性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

ミッドサマーの感想日記。

ミッドサマーを観たのだけれど、エンドロールを眺めながら思いついた替え歌があるので、突然だけどちょっと歌詞を書かせて欲しい。

ペレというヤバいキャラクターのヤバい妹、マーヤの視点です。

それでは聴いてください。

 

『ハッ!夏至(summer)パ〜ティ』

※原曲は三人祭の「チュ!夏パ〜ティ」

https://youtu.be/NDIvwqzTE18

 

Fu〜n

ホッ!ハッ!ハハハッ!サマーパ〜ティ

ホッ!ハッ!期待しちゃうわ ハッ!

 

兄さんが連れてきた グループは山を超え

YES!MY LOVE!

もう二度と帰さない

 

お天気に恵まれて お祭りもいい雰囲気

I LOVE YOU!

お昼ご飯のあと 墜落

 

片思いは切ないから

今日からあの人と一緒!

秘密のパイ焼いて

 

勝負(勝負)勝負(勝負)勝負勝負勝負

エンドレスダンスパーティ!

 

夏至の夜は ロマンチック!

なぜか なぜか 乙女心 大胆ね

夏至の夜は メルヘンチック!

でもね でもね

胸が 胸が 苦しいよ

 

Fu〜n

ホッ!ハッ!ハハハッ!サマーパ〜ティ

ホッ!ハッ!期待しちゃうわ ハッ!

 

大好きなあの人と たまにしか目が合わない

OH MY GOD!

彼女には笑顔ね

 

睨んでる場合じゃない

積極的に毒を盛る

料理の腕見せて!

 

勝負(勝負)勝負(勝負)勝負勝負勝負

エンドレスダンスパーティ!

 

夏至の夜は ロマンチック!

なぜか なぜか 乙女心 膨らんで

夏至の夜は メルヘンチック!

なぜか なぜか

皆で 皆で 共鳴ね

 

Fu〜n

ホッ!ハッ!ハハハッ!サマーパ〜ティ

ホッ!ハッ!期待しちゃうわ ハッ!

 

夏至の夜は ロマンチック!

なぜか なぜか 乙女心 膨らんで

夏至の夜は メルヘンチック!

なぜか なぜか

皆で 皆で 共鳴ね

 

Fu〜n

ホッ!ハッ!ハハハッ!サマーパ〜ティ

ホッ!ハッ!期待しちゃうわ ハッ!

 

Fu〜n

ホッ!ハッ!ハハハッ!サマーパ〜ティ

ホッ!ハッ!ついに…ハッ!!

 

そういう感じではあるんですが、あまり人に気安く勧められる映画ではないのは確か。

しかし良かったらば是非に美しく恐ろしい作品をチェックして頂ければと思います。

 

ネタバレ含む感想で宜しければコチラもどうぞ。

脈絡ないですけども。

ミッドサマーの感想日記(2020/02/26/Wed.)|大きな小皿|note

 

またー。

ヤクの運び屋は犬鳴村まで来てくれる。

ヤクルトの配達をしている方を「ヤクの運び屋」と心の中で呼んでいるのだけれど、普通に部下と外出している時にポロっと「あ、ヤクの運び屋じゃん」とか言ってしまい、失礼だからやめなさいと軽く、だが確実に注意されてしまった。

ヤクはヤクルトを指している訳で、別段失礼な呼び方ではないという苦し目の屁理屈に対しては「ヤクに運び屋を付けている時点で失礼な同音異義を狙っているので失礼である」と理路整然と説き伏せられてしまい、あぁ、これが論破かぁ…となってしまった。僕も是非とも論破というものをしてみたいものだぜ…。

配達に回っているヤクの運び屋さん(懲りない)に声をかければ在庫のある商品ならば契約しておらずとも売って貰えるという有益な情報を部下に教えることであるのかどうか最早怪しい上司としての威厳を保つと共に部下の腸内環境を思い遣ってみたところ「ウチの実家、届けてくれるんですよねー」と完全に上手の回答が返ってきて、あ、もう完全に負けました、参りましたと思った。格が違ぇよ。善玉菌の数とか絶対勝てる気しねえ。

 

それはそうと懸賞に当たったことがない。

当選は発送をもってかえさせて頂きます、とか言うやつ届いた事がない。どう言う事なんだろう。

申し込めど申し込めど当たらず、その度にどうせ当たらないんだと心が折れそうになりながらも、頭の中にドリカムの何度でも何度でもという歌声が響いて10000回ダメでヘトヘトになるまで応募してないんだから10001回目が来るまでは我慢せねばと懲りずに応募しているんだけど、人生そんなに応募しまくるほど懸賞を探し歩く暇もなし、多分20回くらいしか応募していないのであと9981回応募しないと当たらないのかも知れない。人生を何回やり直せば到達するんだ。

