なことを考えながら15kmまで来れた意味が解らなさ過ぎて自分が怖い。全然疲れてないけど時計みたら練習よりペースが遅くてそりゃ疲れてないわなとなった。

そんな事よりも、もっと景色楽しむとか、道路の真ん中を走る爽快感に浸るとか、こんな赤の他人を応援してくれる沿道の人に手を振るとかすべき事はあると思う。

そこからは沿道の人に手を振ったり、ハイタッチを要求してくれる子供たちとハイタッチを交わしたり、阪神タイガースのユニフォームを着て走っている人が「頑張れ阪神!今年こそ優勝や!」と冷静に考えてランナーが一切応援されてない声援をあちこちで受けているのを観察したり、通った事のある道を走っている間は懐かしむなどして過ごした。

 

最後の2kmくらいになると、周りのランナーの人たちが最後の力を振り絞ってペースを上げるので、単純にスゲーと感動し、尊敬しながらマラソン自体が初参加であるので無理するのもなぁと変に冷静になってしまい、選挙カーの如く沿道の老人たちに優雅に手を振りながらのんびり走った。(最後の周りの皆さんの必死さが頑張りで声援に応えるものだとすれば、僕は単純に笑顔とリアクションで声援に応えるというスタイル選択の違いだと解釈して頂きたい。ただの言い訳であるが)

その姿を先にゴールしていた上司に見られ、余裕があまり過ぎている、優雅過ぎるとの指摘を受けた。確かにゴールしても練習よりも疲れておらず、このまま暫く走ってられそうだなという状態であり、まあ初回で「限界だ、もう動けない」みたいになると次回という気が全く起きない歪んだ性格なのでそう考えれば上手く走破出来たのではないかと自己採点した。

受け取った完走証に印字された記録は2時間11分。おっそ。練習よりも10分近く遅い。

流石に2時間10分を切れなかったのは少し悔しかったけれど、単純に練習が足りなかったなぁという印象なので、来年も何かしら走るならちゃんと練習しようと心に誓った。

心臓も脚も大して疲れていないので背筋をもう少し鍛えれたらもっと効率よくタイムが伸びる気がする。

ボランティアの男子中学生がバナナを配ってくれていて、「愛情一杯のバナナです!」と言ってくれたのを受けて「BLかよ」と思ってしまって申し訳ない気持ちになった。

上司と感想を述べるなどし、上司が探して決めてくれたラーメン屋で何と御馳走になってしまい(レースまでも色々気にかけて下さった上に食事まで御馳走して頂くなど本当に宜しいのですかという気持ちでいっぱい。そしてそんな流れになると思ってもなく自分で払うつもりでラーメンに大盛りチャーハンを注文してしまい腹もいっぱい。何から何まで有難うございました。仕事頑張ります)、何か走っただけなのに至れり尽くせりで帰宅してしまった。

何かもっと過酷な感じを想定していたので、せめて来年もこのマラソンに参加して、今度はちゃんと目標タイムを設定して頑張ろうと思う。

 

届いた「ギャル医者あやっぺ」を読んでニヤニヤしてからこれの日記を書いている。

とても面白いので是非お勧めしたい。

ラソンは別に人に勧める感じではない。僕は楽しかったけど。

文字数がフルマラソンくらいあってビビる。(4219文字)

 

またー。

部屋着で見る夢の主演はガングロたまごちゃん。

寒中見舞い申し上げます。

2020年の最初の日記まで随分と時間を要した気がするんだけれど、それは何故かと振り返ってみても特に何の理由もないので「何か適当な言い訳があったらいいのになぁ、そもそも言い訳する相手も必要もないのだけれど」と至極当然の事を考えるなどしており、新年を迎えようが特段変わった事もなく、会社用の日付入りのハンコの月だけを12月から1月にし、散々内にも外にも本年も宜しくお願い致しますと挨拶しまくっていた癖に19年のまま使い続けていたのをようやくこの金曜日に部下から指摘されて気付く始末。

部下に「19年のまま使ってたら歳とらないで済むかなー」と何気なく言ったら「いや、会社の書類なのでちゃんと訂正してください」とツッコミ入れる価値もない発言と判定を下され、しっかりしないとなぁ…と漠然と思うなどして過ごしている。M-1見た?ぺこぱ見習ってくれていいんだよ?

