性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

映画の感想をダラダラ書いていたら5000文字になってしまった日記。

最近、人から「お前から映画の話を聞いてて『つまらなかった』とか『分からなかった』みたいな感想がないのは凄いと思う」と言われて、そりゃ滅茶苦茶映画好きな人と違って基本シネコンの中で普通よりちょっと多めの本数を観ているだけなんだから月間チャート上位30作品みたいな中からしか選んでない訳で、ある程度の品質は保証されてるだろうし面白い所が無い訳ないじゃんと思っていたけど、「良いと思える所(実際は良いかどうか分からないが)を探そうという姿勢が良いんだと思う」と褒められ、これは素直に受け取っておこうと思った。へへ、サンキューな。(鼻の下を人差し指でこすりながら)
まあ実のところ最安でも1500円くらい、通常2000円もお金を払っているので1つでも刺さった部分を持ち帰って見せびらかしたいという気持ちがあるんだろうなというのが自分ではしっくり来ているので、物は言いようだなという感じである。


そんな感じで、今回は映画「Pearl」を公開初日に観た。予告をYouTubeで観てからずっと日本公開を待ち望んでいた作品だったので初日に行ったら金曜ということもあってか客入りはまばらで皆1人で来てるし大人しそうなメガネの男性(自分も含む)ばかりでウケてしまった。
俺たち同じ船に乗るんだな、と思わずにはいられなかった。すぐ遭難しそう。


まずはネタバレ無しの雑感をダラダラ述べて、その後にネタバレ含みの雑感をやっぱりダラダラ述べようと思う。ネタバレゾーンの前に注意書きをするので興味があって暇な方は是非そこまでお付き合いして貰えたらと思う。
ただし何も裏取りをしていない受け手の感想なので解釈が間違えてるとか云々、怒らずに「何か言うとるわ」くらいで諦めて貰える様にお願いしておきます。
たまにコメントに謎の説教を書き込んでくる方がいらっしゃるのですが、怒りベースで文字書かれても偉そうで怖い人が来たな…となってしまうだけなので。すいません。今回に関してはA24特集のユリイカとか買って補強するので大目に見てください。


さてネタバレ無しの雑感だけど、まずは「Pearl」は3部作の2作目となると前日に知って、結果的に「Pearl」を観た翌朝に1作目の「X」を観た。
結論としては全然「Pearl」からでも良い、と僕は思う。


「X」は1979年、一山当てようとする男女6人が田舎に住む老夫婦の家を間借りしてポルノ映画を撮影していたら、その老夫婦が2人揃ってシリアルキラーで最悪の一晩を過ごす、という内容(あらすじによる)で、主人公は6人組に女優として参加しているマキシーンで、スターになる、何者かになってやるという熱量と、現状と自身が持たざる者だったらという不安に板挟みになりながら揺れている姿と、シリアルキラーの老婆パールが過去の自分を彼女に重ねて失ったものに思いを馳せながらまだ失っていないものを確かめんと邁進する姿が印象的だった。
身体能力は普通に老夫婦なのに滅茶苦茶ちゃんと(?)シリアルキラーでゾンビに近い怖さを醸していたのが良かった。
割と低予算めな作品だと思うんだけど、ポルノもホラーも割と快楽的な共通項が多いと思うので、何と言うかベイブレード友達みたいな、そんな近しい印象をジャンルとして受けた。ベイブレードやったことないけど。


その次が「Pearl」で、今作は老夫婦のシリアルキラーの妻の方、パールが如何にしてシリアルキラーとして覚醒したのか、というビギニングという位置付けだった。
とは言え先に書いた通り、これ単独でも全然面白いし完結しているので、僕は「Pearl」から入っても良いし、これがスプラッタ的にキツいなら「X」はやめといた方が…という感じである。
別作品に喩えるのは良く無いんだけどパールは「一生お茶子ちゃんと巡り会えないトガちゃん」(僕のヒーローアカデミア)みたいだなと思った。
トガちゃんが好きな人には勧められるかも知れない。どれだけの層がビジュアルだけでなくトガちゃんの境遇まで含めて支持しているかは解らないけど、境遇側にも慕う要素がある方には「Pearl」をオススメしたい。
映画のダンサーに憧れながら戦争にいった夫を待つパールは、厳格な母親と病気で身動きが取れない父親と何もない農場で窮屈な暮らしをしていて、ダンサーになる夢を母親に否定され続けながら暮らしていて、めっちゃ可哀想かと思いきやそれはパールに倫理的にかなり危うい面があるからで、そんな中でダンサーのオーディションが地元にやってきて、パールはいよいよ感情に歯止めが効かなくなって、障害となるもの、裏切られた相手へどんどん手を出していくという映画だった。
パールと両親の表情が三者三様に物語っていてとんでもない空間が生まれていた。
笑顔の怖さ、感情がストレート過ぎることの怖さ、顔から読み取れる情報量ってこんなに多いんだなという気付きの怖さ、単純に残虐なシーンの怖さ。
色々な怖さを心霊ホラーとは異なって物語上で割と直視出来るので良い作品だと思った。