話を聞くと割と誰でも大なり小なり1回は懸賞を当てている印象なので、自分がその1回すら迎えていないことが何だか切ない。敗北感と劣等感とまで言うと大袈裟であるが、何か妙に切ない。

昨年、2000人くらい集まる会社のバーベキューでお子様限定の福引きに同期の息子くん(5歳)と仲良く手を繋いで参加した時、まさかの1等を引き当てていて滅茶苦茶ビックリした。

え?強運過ぎん?この子はこの先破竹の勢いで人生駆け上がっていくんじゃないか、今のうちに取り入っておくべきか、せめてサインくらい書いて貰って2ショットで写真撮ってもらうべきじゃなかろうか?しかし、もし彼がここで運を使い果たしてしまったんだとしたらどう声をかけてあげたらいいんだろう、僕なんてまだ来てないよ?いやいやいや使い果たしてたら嫌味でしかないだろ根暗はこれだからな!こんな大人になっちゃダメだよ?それにこれで使い終わりなんてことは流石にないだろう、あれ?待てよ?仲良く手をつないで引いた福引きだとすれば僕の運が繋いだ手を伝って彼に乗り移った可能性もあるんじゃなかろうか…怖…僕の懸賞運が?彼によって?使い?果たされた可能性も???えー嫌だ!それは嫌過ぎる!あーでも素直で優しくて可愛いからなこの子…じゃあもう、この笑顔を引き当てたということで満足しないとアカンか…大人なんだから…となった。

もう今年の目標を「懸賞に当選する」に書き換えても良い気もしている。

 

あと怖い話が怖いという当たり前過ぎるタイプなのだけれど、思春期の頃からテレビで何度も見た「犬鳴村」の映画が放映スタートしているというので観にいった。

奇跡体験アンビリーバボー」で取り上げられていたのを観てからというもの、怖過ぎてやべえと思い続けていた訳なんだけど、あの得体の知れない怖さというのはテレビの尺の短さによる「何か怖い!!!」をピークに持ってきて終わるという構図が成せる技なのかも知れないと感じたのが真っ先に浮かんだ感想だった。

映画は割と原因だったり背景を解き明かすか、根元を断つという終わり方をするので得体の知れない恐怖が具現化されてしまうとそこから先は解答編となり怖さゴリ押しで無くなってしまい、怖がりな自分でも平然と観られてしまう。

怖いものを怖いまま終わらせないというのは優しさだとも思うし、正体が解ると急に怖さが暴落するという宿命でもあると思うんだけど、序盤滅茶苦茶ビビり倒してポップコーンを摘み損ねて落とす、口に上手く入れられなくて落とすを繰り返していたのにクライマックスには肘をついて「ほら、今だよ、逃げて」みたいなドッシリした鑑賞スタイルへ移り変貌を遂げたのが犬鳴村であった。

そういう意味では貞子や伽倻子は最後まで圧倒的に強くて倒せないから僕は最後まで怖いと思う。

「貞子vs伽倻子」なんて散々ギャグとか言われるけどオチまで含めて僕的には絶望的に怖かった。

ここまで全く内容に触れていないのだけれど、設定自体は犬鳴村やトンネルの都市伝説と犬鳴峠のダムの経緯なんかを上手く散りばめてある様に思うのだけれど、言ってることと違うくね?みたいな部分もあるし、主人公兄弟の年齢分布どうなってんの?とも思うし納得度みたいなものは少し物足りなかったし、肝心の犬鳴村の住人たちがそこまで怖くなかったんだけど、その呪いの犠牲のなり方は怖かったのでビビりたい人は観たら良いのではと思う。

 

またー。

懐かしいところで言うとサトラレみたいな。

「よーし今日は筋トレをしたいから早く帰るぞ!」

「よーし今日は録画したタモリ倶楽部を観たいから早く帰るぞ!」

「よーし今日はジョギングをしたいから早く帰るぞ!」

などと表明せずとも胸中意気込んで定時退社達成に向けて業務に励んでいると大体部下か同期に「ちょっと寄ってかん?」と飲みに誘われるんだけど何故なんだろう。

誘われること自体はまあ嬉しくはあるし、そこまで今日じゃなければならない用事でも無いので「折角だし行くかー」と飲みに行ってしまうんだけど、こうも何かしら意気込んでいる時ばかり誘われると段々そういう時の自分を狙って皆誘ってきているんじゃないかという気持ちになってくる。突飛だと感じる人は恐らく比較的明るい気質を備えているのだと思う。それはこれまで生きた環境や自らの手できちんと勝ち取ってきたものを裏打ちされた誇るべき個性なので拍手を送りたい。僕は根が暗いからそんな方向で考えてしまいがちなんである。しゃーない。