とまあ、ここまで本当に何の意味もない文章を書いているという確固たる自覚及び自信があるのだけれど、要するに本年もこんな調子で自分の時間をドブに捨て、ついでに読んでいる人の時間も捨てさせるスタイルで適当にやっていこうと思いますんで宜しくお願い致します、ね。

こんなの書いてないでマジの寒中見舞い書かねばならないんだけど面倒過ぎて寝てしまいそう。社会的にフェードアウトしない程度には背筋伸ばしていきたいですね。猫背だけど。

 

初夢が随分と裏社会の闇みたいな、ハードボイルド(とは言え僕のハードボイルドはほぼ「ブラックラグーン」から得たイメージなので世間一般が想像するハードボイルドと違ってまずアニメ調である)な内容だったので書くのも面倒なので割愛するけれど、「裏社会の闇」と言う自分で書いた言葉の違和感が凄くてこの瞬間に滅茶苦茶気になっている。裏社会=闇なのでは、と思うのでこれは「裏社会の更に闇の部分」と読んで貰うのが1番自然であると思うのだけれど、場合によっては「裏社会=闇をさらに闇とする訳でマイナスにマイナスを掛けてプラス、つまり表社会」という最早書いている自分にもよく分からない解釈も出来なくもない訳で、なんというかそもそも裏社会に通じた事もなく、これまで触れた社会の闇と言えば、果物の訪問販売を断ったくらいのもんで、他にはもう街頭で募金したものが詐欺だった可能性もあるよなーという感じである。

あとは新書だの文庫本だので多少のルポを読んだり、結局まず表社会すら大して知らないので裏社会の、更に暗部なんてものはブラックラグーンでしか知らない訳であるからして、まあその初夢を「裏社会の闇」と自分では感じたには違いないけれど読んだ人から「え?こんな程度が裏社会の闇だと思ってんの?とんだ甘ちゃんだな」みたいに思われても何か癪なので、そういう理由からも割愛するのが好ましい。プライドがね、邪魔するよね。こういうのはさ。

話は逸れたけれど、初夢に限らず割と夢見がちなタイプなので(何やら自己批判とも取れそうだけど単なる誤用)最近の夢事情を軽く記しておきたい。

 

まずは、何の夢をみたのか解らないけれど、目覚めてからずっとガングロたまごちゃんが頭から離れないという日があった。そしてガングロたまごちゃんはむき卵であるという謎の推測がその後に続く。

公式設定を未確認の為、その真偽は不確かであるが、夢の内容を推測するにガングロたまごちゃんが殻付きなのかむき卵なのかという内容で一悶着、もしかしたら激しい衝突があったものと思われる。殻付きのままおでんに投入するのは味的にも手間的にも衛生的にも利点が乏しいのではと考えているので、その様な夢であった場合は僕は間違いなくむき卵派に立つであろう。

その様な夢であった場合に対峙する殻付き派がどんな主張を掲げていたのかも気になる所ではあるが、むき卵派である故に間違った想像で殻付き派を批難する訳にもいかない(思い込みや決めつけでどれだけ多くの人々が傷付いているか、ニュースをチラ見するだけでも解るはずである)ので、内容を忘れてしまって残念だなぁと思う。

 

後は、見ず知らずのおっさんに「お前には部屋着の概念ってもんがねえのか!!!」と凄い剣幕で怒られて泣いてしまう夢をみた。

「部屋着」と「概念」という「オフの緩さ」と「哲学めいた重さ」の縁遠いタッグ結成の舞台裏にどれだけ感動的な物語があろうとも、そのミスマッチな連携技を持ち出されて怒られてる身としてはまず意味が解らないし、次に意味が解らないし、更に意味が解らないし、その後にようやく滅茶苦茶怒られてんなーとなるしかない。

ただ理不尽であるとは言え、自身における「部屋着の概念(と言うより定義付けの様な気がする。自分もだけど概念という言葉を便利なものと勘違いして使い過ぎる傾向がある)がガバガバで、「部屋着=パジャマにあたる服」しか基本的に持ち合わせていないのは確かであるので、そこを怒られてるのかな、怒らんでも良くね?と思いながら怒られていたけど感情と関係なく泣いていた。(展開的に)