ここからはネタバレを含む記述のみで構成されているので無理な方はブラウザバックか閉じるかしてください。こんな辺鄙な所までわざわざありがとうございました。
楽しい映画鑑賞となりますように。


作品の時系列ではなく、観た時系列で話をさせて貰いたい。
「Pearl」はとにかくミア・ゴスさんの狂気じみた表現力が爆発しまくっていて、怖いとか通り越して笑っちゃうくらいだった。
まず早速パールじゃなくてそのお母さんの話をさせて欲しい。
第一次世界大戦下のアメリカにおけるドイツ系アメリカ人という疎外される立場で過酷な家庭環境におかれ、夫は病で身体が動かず、娘は大事なものを欠如しており化け物を内に秘めているという状況下で母親がせめて慎ましく、人に迷惑をかけずに生きる事だけが評価される点であると信じているのが気持ちが分かり過ぎてかなり辛かった。
彼女が実質家長としてギリギリのところで成り立たせる家は、母親も父親も娘も皆、互いに互いを縛り、恐れている三すくみ、負のジャンケン状態で地獄の錬成陣が描かれていて、それが結界としてパールを目の届く範囲に閉じ込めていたのに最終的には決壊してしまうという流れが物悲しい。
夫が健康であれば、戦争がなければ、娘が平凡であれば、どれか一つでも叶っていればもっと別の家庭があったことを夕飯ブチ切れ事変まではお母さんヒス構文(出典:ラランド)程度で済ませて何とか自分の腹に抱え込んでいたものの、事変において「自分のようになりたくない」と言われて全ての制御が出来なくなってしまったのだろうと同情してしまった。
他方、娘であるパールの「お母さんみたいになりたくない」は混同して申し訳ないがタリバン政権下の女性が弾圧された社会で暮らす女の子が母親に「お母さんみたいになりたくない」とドキュメントで言っているのを見かけたのを思い出した。
体制下における不平等を母子共に認識している環境では言いたくないけど出てしまう言葉なのかも知れないな、と分断の怖さを思うも、まあこれシリアルキラーの映画だからねと言い聞かせた。
パールの父親に関してはそもそもの立場が辛過ぎて「捨てられるのでは」という恐れから始まって「いつまでこの状態で生きるのだろう」「家族が本当はどう思っているんだろう」に加えて異質な娘と2人きりになる時間も多く、結果として物を言えず、行動を起こさない事で好かれて人生は終えられた訳だけど、何にしても辛い。
妻からすれば最愛の夫であると同時に自分を縛る鎖であり、娘を封じ込める最大の理由として機能していたと思うのでその役割を生きるという気持ちがあったのか無かったのさ、その辺も作品からは読み取れないけど、そういう存在だったのかなと思った。
パールは親から恐れられ、押さえつけられて育った事で認められたい、愛されたいという気持ちから「綺麗で有名で稼げる様になればこのままの私を受け入れてくれるかも知れない」という動機で人生の目標を教会での謎オーディションに据えてしまった全振り具合が滅茶苦茶不幸だった。
何も上手く叶ってこなかった事で早々に最後の願い兼これで人生が決まるとなった結果、母親とぶつかって逃亡経路も兼ねてしまう最悪の展開にクラクラしてしまった。
パールにおいては映画技師の男にも義理の妹にも三つの質問をしていて、本人の言葉を聞き入れずにこれまで母親がそうだった様に「自分を恐れていて嘘をついている。私が思っていることを絶対に思っているから始末しなければならない」という最悪の出来レースに近い悪魔の問いみたいになっていて印象的だった。
自由人というには生活を根付かせながらもカッコ付ける事が美学になっているマッチョも、後々マリリンモンローがそうだった様な、ブロンドで豊満で浅はかさも連想させるアメリカ的な女性としての義理の妹も全然悪く無いし、何の気無しに言ったはずの軽い言葉をパールが超本気解釈をしてしまったが為に犠牲になっていてゾッとする。