だから自分が顔に出過ぎるタイプで、しかも皆から実は好かれていないとすれば、この現象に簡単に説明がつくと考えている。

まず僕が今日は早く帰ってジョギングがしたいなぁと意気込むとして、周囲全員が僕の顔をみて「あ、コイツ今日早く帰ってジョギングしようって顔してんな」と感じ取る訳で、そしたら「今日はお前のシフトだろ」って僕を邪魔する順番を決めている同僚達が声をかけあって、該当する人が渋々僕を誘うことで妨害をしている、というものである。

そしてその回数をポイント制にして、並の意欲を阻止したとなれば1ポイント、より意欲的な場面で阻止した人には3ポイントと積み上げていき、年間王者を決めるという遊びをしているかも知れないと考えている。栄えある年間王者には賞品としてガルボが贈られます。

何て無意味で邪悪な遊びだろうか。考えついた人間の無駄の多さには舌を巻く。

まあ誘われて行く分にはそこそこ楽しかったりするので別に構わないのだけれど、割と「帰っても暇でしょ?」くらいのノリで誘われるので自分がどんだけ暇そうに見えるのか気がかりではある。口が半開きであることが多いので仕方がないとは自分でも思っている。

 

2019年度最高の映画こと「プロメア」のブルーレイが届いたので最高過ぎて視界に入る度に最高が家にいるの最高じゃね?と思っている。

ペットを飼うと、ペットが視界に入る度に可愛過ぎる生き物が家にいる!という気持ちになると聞くので、まあそれの映画版だと思って貰えたらいい。

ちなみに2018年最高は「ヘレディタリー〜継承〜」だと思うのだけれど怖過ぎて家にあると気が狂ってしまいそうなので最高と言えど絶対に買わないぞ、ネットのレンタルで済ませるぞと強くて心に誓っている。

誰に頼まれた訳でもないけれど、改めてプロメアの魅力を伝え続けたいよねと思わずにはいられない。

プロメアの勢いと情報量と色彩の凄まじさを超える作品を作ろうなんてことは不可能なんじゃないかと感じてしまう程に全てを破綻寸前の状態まで高めた作品である。

ドラゴンボールシンゴジラとパシフィックリムを混ぜてAKIRAを添え、隠し味にジャッキーチェン入ってない?みたいな映画なので、まず単純に勢いで1回観れて、次にストーリーを頭に置いてキャラクターの良さを堪能するのに1回観れて、更に多くは語られないけれど滅茶苦茶複雑なテーマを感じ取るために1回観れた挙句、各キャラクターの細かい所作から溢れ出る愛おしさを確認する為に1回の計4回は皆さん飽きずに楽しめるんではないか、と。

二桁行くのではくらい観た身てして自信を持って断言したい作品である。

折角ブルーレイを買ったので何度も何度も観ていこうと思う。これを読んでしまった人も是非観て欲しい。

 

またー。

2月になった事を受け入れられない人は何処へ行くのか。

気付いたら2月になっていてビックリした。

1月31日の時点で普通は「今月ももう終わりか」となりそうなものだけど、正月の休みで実働日数が少なかったり、そもそも新年という別に地続きなのに何かリセットされてしまった感が影響しているせいか「月が変わる」という認識が滅茶苦茶薄くなってしまうのが原因なのではないかと思っている。

1月31日が3日間続くハズでは?という体感である。1月31日が3日間続くハズもないし、1月31日が3日間続くという日本語も書いてみると物凄い頭が悪そうでビックリしている。

どれくらいビックリしているかと言うと、この頭の悪そうな響きの方が2月になっていたことよりも驚きが強く、2月になっていたこと自体はすんなり受け入れられる程である。これが無かったら2月になったことをおいそれと受け入れる事は出来なかったかも知れないし、そういう意味では大いに矛盾を通り越して日本語としても太陽暦的な意味合いでも崩壊していた1月31日が3日続くという言葉に初めて役割が生まれた気もして、何だか良かったなという気持ちになる。あまりに何の役にも立たないと言葉を吐いた身として責任を感じてしまう。小心者なので。

2月になったことをすんなり受け入れられて良かったなぁと思う一方で、仮にこの下りが無かったとして、2月を受け入れられなかったとしたら僕はどんな日々を送っていたのだろうか。

正直、曜日感覚こそあれど日付の感覚は割と希薄な方であるのでそこまで困らないかも知れない。

スーパーを筆頭に○日は特売デーだとかポイント倍デーだとか、そもそも行かなければ!という気になるどころか混んでそうだし行きたくないという気持ちが勝ってしまう。ダブルスコアでの圧勝くらいの勝ち方。普段の待遇で大丈夫っす、もう本当、いつも十分有難いと思ってますんで、となってしまうのでたまたまスーパーに寄った時にそれらの開催日だった場合、あー運が悪い、ちゃんと調べてくれば良かったとなってしまう。普通逆だと解っている。店が混んでいるのは「今日こそ行かねばならない」ということの現れであるし、お得に買い物したい、家計を助けたいという気持ちも痛いほど良くわかる。僕だって大してお金を持っている訳でもないので安く買えたに越した事はないんであるが、混雑に弱い人間が混み合った店内で張り切っても最後まで集中力が保たないし、余計なものを買ってしまうし、どっと疲れて何もやる気がなくなってしまうし、疲労感からビールも飲みたくなってしまうしで、要するに普段の方が自分に合っているんである。

人間には向き不向きがある。ライフスタイルの確立ってそういう所に目を向けるとこから始まるんじゃないですかね?