自身としても私服及びスーツとパジャマの間の役割を担う服が必要なのではないかと考えたこともあるので、それがつまり「部屋着」なのではないか、自分の深層心理が「いい加減に部屋着を買え」と勧めているのではないかと夢を自分なりに分析し、ユニクロを覗いてみたものの部屋着を買いに行った事がないので部屋着に何千円もかける勇気が出ず、結局帰宅即パジャマで多少の不便も致し方なしと過ごしていたのだけれど、先日家でアニメ(「ALL OUT!!」というラグビーを題材にした筋骨隆々なのに皆頑張り屋さんでいちいち可愛いけど絵柄の癖が強めな作品)を見ながら筋トレする際、それまで普通にパジャマで筋トレしていたのをスポーツウェアに着替えてやってみた所、あ、これ部屋着に位置付けられるんじゃね?友達の家に泊まった時にその子のお父さんがジャージで過ごしてたし、これが部屋着でも問題ないんじゃね?となり、藤崎竜先生の封神演義に登場する清虚道徳真君みたいだし良くね?となり、遂に僕も部屋着を手に入れる事が出来ましたありがとうございます。

夢が現実に影響を与えるってなんか映画みたいで凄いよなと思う反面、でも部屋着だからなというガッカリ感。

しかしながらライフスタイルに変化をもたらしたというのは夢もまんざら悪いものでもない、けど夢であろうが怒られた事自体はストレスなのでプラマイゼロな気もする。あのおっさん現実に会ったら絶対泣かす、そしたらおっさんは実際には怒っていないので「突然見知らぬ男に一方的に泣かされた」と僕への恨みを抱くという最悪な展開は徐々に周囲の人々を巻き込み、雪だるま式に負の連鎖は大きくなり最終的に地球が滅びるという、こっちの方が映画っぽいなーなんて妄想に至った。

自分の暇さをどうにかした方が良いかも知れない。

 

あ、オリンピックイヤーなので自画像をアイコンに設定しました。何年も前に描いたやつで、しかも別に似てないけどよろしくお願いします。

 

またー。

2019年で良かったものを纏めてみた日記。

2019年が終わる。

気温が高いうちに掃除した方が捗るという知恵を何年も前から手にしながら、実際には年末に面倒だな、寒いなと思いながら順番に片付けて何とか大掃除と成している自分が今年もいる。

仕事納めの翌日からボチボチと流しやら風呂場の掃除、窓拭きを倒しておいたお陰で普段の掃除の延長くらいのものばかりを大晦日に残すことに成功したのは本当に褒められた事だと思う。頑張った。感動した。(数日前の自分に)

年末感がないなぁ、と今年は例年より多く聞く気がするが、これは祝日としての天皇誕生日が23日でなくなってしまったことによるのではと思っている。

これまで23日の休みをクリスマスの本番としていた人たちが不完全燃焼になってしまい、そのままゾンビが如く思考停止、何となく今日へ辿り着いてしまっているのだと思う。

ちょっと可哀想だと思うけど、毎年そんな感じでボンヤリしているのが常な自分からすると仲間が増えた様で嬉しい。ようこそようこそ。水飲む?お茶とか沸かしてないんで。

燃焼と言えば、この年末にまたしても火消しSFアニメ映画「プロメア」を鑑賞してきた。何回目なんだ本当に。

これまで全景を視界にしっかり納めて満遍なく楽しみたいという発想で中央から後方で鑑賞していたのだけれど、今回は出足が鈍くなり前から三列目という至近距離で若干見上げながらとなった。

これが本当に凄い迫力で、あーこれもっと早くやっときゃ良かった!となった。道理で前目が早く埋まる回がある訳である。リピーターと化したファンが新たな刺激を求めて前を埋めていたんである。もー教えてくれたらいいのに。皆、観たい時に埋まってたら困るからって内緒にしてたんでしょ。気持ちは解るなー1番好きな店って人に教えたくなかったりするもんね!という気持ちである。しかし僕も気付いてしまったんでね。悪いね。奪い合おうぜ。それこそが人類の歴史だろう。