義理の妹をその兄である旦那に見立てたパールアップのみでの延々の独白シーンは控えめに、言葉を選んでの懺悔から始まって呪詛と攻撃の言葉を経て最後は後悔に変わっていくんだけど、これが表情が先行して音声がズレてセリフが後から乗ってきてるんじゃないか、というくらい表情が雄弁で、その一応の答え合わせとして言葉が続いている様な錯覚に陥る迫力だった。
エンドロールの笑顔はそれが例題でした、今度は自力で解いてみようというくらいの長尺、あまりに物語られ過ぎていて「笑顔って怖いんだなー」と改めて感じた。
パールには夢としてのダンサーがあった、というのは本当だと思うんだけど、それは外の世界に出て行くとかよりも最終目的として「母親に受け入れられて愛されて、想像していた普通の家族団欒を築きたい」というのがあったんだろうなと思うと凄く切ない気持ちになった。
母の予言通りに夢が叶わず、どこにも行けないパールが家族でテーブルを囲もうとしたのはそういう表れなのかなと思った。
そんな感じで「Pearl」を観た翌朝に「X」を観たんだけど、完全にシリアルキラーが出てくるパニックムービーでしたありがとうございます。
Pearlがよく出来た映画なのだとしたら、Xは純粋にパニックムービーだった。
前日観ていた家屋や農場が経年劣化で朽ち果てていて、順序としては逆なんだけど観た順番としては正解だったのかな、と思う。(まあPearlで描かれた様な繊細かつドリーミンな要素は無いんだけど)
本当に続編なのかなーと思っていたけど、「自分らしく自分の欲しいものを手に入れる」という主張と現実が受け入れられないという共通点が早々に表現されていたり、主人公マキシーンに老夫婦シリアルキラーと化したパールが自分を重ねる姿を観て「続編なんだなー」と痛感した。
「Pearl」で破滅的な本性を表したパールを目撃した旦那のハワードは、そのままパールを受け入れて自身もそちら側にいったのだなと思うと凄くロマンチックで2人の見方が変わる。本当にシリアルキラー物が好きじゃない限りは今作を後に観た方が理解が早いかも知れない。
乗っけから主人公たちがブロンドのお姉さんがワニに水着引っ張られている絵が描かれた建物から出てきて「絶対ワニに喰われるやん」と思っていたらまんまその通りになったり(「Pearl」に登場した義理の妹がブロンドだったのもパールが一貫してブロンドが嫌いの理由なんだろうなというシーンだった)、本当に「そういう映画」の愛とあるあるに満ちた良作だったんだと思う。あんまり詳しくないから分からないけど。
「言われた事をそっくりそのまま返すわ」的なカウンターを複数人の人間関係の中でやっていて、なんだこの打力の高いコミュニケーションは、と思いながら笑ってしまった。ラッパーかお前ら。
Pearlでいう三つの質問くらいのインパクトがこのカウンター的なやり取りに乗ってて面白かった。
「X」は闇夜ならではの恐怖感があって、「Pearl」の白昼堂々よりも納得感が大きかった。
本作の年老いたパールは「Pearl」で母が預言していた通りに結局この地に縛られて人生を過ごしてきていて、まあそれも幻想の家族を創れて、更に受け入れてくれたハワードの存在が大きかったのかなと思っていたけど、本人の中でダンサーになれた事になっていたり、3面鏡のシーンが母親と同じ構図だったり、人生は中々重たいんだなーと思わざるを得なかった。
最後はある意味解放というか、我が身にも返ってきたぜという終わり方だったと思う。
それにしても顔も似ていて考え方や自分の解放の仕方も似ていて、共にスターになりたいと熱望したマキシーンとパールには何かしら縁があるんだろうか?
その辺が三部作の最終作でテレビで流れていた宗教団体とパール含めて繋がって解ったりするのかなと思うと楽しみで仕方がない。


繰り返しになるけれど、ここに書いてあることが見当違いな可能性は高いので、こういう受け取り方をした奴がいるんだなくらいの目で見てもらえたらと思う。


本当にダラダラ書いてしまった。


またー。