2月になったことを受け入れられない場合の想定を述べていた筈が、買い物における持論を振りかざす流れになっていて、しかもシメが何かいい事言えてそうだし偉ぶってみても読み流してくれるんじゃないかという浅い感じが透けていて辛い。何なんだこの器の小さき生き物は。

ただ、2月1日に僕が2月になったことを受け入れられなかったとしても世の中は受け入れて進んでいる訳なので特に問題はないのでは、という見方も出来る。周りが2月然として(何だ2月然って)いてくれれば、小心者なので仲間外れは嫌だし2月を渋々受け入れるだろうし、バレンタインが近付くと自身へのご褒美に高いチョコレートを買ったりする為に急に2月である利点を最大限に活かそうとするだろうし、最悪そこを耐え抜けたとしても2月25日には大好きな給料日があるからして(支給日には個人差がありますが弊社は25日)、そこで2月は日数も少ないのに他の月と変わらずお給料が貰えてお得だな!2月って最高だな!となること受け合いである。

2月を受け入れないなんてのは最早不可能であろう。起こり得ないことを想定する時間があれば、世の中とは言わずとも何らか自身の役に立つことをあれこれ考えてみた方が良いと思う。

 

思うのだけれど、こんな事をダラダラと書いていたせいで非常に眠たくなってきたので本日は寝ることとする。

 

またー。

機種変更するのに滅茶苦茶時間が掛かったという話。

4年以上使っていたiPhone6sからiPhone11に機種変更をした。

バッテリーの持ちが悪いくらいで誤作動も無く、容量が16GBと少ない以外は不便すら無く使えていた。

あればあるだけ放置する性格である故、容量の少なさも中身を定期的に整理する様になるという利点があり、これもまあ丁寧な暮らしとやらにカウントして良いのでは無かろうか?財布のレシートの整理なんかと同じジャンルであるからして、まぁ丁寧な暮らしというよりは倹約への一歩みたいな雰囲気もあるけれど自分くらいボンヤリとそれらを遠目で眺めている人間からすると失礼ながら大差ないと言うか、同ジャンルの話である様に思えるので、こう、俺もやってるぜ、と誰ともなく勝手に控えめであるが胸を張って暮らしてきた。そんな気がする。

 

バッテリーの減りが早かろうと、容量が常にパンパンであろうと機種変更に赴かなかった理由と言えば只一つ、故障してないのにショップに行くのが面倒だからに他ならない。

丁寧な暮らしとかほざいていた口で言う事ではないけれど、スタイルとして確立出来ていないニワカなんてこんな物である。有象無象という言葉が我ながらお似合いである。着こなせているだろうか。

ショップは料金プランの説明や契約の手数(やってくれるのは店員さんだけど)や目を通す書類の煩雑さ(まとめてくれるのは店員さんだけど)でどれだけ店員さんが頑張ってくれていると頭で解っていても混んでいるイメージが拭いされず、故障もしてないのに長時間待つのも何だかなぁという気になり、どうせ行くなら空いてる可能性がある朝一だろう!と思い立ったものの全然起きられないか、起きても朝から運動してしまったりアニメを観てしまったりして動き出しが遅くなったり気力がないとかで自ら機会を遠ざけ続けて丸一年くらいが経ってしまっていた。時の流れは残酷なほどに早い。一年って本当に早いなぁと痛感したトピックが機種変更の先送りであると言っても過言ではない。人生を見直した方が良い気もする。生きるって何なんだろう。

そんなこんなであるが、この冬の僕は一味違った。

冬のボーナスで機種を一括購入することを決め、その枠を何やかんや別の買い物で使うとまた夏のボーナスまで先送りになるぞ、と自分を脅し続けた結果、遂にこの週末に機種変更を果たしたのである。

自信満々に述べているが、そんだけ脅しても支給日から一月以上が経過しており腰の重さたるや岩の如し、あまり褒められたものではない。漬物石の才能がある。未経験かつ現職からすると畑違いの業界ではあるが、転職が必要となったら思い切ってチャレンジしてみるのも手である。

 

ともかく、朝一にショップへ行き、10時オープンだと思い込んでいたら11時オープンで心が折れかけた所で先にカバーを買ってしまうことで「カバーだけ持って帰るのは虚しかろう」と退路を断ち圧をかけるという機転をみせ(本当に自分のことを天才だと思った)、晴れて機種変更した訳であるが、容量は別にしてバッテリーについては感覚が麻痺していた事を思い知った。