それにしても全然飽きない。年明けにも観に行く。

 

2019年がどんな1年だったろうと思い返すも、カンボジア旅行以外はあまり言うこともないので今年1番買って良かったものとか、何かそういうやつを書いておきたいと思う。

Amazonのリンクはアフィリエイトとかやってないんでガンガン踏んでどんなものか見て貰えたら嬉しいです。こんな良いもの持ってんだぜって見せびらかしたいんで。

 

【1番良かった買い物】

今年買ったもので1番良かったのはレンジでパスタを茹でる容器。

これは人から勧められて買ってみたんだけど、

1.鍋でお湯を沸かさなくて良い

2.ヴォルケーノ構造?とやらでモチモチに仕上がる

3.パスタソースなら容器の中であえられるのでフライパンすら不要

という利点がある。

普通に自炊する僕が頑張って茹でるより全然美味しいから最初は認めたくなかったけれど、家事で最もストレスが溜まる(当社比)洗い物も少なく済むのでもうコレ無しの生活は考えられない。

フライパンで具材とあえたいなら時間を少し短くしておけばフライパンで加熱し過ぎる事もない。そして安い。光熱費的にも安い。

他のパスタ茹で容器(ネーミングセンスがゴミ)を試した事がないんだけど、勧めてくれた人からすると最強とのことであるので信じる事にしたい。

パスタ茹で容器狂い(かどうかは知らない)が言うのだから僕も胸を張って人に勧めたい逸品である。

 

【1番良かった音楽】

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今年のリリース作品よりもmudy on the昨晩の「Zyacalanda」を延々聴いていたので嘘はつけない。今年のNo. 1は間違いなくこのアルバムである。インストで1番聴きやすく、音数が多いのにどれもこれも五月蝿くないのに激しいし、変拍子で目が回りそうになるかと思いきや解りやすいという奇跡のバランス感覚で歌うように弾いてくるバンドが名古屋にいるってこんな贅沢なことある?という気持ちで聴いている。

どの作品も好きなんだけど、本作の1〜4までを特に聴いたので選出した。

今年は歌詞のある音楽や漫画によるインプットが気持ち悪くて受け付けないという謎のステータス異常を患っていた期間を長く過ごしたので当然かも知れない。

次点はofficial髭男dismの「宿命」を挙げたい。ド王道の高音男性ボーカルの流れと日本語を気持ちよく聴かせるという緻密な狙いをふんだんに盛り込んだ結果、文学性を程良く失ってカジュアルダウンされたというこちらも奇跡的なバランスの曲だったと思う。

あとは去年に引き続いてヒカリエの「カナシミ」とLOSTAGEはよく聴いたと思う。

 

【1番良かった映画】

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断トツでプロメアしかない。

何やかんや映画館で観たし家でも観たけど、ぶっちぎりでプロメア。

未だに新鮮にグッとくる。

triggerという製作会社の過去作品や今石監督の携わった作品も後追いで観ていると、その集大成という感じがする。今年のM-1で言う所のかまいたちや和牛の様にネタの形式に囚われない「らしさ」が満載でたまらない。

ぺこぱやミルクボーイは形式を生み出した事で素晴らしい漫才を見せてくれたと思うんだけど、かまいたちや和牛の何をやってもこの人たちならではになるというのはやっぱり素晴らしい。

加えて2019年は優しい笑いが強かったと思う。

恐らく体育会系と纏めてしまうのもおかしいけれども、きつい言葉や容姿をいじるタイプの笑いが一般市民に浸透し尽くし、その餌食になることが当然となった人の多さが優しさを求めてきたピークが2019年だったんじゃなかろうか。

割とキツい物言いが魅力の見取り図の順位が物語っている気がする。(し、そもそも選んだネタが見取り図にしてはマイルドであったように思う)

プロメアの話から随分逸れてしまったけど、プロメアはあまりにもシリアスな世界観をポリゴンっぽさと色彩でマイルドに仕上げ、最初から最後まで優しさを失わず全力で走り抜けてしまう映画であると思う。三者三様の正義に込められた(人によってはダダ漏れになった)優しさに気付いてしまうと、もう後戻り出来ない作品だと思う。

盤の発売日がとても楽しみ。

来年は楽しみな映画の公開が沢山控えているので迷うかも知れない。

 

【1番良かった本】

裸一貫!  つづ井さん 1

裸一貫! つづ井さん 1

  • 作者:つづ井
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2019/09/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

ここ数年、日本の人口減少問題、日本の貧困問題、アメリカの貧困問題と固めて読むジャンルを定めてきた中で、2019年は犯罪や非行について、手口や残忍さでなく人について読もうと思っていくつか選んだ1年だった。阿部恭子さんの「息子が人を殺しました」や宮口幸治さんの「ケーキが切れない非行少年たち」あたりが印象に残っているけれど、その反動でこれまで興味がなかった宇宙へ現実逃避した結果、佐伯和人さんの「月はすごい」を読んで「月、スゲー!!!」となるなどした。(面白い本なので月スゲーとなりたい人は読むと良い)

とか言ってるけど1番心を豊かにしてくれた、というよりは守ってくれたのは、つづ井さんの「裸一貫!つづ井さん」であったと思う。

優しいし寛容だし好きなことがあるって素晴らしいと思うし単純に言動が面白過ぎるしで大変である。

つづ井さんとそのお友達の距離感は本当の意味で大人であり、本当の意味での友達なのかも知れないなぁと思う。互いが思いやりをもっていないと成り立たない温度で憧れてしまった。

 

こんな所だろうか。

2020年、オリンピックに興味がなくても何かまた楽しいことを自分で用意して上手く生きていけたら年末にまたこんな意味不明な記事を書けたりするのだろう。色々、やり過ごせたらいいな。

 

またー。

 

真っ赤に染まるギタリズム

最近あったことズラズラと。

 

12/20、サンケイホールブリーゼ大森靖子さんを観に行った。

職場から歩いていける劇場ことブリーゼ。

ドレスコードが赤ということで、暴走族やカープ女子やGEZANなどに負けない気合の入ったお客さんたちの燃やす情熱が整列時から渦巻いており暖かかった。

一列目のほぼセンターという席で、座る椅子と対峙した際に衝撃で息が止まった。

普段、スタンディングだと何番だろうが後ろで情報量の多い大森さんの楽曲を上手く受け取りながら観る(大森さんは僕の中で数少ない姿が見えなくてもライブを楽しめるアーティストなので後ろで何の問題も無いのである)のだけれど、指定席で最前となると逃げ場がない。豪速球をリリースポイントで受けるというゴールデングラブ賞もののリアクションが要求されるポジションでビビってしまい、慌ててドリンクカウンターでギネスビールを流し込んだ。体感何km/hなんだろう。

ギネスビールを飲むと亡くなった祖母がよく食べさせてくれた喜界島の黒糖を思い出す。

お婆ちゃん、俺、頑張るよと決意して席についた。

ストリングスがいる特別編成故に壮大でしっとりした内容になるのかと思っていたら「絶対絶望絶好調」を含む感情ぶん回し系楽曲を普段より含んだもので、でもストリングス鳴ってるしで情緒の無呼吸連打(出典:刃牙)と化していて面白かった。

ミスマッチ感を感じさせずにストリングス連れて飛び跳ね、全身を使って絶唱する大森さんは本当に凄いなと鳥肌が立ちっぱなしだった。

喉を手術したことにより全快となった大森さんの嬉しそうな声と姿を真近に拝見させて頂きながら本当に良かったなぁと思うのだけれど、あまりに近かったので失礼な意図は無いのだけれど、どっと疲れてしまった。贅沢な話である。

そして、それは青柳カヲルさんの描いたフラッグが背景に掲げられていたことも一因であろうと思う。

ライティングやモチーフの投影で表情を変え、曲と合わさることで物語を展開していたこのフラッグというより絵画が素敵で魂を抜かれかけた。危ない。

個人的に思うこの演出の凄いところは曲をBGMにして絵の物語が思い浮かぶ情報量を躊躇いなくぶち込んで来るということで、とは言え大森さんのライブにもしっかり作用していて、互いに調和して渦巻いているんだけど別は別という怒涛の状況で、出来るだけ受け取り損ねたくないという気持ちで忙しく頭を働かせていた。マルチタスク