使用期間により、バッテリーも少しずつ疲弊し悪くなっていくので、4年以上交換せずに使っていると30%で電源が落ちてしまう事も多かったのだけれど、これを「今日は機嫌悪いんだなー寒いもんなー」と納得してしまったり、逆に20%を割る際に通知されるバッテリー残量が少なくなっていますという表示を見て「今日は頑張ってんなー」と嬉しくなってしまう、オタク特有(ではないかと思っている)の不便さを性格と読み変えて愛着を抱いてしまう八百万の神的な思考になっていた訳であるが、機種変更した今、20%を割り込んでも一向に電源が落ちない本来有るべき姿を目の当たりにして初めて「あ、あれただの替え時だったんだな」と冷静に振り返り、可愛がっていた自分が何となく恥ずかしく思える次第である。冷静に考えて30%で落ちてたら何が30%あったんだろう、という感じである。iPhoneの中の僕への忠誠心だろうか。30%あるならもう少し頑張れよと思うけど、逆の立場で自分が30%しか信じてない相手にちゃんと尽くせるかと言われると自信がない。気持ちが解る。冷静に振り返った癖に全然懲りてない。人間そんな簡単に変われない。だから争いは無くならない。この世に真の平和が訪れる日は来るのだろうか。

適当な事ばかり言っているが、せめてバッテリーの交換くらいしてあげたら4年と言わずもう少しあの機種を使ってあげられたんじゃないかな、何か悪いことしたな、とは思う。物を大切にしなければいけないと単純に反省した。

 

とりあえず随分と時間が掛かったものの機種変更を果たしたので、前回を超える長い付き合いになるといいなぁと思う。

大切に使いたい。

 

またー。

ハーフマラソン感想(完走)日記

地元で開催されたハーフマラソンに参加してきた。

ジョギングをする時に距離やらペースを記録して使って達成感を得ようと思って(達成感を無しに走れる人がいるとすればそれは立派な才能かもしくは性癖です。知らんけど)アプリを導入したら、こっちの要求していたよりもハイスペックでキャンペーンに参加して走ったらスポーツ用品店のクーポンが貰えたり、大会を検索してそれにエントリー出来たり、大会参加者で同じアプリを使っている人と走破した距離をランキングで競えたりしてて完全に踊らされた。AI崩壊ってこういう映画なんじゃないかな(アプリはAIというよりGPSって感じ)と戦々恐々。俺たち皆、大沢たかおだよな。アプリに踊らされ、後者の機能を利用して調べた結果、地元でハーフマラソンがあるとのことでエントリーしてしまった。これまでそんなん参加したことがない。

学生時代の学校行事のマラソン大会は10kmくらいだったから倍である。距離も年齢も倍。つまり4倍くらいの大変さと言っても過言ではないのだ。バカなんだろうか。

若干危機感があり、当日までの練習は週に1度の10kmのジョギングと1度の15〜21kmと徐々に距離を伸ばしていくジョギングの週2回で構成した。危機感がなかったら多分10kmの練習しかしてなかったと思う。

二ヶ月くらいの間に合わせトレーニングでしかも絶対無理しないぞ、長い距離走るってしんどいのに怪我とかしたらもう意味解らない、必要性を感じなくなってしまう、家でアニメ観たい、コードギアスとか鋼の錬金術師とか観たいとゴネてしまう性格なので慎重になり過ぎた結果、本番と同じ距離を練習で走破したのはレースの一週間前という状態で若干の不安もあったものの、ペースは最初から最後まで1kmあたり5分半〜6分の間に収める事が出来たし、練習期間に弱虫ペダルをよく観ていたおかげか家の周りが坂だらけだったお陰か勾配でも一切タイムが落ちない特性があることも解った。クライマー気質(弱虫ペダルの自転車ロードレースで山道の登りに強い選手をクライマーと呼ぶ事を知ったので滅茶苦茶使ってる。マラソンが趣味の人に「僕、クライマーっぽいんですよね」って言ったら何それみたいな顔をされた)

そんな訳で準備期間は足りなかったのだけれど、15kmも21kmも走破後の疲労が全然変わらないしそのあと普通に生活も出来てしまう体力がこれまでの筋トレにより培われていた事も幸いして「これは何とかなるんでは」と珍しく楽観的に当日を迎える事が出来た。

 

地元である高槻市は、かの有名な向井秀徳氏の生誕の地(だけど一瞬で引っ越したので何の思い入れもないことがロッキンオンジャパンのインタビューにて発覚している)であり槇原敬之氏の故郷であり、あと何か数人の著名人の故郷である。ロンブーの騒動になった人とか。