ライブとフラッグとその合わせ技で3作品同時に目撃した気持ちになり、こんなの東映アニメフェア以来かも知れないなと終演後ジンジンする頭でボンヤリ考えた。ドラゴンボールスラムダンクの映画特別エピソードを観ながら、そもそもあまりテレビ放送も観ていなかったのでキャラクターの性格及び相関に全くついていけずそもそもの付け焼き刃の基礎知識の上に映画版という特殊な知識のみが溶接されるという歪な子供であったことを思うと苦いものを喉の奥に感じてしまう。

 

クリスマスやら正月やら、もう年々苦手になっていて、さっさと片付かないかなという気持ちになる。

何となく色んなことが嫌になる。「こんなに頑張ったのだな」という気持ちが「こんなに頑張ってるのにな」という気持ちを連れてくる。

頑張っていることが余りに多過ぎて、本来の自分と乖離してしまっている。こんな人生を送る、送れる、送らされるほどタフになったつもりはない、みたいなことを考えてしまう。

こんな気持ちに比べれば、働くなんてことは本当に簡単な事だと思う。数字をあげたらお金を沢山貰えるなんて仕組みを考えた人は天才だと思う。神様だとこの時期は考えてしまう。

そんな中だからこそ大森さんの強い言葉に揺さぶられる事で少しでもその緊張を解いて貰えて良かった様に思う。

 

12/22、阪神タイガースの前監督である金本さんの講演会に誘われて行った。

野球の思い出話なんて殆どなく、非常に解りやすい言葉でメンタルについてや組織の動かし方の参考になる話を山ほど聞かせてくれた。

管理職で部下も増え、お誕生日席に座って仕事をし、部下に飲みに行こうと言われたら行き(今の所割り勘で済んでいるので慕ってくれているのだと思う。財布目当てになったらそれはそれで楽だろうが今はまだこっちのが嬉しい)、仕事の話から軽口まで聞かされる身になってしまって距離感が読み方を間違えないかと自分にハラハラすることも多いので参考になった。

ゲストで高山選手が横を通り過ぎた時に凄く良い匂いがしてデトックスされた。アロマセラピー

その後、誘ってくれた方とプチ忘年会。お世話になることしか無かったので来年こそは何らかの形でお返し出来たら良いなと思った。

 

12/27、仕事納め。

大掃除して昼から納会。

ありとあらゆるテーブルに配された寿司を渡り鳥の様に摘んでは去りを繰り返して60分をやり過ごしていたら部下に叱られる。

わしゃ今日喋りたくない気分なんじゃ…とぼやいたら「この中の何人か、長期休みで死んでるかも知れないんですよ?最期になるかも知れないんですよ?」とお前の発想の方が失礼なのではと思ってしまって腑に落ちないし、3人くらいで細々と二次会をしていたら大部隊から合流の誘い電話が掛かってきて、その部下が「これから用事があって、その後実家に帰らなきゃいけなくてー」と断っており、さっきの説教は何だったんだという気待ちになったし、そいつはその後2時間飲んだあとに2時間カラオケまでしっかり楽しんで実家に帰らずに録画したM-1を観る為に自宅に帰っていったので最後まで納得がいかなかった。

 

12/28、塚口サンサン劇場でプロメアのマサラ上映というド派手な応援上映(紙吹雪が終始舞うらしい)のチケット争奪戦に瞬殺で敗れていたところに大学からの友人から布袋寅泰さんのライブの誘いがあり、二つ返事で乗った。

自分では中々選ばないアーティストの単独公演というのでワクワクした。

前半はレコ発的なコンセプトでSF感のある内容で、後半はこれ聴いたことある!というロックに振り切った内容だった。

ボーカルとして歌いながらリードギターを弾く人を観たのは初めてかも知れない。テクニカルというよりは(テクニカルでもあるけれど)飄々と弾きながらも熱量を込めるのが非常に上手く、そりゃここまで皆が憧れる存在だよなと感動してしまった。

ドローンが飛び交っていて映像がどんな感じなのかが非常に気になった。

布袋バンドのキーボードが奥野さんで笑ってしまった。どこにでもおる化け物プレイヤー。素敵だった。

帰りは混雑の中、友人とは別々の方角に住んでいるので翌日また飲みに行って感想戦をしようと話して解散した。

家のソファで寝落ちしてしまい、背の高い布袋さんを観た反動か背の低い女の人にストーキングされる夢をみて朝の4時に起きた。怖い。

 

またー。

///20190809-20191223///

///読みかけたまま忘れていた本の様に序盤のことなんてもう覚えてないし/想像上の生き物みたいな幸せを手にしているという前提で笑う/窓の外は海の底みたいに重たくて黒い/触れたら割れてしまいそうな27時のガラス///

 

///何時に起きても眠ってもぬいぐるみとは目が合うし/空っぽで柔らかいから優しくて気が合うし/求められる役目は正しいはずだから/逸れてズレていった分だけ僕が歩かないとな/義務感に震えてしまうと/くるくる目が回る/ふるふる震えてしまって/くるくる狂ってしまう/溜息で緩くなった生活で/最低ラインの底辺に足がついて安心しちゃう/最低ラインの頂点を切り下げて下げて下げていくと/最低ラインの底辺が深くなって潜り込む/そろそろおやすみ///

 

///顔の見えない気高さに/自覚もないまま首を絞められている/毎日の息苦しさの正体はスパムが知らせてくれる/僕らの指紋と一致する///

 

///日々から消えれば死んだと同じ/FALL OUT BOY好きな元カレ/結局誰かを傷つけて/「伝えたい」とか言える芸術も同じ/痛みを届けてまだ捨てないでくれなんて/酔い潰れて戯論は西陽に焼かれて灰になる/吸い込んでまた誰かがハイになる文化/FALL OUT BOY好きな元カレ/日々から消えれば死んだと同じ///

 

///河原で丸い石を探すみたいに拾って/パッチワークみたいに繋いだ綺麗な感情が/上手く馴染まなくても平気でいられるなら差し色として使えるよな/自分の中から生まれた言葉じゃなければ/突然の雨の中でも傘の下にいられるなんて/濡れた肩に気付かないフリが苦しくたって/乾くまで演じてしまえる/優れた人間による丁寧な暮らし///

 

///痩せた潜水艦は進む/まるで沈没していくみたい/痩せた潜水艦が進む/何も見ていない、見えてないフリしながら/海上で荒れ狂う巨大な台風を/知らなかったことにして肩をぶつけない様に進む/また深く、もっと深く、明日天気になあれ///

 

またー。

卵かけご飯を食べてタッチダウンを決めるジェンヌ。

納豆ご飯か卵かけご飯か納豆卵かけご飯(早口言葉みたいだな)という3種類のメニューから選べる多彩さを誇る僕の朝ご飯(所要時間5分)なんだけども、納豆を買い忘れた今週、ここまで卵かけご飯ばかりに偏るという窮地にセルフプロデュースで立たされている。悲劇の主人公に浸る興奮を朝から演出。劇場型犯行説。

そこで炒め物やカリーブルスト(お洒落な響きだけどウインナーにカレー粉しこたま振っただけ)の為に買ってあるカレーパウダーを卵かけご飯に入れたところ当たり前だけど凄く美味しかったので当たり前なんだけど自分のことを天才だと思ってしまい当たり前のことを偉そうに書きたくなってしまい当たり前の様にここに買いている次第である。あたりまえ体操、TT兄弟。彗星の如く現れる体操ネタは普通に滅茶苦茶面白い漫才師やコント師が生み出すので副業感があるなぁといつも思う。副業が本業を超えることもあるだろうにどんな気持ちなのだろうな。副業と言えばやたらとブログで食ってくみたいなことを言ってた人たちがいたはずだけど、未だにそういう生活してますみたいな人と巡り合ったことがないのでその席はあまりに少なかったんだろうか。輪をかけて今やインスタグラマーとか何かそういうのに分散してしまって絶滅危惧種なのかも知れないなと思うと誰か文化として保護していかなければいけないのではと思うものの、それを目指すブログが自己啓発本右から左みたいなのばかりで保護すべきはテキストサイトだったのではという気持ちになる。(テキストサイトの方々はライターなどでまだ健在であり大変お世話になっている)