便利で住みやすい街だが特に住民以外の印象に残らない、それが高槻市であると僕は思っている。超好き。高校生くらいの頃は「大阪にも京都にも入れてもらえないから独自発展を遂げたベッドタウン」みたいなdisり方を京都の人にされたり、「え?高槻って大阪なの?」と岸和田の人に言われたりしたんだけど、岸和田こそほぼ和歌山じゃねえか遠いんだよ!!とは地車が恐ろしくて言えず、積み重ねた伝統というのは本当に尊いものだなクソ…高槻と言えば古墳くらいか…ふるさと納税で古墳型クッションが返礼品にラインナップされているくらいしか笑うところがない、しかし笑いは各々の家庭やコミュニティであれば良い訳でネタになってしまう地元である必要など一体どこにあると言うのだろうか?いや、まあ面白いに越したことはないけど面白い土地って大体治安悪いじゃん。どっち取るかは個人の自由よな。

話が逸れているけれど、地元の、しかも7年ほど住んでいた場所の近所が会場になっていて滅茶苦茶見覚えがある中を走るレースである。

これ練習で走ってる近所をセルフで21km駆け回るのと何が違うんだろ、との疑念は交通規制のお陰で信号を守らなくて良いというメリットで何とか黙らせて会場入りを果たした。

体育館で着替え、陸上競技場のトラックをのんびり歩いてアップ代わりにし、マラソンが趣味の上司と合流して記念撮影をしたりしながら時間を潰し、出発式の間中、全然知らないおばさんに滅茶苦茶話し掛けられて集中する事も出来ず(別に話し掛けられてなくても集中するという発想は無かったけれどカッコつけたかったので書いた)、話題が駅前の百貨店に移ったあたりでスタートし、おばさんとは一瞬ではぐれた。運が良ければまた会おうぜと思ったけど、その後見かけることは無かった。おばさんも完走してたら良いけど。

 

レースは5kmを過ぎた辺りでお腹が空いてきて、昼ごはんに何を食べようか、でも上司も出走しているので一緒に食べる事になるんじゃないか、そしたら選択権はないのではないか、でも希望を聞かれたら素直に食べたいものを挙げられる様に考えておかねばならない、今週何を食べたろうか、最近食べたいと思ったものはあっただろうか、ファミチキ、いや買い食いじゃんもうそれ部活帰りの中学生かよ、上司も流石に引くわそれは、その顔見て僕も自分に引くわ、あー何かもう面倒だな、ラーメンとかでいいかな、お腹空いたな、ラーメン屋ならチャーハンのセットとかいいよな、ラーメン大盛りでチャーハンつけて、チャーハンの大盛りがあったらラーメンは並みのパターンで、餃子は別にいらないけどシェアしようって言われたら食べよう、ビールは流石にいらんかな、てかそもそもラーメンの可能性どれくらいあるのかな、パスタとか?定食屋とか?選択肢無限だな、いや待て、もし上司の家にお呼ばれしたらどうしよう、普通に嫌だな、平時普通にお邪魔するのは全然嫌じゃないけど21km走った疲労を引き摺ってまでお宅訪問したくないな、ていうか上司がそもそも僕なんぞ呼びたくないだろお前何様なんだよ我ながらビックリするわ、思い切り過ぎだよーこれランナーズハイ?ランナーズハイってやつ?それにしてもお腹空いた、さっきより本当にお腹空いた気がする、走りながらこんなお腹空く事ってある?空腹なのに食べ物のこと考えてるから加速してる?餓死するんじゃない?走りながら餓死?でも朝滅茶苦茶食べた上にプロテインまで飲んだのにたった5kmでもうお腹空くって何なの?燃費悪くない?穀潰しかよ、え待って穀潰しの穀が書けない、殻に似てるやつ、いやでもそもそも殻も自信がない、殻、殻かぁ、殻といえば卵、あ!オムライスも食べたいな、やーでも50過ぎた上司にオムライスが食べたいですとか言える?言えないよなー50過ぎでオムライス超いいじゃんポムの樹行こ?みたいになる上司に会ったことある?僕はないよ、ポムの樹めっちゃ好きだけど提案する勇気がないわ、やっぱラーメンだな、ラーメンしかない、みたいな事を考えている間に15kmを通過していてビックリした。

マジで有り難みが無さ過ぎて心底ビックリした。そんな不毛なことを考えながら15kmまで来れた意味が解らなさ過ぎて自分が怖い。全然疲れてないけど時計みたら練習よりペースが遅くてそりゃ疲れてないわなとなった。

そんな事よりも、もっと景色楽しむとか、道路の真ん中を走る爽快感に浸るとか、こんな赤の他人を応援してくれる沿道の人に手を振るとかすべき事はあると思う。

そこからは沿道の人に手を振ったり、ハイタッチを要求してくれる子供たちとハイタッチを交わしたり、阪神タイガースのユニフォームを着て走っている人が「頑張れ阪神!今年こそ優勝や!」と冷静に考えてランナーが一切応援されてない声援をあちこちで受けているのを観察したり、通った事のある道を走っている間は懐かしむなどして過ごした。

 

最後の2kmくらいになると、周りのランナーの人たちが最後の力を振り絞ってペースを上げるので、単純にスゲーと感動し、尊敬しながらマラソン自体が初参加であるので無理するのもなぁと変に冷静になってしまい、選挙カーの如く沿道の老人たちに優雅に手を振りながらのんびり走った。(最後の周りの皆さんの必死さが頑張りで声援に応えるものだとすれば、僕は単純に笑顔とリアクションで声援に応えるというスタイル選択の違いだと解釈して頂きたい。ただの言い訳であるが)

その姿を先にゴールしていた上司に見られ、余裕があまり過ぎている、優雅過ぎるとの指摘を受けた。確かにゴールしても練習よりも疲れておらず、このまま暫く走ってられそうだなという状態であり、まあ初回で「限界だ、もう動けない」みたいになると次回という気が全く起きない歪んだ性格なのでそう考えれば上手く走破出来たのではないかと自己採点した。

受け取った完走証に印字された記録は2時間11分。おっそ。練習よりも10分近く遅い。

流石に2時間10分を切れなかったのは少し悔しかったけれど、単純に練習が足りなかったなぁという印象なので、来年も何かしら走るならちゃんと練習しようと心に誓った。

心臓も脚も大して疲れていないので背筋をもう少し鍛えれたらもっと効率よくタイムが伸びる気がする。

ボランティアの男子中学生がバナナを配ってくれていて、「愛情一杯のバナナです!」と言ってくれたのを受けて「BLかよ」と思ってしまって申し訳ない気持ちになった。

上司と感想を述べるなどし、上司が探して決めてくれたラーメン屋で何と御馳走になってしまい(レースまでも色々気にかけて下さった上に食事まで御馳走して頂くなど本当に宜しいのですかという気持ちでいっぱい。そしてそんな流れになると思ってもなく自分で払うつもりでラーメンに大盛りチャーハンを注文してしまい腹もいっぱい。何から何まで有難うございました。仕事頑張ります)、何か走っただけなのに至れり尽くせりで帰宅してしまった。

何かもっと過酷な感じを想定していたので、せめて来年もこのマラソンに参加して、今度はちゃんと目標タイムを設定して頑張ろうと思う。

 

届いた「ギャル医者あやっぺ」を読んでニヤニヤしてからこれの日記を書いている。

とても面白いので是非お勧めしたい。

ラソンは別に人に勧める感じではない。僕は楽しかったけど。

文字数がフルマラソンくらいあってビビる。(4219文字)

 

またー。

部屋着で見る夢の主演はガングロたまごちゃん。

寒中見舞い申し上げます。

2020年の最初の日記まで随分と時間を要した気がするんだけれど、それは何故かと振り返ってみても特に何の理由もないので「何か適当な言い訳があったらいいのになぁ、そもそも言い訳する相手も必要もないのだけれど」と至極当然の事を考えるなどしており、新年を迎えようが特段変わった事もなく、会社用の日付入りのハンコの月だけを12月から1月にし、散々内にも外にも本年も宜しくお願い致しますと挨拶しまくっていた癖に19年のまま使い続けていたのをようやくこの金曜日に部下から指摘されて気付く始末。

部下に「19年のまま使ってたら歳とらないで済むかなー」と何気なく言ったら「いや、会社の書類なのでちゃんと訂正してください」とツッコミ入れる価値もない発言と判定を下され、しっかりしないとなぁ…と漠然と思うなどして過ごしている。M-1見た?ぺこぱ見習ってくれていいんだよ?

とまあ、ここまで本当に何の意味もない文章を書いているという確固たる自覚及び自信があるのだけれど、要するに本年もこんな調子で自分の時間をドブに捨て、ついでに読んでいる人の時間も捨てさせるスタイルで適当にやっていこうと思いますんで宜しくお願い致します、ね。

こんなの書いてないでマジの寒中見舞い書かねばならないんだけど面倒過ぎて寝てしまいそう。社会的にフェードアウトしない程度には背筋伸ばしていきたいですね。猫背だけど。

 

初夢が随分と裏社会の闇みたいな、ハードボイルド(とは言え僕のハードボイルドはほぼ「ブラックラグーン」から得たイメージなので世間一般が想像するハードボイルドと違ってまずアニメ調である)な内容だったので書くのも面倒なので割愛するけれど、「裏社会の闇」と言う自分で書いた言葉の違和感が凄くてこの瞬間に滅茶苦茶気になっている。裏社会=闇なのでは、と思うのでこれは「裏社会の更に闇の部分」と読んで貰うのが1番自然であると思うのだけれど、場合によっては「裏社会=闇をさらに闇とする訳でマイナスにマイナスを掛けてプラス、つまり表社会」という最早書いている自分にもよく分からない解釈も出来なくもない訳で、なんというかそもそも裏社会に通じた事もなく、これまで触れた社会の闇と言えば、果物の訪問販売を断ったくらいのもんで、他にはもう街頭で募金したものが詐欺だった可能性もあるよなーという感じである。