そんな事は考える余裕もなく美味しいな!とカレー卵かけご飯を食べているのでお勧めしたい。イチローさんが現役時代の一時期ルーティーンとしてカレーを朝食にしていたことはあまりにも有名である。それと同じことをしていると思えば(思える図太さがあれば)僕もまたイチローさん(当時はイチロー選手)と同じステージに立っていると言えるのではなかろうか。皆でイチローさんと同じステージに立とう。まあ宇宙規模で見れば地球という既に同じステージに(以下略)

話が逸れ過ぎて書きたかったことが書かなかったんだけどここまで長くなるともういいやという気持ちになる。

本当は朝からトーストとかも食べたいなどと思っており、でも腹持ちが悪くて2時間くらいでお腹が空いてしまうみたいなことを書きたかったのでそういう話として読み替えて欲しい。お願いしますね。

 

先週末は土曜日に始発で宝塚へ行って宝塚歌劇の当日券の列に並び、日曜日は甲子園球場へ行って甲子園ボウルを観戦するという自分にとっては新鮮なイベントを立て続けにこなした。

宝塚歌劇もアメフトも両方ともに今年初めて触れた世界で頭が物凄く回る感じがして面白い。

宝塚歌劇は美と表現のどっちに己の重心を置けば良いのかまだ定まらないものの、想像よりも物語が複雑で(その癖ど真ん中にシュートブチ込むような展開が多いのも王道っぽくて良い)どちらかというと表現に重心を置きながら観劇している。周囲を埋め尽くす強靭なマダム達の様にご贔屓にしたいジェンヌも今の所定まっておらんのでそれくらいが丁度良いのかも知れない。

ミュージカルパートである第1部よりもショーパートの第2部の方が歌と踊りで全てを表現する分だけ比喩を読み取る作業により想像力がバリバリ働いて好きな気がしている。

悲鳴やため息や涙をこぼすマダム達の幸せそうな空気の中、皆の様に一挙一動に歓喜する様な推しが自分にも見つかるんだろうかとボンヤリ考えるも、見つかったら素晴らしいけど同時に沼へ一直線だろうなと恐ろしくもある。

アメフトはたまたまモノレールに乗った際に甲子園ボウルへの出場権を賭けた西日本代表決定戦の広告を目にしたのがキッカケで、対戦カードの立命館大学関西学院大学もアメフトが有名な学校であると知っていたし、仕事が忙しくてムシャクシャしていたのでスポーツ観戦したいという気持ちにも背を押されてルールも知らないまま観戦したのが最初だった。

戦術自体は多岐に渡るんだろうけど大きく分けると攻撃は2種類に分けられると考え至ってからはスルスルと状況が理解出来る様になった。

ただし大まかな流れが掴めているに過ぎないのでクォーターバック以外はポジション名も解らないしスペシャルチームとか何それという感じである。

ただ、どんなスポーツよりも大勢が各々の役割を果たすことで初めて勝利出来る競技というのが大変に魅力的だなと思った。滅茶苦茶に鍛え抜いた重戦車みたいな選手達が入れ替わり立ち替わり、自身がフィールドにいない時も移り変わる戦局を見守りながらそれに合わせて移動する様など戦国大名かと思いながら眺めてしまう。

そんなガタイの良い人たちが群がってたった一つのボールを取り合って派手なぶつかり合いをかますんだから面白くない訳がない。サッカーに似ているけど、接触プレーありきな競技であることが格闘技と球技の良い所取りな気がした。ここから心身ともに鍛え上げた精鋭が商社マンになるのも解る。全員凄え。

甲子園ボウルは西日本代表の関西学院大学と東日本代表の早稲田大学との対戦だった。

印象としてはビッグプレーを見せる早稲田を確実に修正を重ねて点数を重ねた関学が押し切ったという内容だったと思う。素晴らしく楽しい試合でビールを沢山飲んだ。

野球、サッカー、バレーの様にこれまで観たりやったりしたことのない競技なので頭を随分使った気がする。来年も是非観たいしそれまでにもう少しルールを覚えたい。

二日連続で脳に刺激が。健康に良さそうではあるが頭が疲れてしまいさっさと寝てしまった。

 

またー。