あとは新書だの文庫本だので多少のルポを読んだり、結局まず表社会すら大して知らないので裏社会の、更に暗部なんてものはブラックラグーンでしか知らない訳であるからして、まあその初夢を「裏社会の闇」と自分では感じたには違いないけれど読んだ人から「え?こんな程度が裏社会の闇だと思ってんの?とんだ甘ちゃんだな」みたいに思われても何か癪なので、そういう理由からも割愛するのが好ましい。プライドがね、邪魔するよね。こういうのはさ。

話は逸れたけれど、初夢に限らず割と夢見がちなタイプなので(何やら自己批判とも取れそうだけど単なる誤用)最近の夢事情を軽く記しておきたい。

 

まずは、何の夢をみたのか解らないけれど、目覚めてからずっとガングロたまごちゃんが頭から離れないという日があった。そしてガングロたまごちゃんはむき卵であるという謎の推測がその後に続く。

公式設定を未確認の為、その真偽は不確かであるが、夢の内容を推測するにガングロたまごちゃんが殻付きなのかむき卵なのかという内容で一悶着、もしかしたら激しい衝突があったものと思われる。殻付きのままおでんに投入するのは味的にも手間的にも衛生的にも利点が乏しいのではと考えているので、その様な夢であった場合は僕は間違いなくむき卵派に立つであろう。

その様な夢であった場合に対峙する殻付き派がどんな主張を掲げていたのかも気になる所ではあるが、むき卵派である故に間違った想像で殻付き派を批難する訳にもいかない(思い込みや決めつけでどれだけ多くの人々が傷付いているか、ニュースをチラ見するだけでも解るはずである)ので、内容を忘れてしまって残念だなぁと思う。

 

後は、見ず知らずのおっさんに「お前には部屋着の概念ってもんがねえのか!!!」と凄い剣幕で怒られて泣いてしまう夢をみた。

「部屋着」と「概念」という「オフの緩さ」と「哲学めいた重さ」の縁遠いタッグ結成の舞台裏にどれだけ感動的な物語があろうとも、そのミスマッチな連携技を持ち出されて怒られてる身としてはまず意味が解らないし、次に意味が解らないし、更に意味が解らないし、その後にようやく滅茶苦茶怒られてんなーとなるしかない。

ただ理不尽であるとは言え、自身における「部屋着の概念(と言うより定義付けの様な気がする。自分もだけど概念という言葉を便利なものと勘違いして使い過ぎる傾向がある)がガバガバで、「部屋着=パジャマにあたる服」しか基本的に持ち合わせていないのは確かであるので、そこを怒られてるのかな、怒らんでも良くね?と思いながら怒られていたけど感情と関係なく泣いていた。(展開的に)

自身としても私服及びスーツとパジャマの間の役割を担う服が必要なのではないかと考えたこともあるので、それがつまり「部屋着」なのではないか、自分の深層心理が「いい加減に部屋着を買え」と勧めているのではないかと夢を自分なりに分析し、ユニクロを覗いてみたものの部屋着を買いに行った事がないので部屋着に何千円もかける勇気が出ず、結局帰宅即パジャマで多少の不便も致し方なしと過ごしていたのだけれど、先日家でアニメ(「ALL OUT!!」というラグビーを題材にした筋骨隆々なのに皆頑張り屋さんでいちいち可愛いけど絵柄の癖が強めな作品)を見ながら筋トレする際、それまで普通にパジャマで筋トレしていたのをスポーツウェアに着替えてやってみた所、あ、これ部屋着に位置付けられるんじゃね?友達の家に泊まった時にその子のお父さんがジャージで過ごしてたし、これが部屋着でも問題ないんじゃね?となり、藤崎竜先生の封神演義に登場する清虚道徳真君みたいだし良くね?となり、遂に僕も部屋着を手に入れる事が出来ましたありがとうございます。

夢が現実に影響を与えるってなんか映画みたいで凄いよなと思う反面、でも部屋着だからなというガッカリ感。

しかしながらライフスタイルに変化をもたらしたというのは夢もまんざら悪いものでもない、けど夢であろうが怒られた事自体はストレスなのでプラマイゼロな気もする。あのおっさん現実に会ったら絶対泣かす、そしたらおっさんは実際には怒っていないので「突然見知らぬ男に一方的に泣かされた」と僕への恨みを抱くという最悪な展開は徐々に周囲の人々を巻き込み、雪だるま式に負の連鎖は大きくなり最終的に地球が滅びるという、こっちの方が映画っぽいなーなんて妄想に至った。

自分の暇さをどうにかした方が良いかも知れない。

 

あ、オリンピックイヤーなので自画像をアイコンに設定しました。何年も前に描いたやつで、しかも別に似てないけどよろしくお願いします。

 

またー。