性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

何もないお盆休みを埋めてくれる作品たち。

アマゾンプライムビデオで作品を再生すると画面にレーディングと共に注意事項が表示されると思うんだけど、

「暴力」「薬物」とかだと露骨だったらどうしようと若干身構えてしまう一方、「飲酒」の飲みっぷりが自分以下だったりすると自分のお酒の嗜み方は警告無しにはみせられない代物なのだろうかとソワソワしてしまう。

宗教的だったり文化的な配慮だと解っていても。

まぁでも最寄りのポイントが「差別的」とか「暴言」とかですらなく「飲酒」で済んでいるのも自分が真面目に生きてこれている証なんだから元気出していこうと心の中のマネージャーが励ましてくれるので、今後も全国目指して頑張っていこうと思いまーす。

直前にコロナに感染してしまい、無事お盆休みの全予定をロストしてしまったので家で映画やら本やら高校野球やら延々嗜んでおり、とりあえず前半にお世話になった作品をまとめておこうと思う。

 

■幽玄道士キョンシーズ(映画/アマプラ)

子供の頃に親に録画を見せて貰っていたなぁと懐かしくなって視聴。

なぜか子供がカンフー駆使する映画をやたら見せられていて、カンフーキッズというシリーズが凄く好きだった気がする。

当時も感じたけれど、二転三転して結局ぶっ倒される親方・・・痛い目にしか遭ってないので切ない気持ちになる。

しっかり硬直している死人(しかもそうなる生前の立場も重々しい)がコミカルな存在になると言うのは悪魔くんや鬼太郎に親しんできた僕からしても近いようで同じでない、微妙にお隣さん的な世界観なので改めて観ると死んでるけど新鮮だなと思いつつ見ていた。

スイカ頭が可愛いけど、記憶ではスイカ頭が続編でとんでもない事になった気がするので大人になった今、逆に観れない気がして一歩踏み出せないでいる。

 

機動戦士ガンダム逆襲のシャア(映画/アマプラ)

アストナージが1番可哀想な気がするし、クェスは勿論のことハサウェイもちょっとついていけない。

彼らの嫌う大人になってしまった・・・と普通に凹んでしまった。

最初から戦争があるもの、あらゆる自由が奪われている中で生まれ育った事で「そっちの基準でやってあげてるじゃん、だからこっちも思うように生きさせてくれよ」という苦しみもあるのかなと思いつつ。

 

■パーム・スプリングス(映画/アマプラ)

程良いスケール感とカラッとした色彩に多湿で暮らしている身体が憧れてしまう。

一度でいいからプールに浮き輪を浮かべ、その上でビールを飲んでみたい。

バカに振る舞う主人公を見ながら「明るく低めに演じている人の苦悩と諦めは根深いんだよなぁ」としみじみ。

ヒロインがヒロインであり、圧倒的なヒーローだった事に滅茶苦茶「良ッ!!!!」と刃牙の登場人物みたいなリアクションをしてしまった。

イムループって結構大層な歴史の転換点を背負っていたり、誰かの命が掛かっていたりするので「モチベどうやって維持できるんだろう」などと単純に感嘆してしまうんだけど、本作は自分たちの心身の為だけに何度も繰り返すことで自身と向き合っていく絶妙なカロリーなのがとても好きだった。

 

■コーヒー&シガレッツ(映画/アマプラ)

茶店に行くと毎日顔を合わせてる常連同士の他にこういう人たちが確かにいて、会話のテンポが間延びしているのでBGMにならず耳に引っ掛かってしまうという現象が起こるんだけど、それを卓越した技術でわざわざ見せてもらって・・・という「俺も、そしてお前も何の為に・・・?」と思わずにはいられない展開(展開と呼べる程に物事が動くなんてことは無い。自分の日常がそうである様に)で、確かに手持ち無沙汰になるとコーヒー飲んじゃうよな、とか言葉を探して目が泳いでしまう自分自身を思い出したりして気恥ずかしくなった。

イギー・ポップトム・ウェイツの妙なプライドがチクリとくる話やホワイトストライプスの2人の淡々としたコントの様な空気、ケイト・ブランシェット一人二役の面白さ(最初気付いてなかった)など、映画を観た!!という感じが微塵もしないんだけど、物語もドキュメントも重いけど何か観たいという贅沢な気怠さを時々抱えてしまう自分には丁度良い内容だった。

 

■雑貨の終わり(三品輝起/エッセイ)

無印良品が大学生の頃から好きだったんだけど、土日のレジの大混雑を見かける度に何となくオルタナが、インディーがもうそれでは無い空気でメインストリームに上がってしまったものと似た気持ちを抱いていて、何というかその正体を自分の想像以上の度数で解析された気がした。ラーメン屋の様なネーミングの高級食パン店よりも、それを隠れ蓑にする様な(位置関係は知らないけど)個人経営っぽい演出のチェーン店のパン屋さんの事もかなり気になっていたので、それについても言及してくれていて面白かった。

目を醒ませ僕らの世界が何者かに侵略されてるぞ、とはカラオケでも大変お世話になっているO×Tの名曲「UNION」の歌い出しであり、そこまで拒絶する態度では無くむしろチェーン店寄りの性格をしているのも確かなのだけれど、最初からその顔で来られるのと入り込んでからネタあかしをさせるのは違うんだよなぁ、とボンヤリ考えてしまうし、「ざっくり同じ」という括り方ほど個人に誤差が生じる基準もそう無いと思う。

雑貨とは何なんだろう、自身が雑貨に囲まれる生活をしていないので本書の大切な部分がまだ理解出来ていないけれど、アンティークの雑貨屋を覗いた時に感じるのは生活の時間の長さや愛着が付喪神的な大切さを加味させるのが雑貨と生活用品の違いなのかなと思ったりもするので、自分に無かった考え方を授けてもらった様な気はしている。

 

■MAGMA(映画/楽天TV)

映画に興味があったというより友達が吹き替えに参加しているという情報で有料レンタルしたんだけど、思った以上にどっしり本格的な設定に「予算さえあれば」と2分に1回は呟いてしまう映像というギャップに悶々としてしまった。

世界中の休火山が突如として噴火し始めて世界ヤバイ、救わないとという話だった。

主人公の大学教授よりもヒロイン的な女性の動機も熱意も関係性もいまいち明確でなく、「この人は何故そこにいて、その熱量で発言して、その深さで平然と関わろうとするんだろう」が拭えないまま世界を救うタスクまで参加している姿に「案外こういう人が数百年後には偉人として教科書に載っていたりするんだろうな」と思い至り、勝手に納得して見ていた。ただ大学教授に「連絡を先延ばしにするのはダメ」みたいな事を言ってて、それは本当にそう、大事なことだなぁと思った。社会人として。

富士山が愛知県辺りにある気がした(気のせいだといいな)のと日本のイメージが驚くほど海外にある間違った日本食レストランのそれだった事は不問にしたい。CGがみんなのゴルフ2くらいツルツルで、もうそんな細かい誤差を気にしている場合じゃ無いので。

 

■ロスト・ラッド・ロンドン(シマ・シンヤ/DMMブックス)

地下鉄でロンドン市長が刺殺され、その地下鉄に乗り合わせた大学生の主人公の上着に凶器のナイフが入っており、無実の証明と真犯人を探して奮闘する主人公と相棒となる刑事を軸に進むコミックス。

会話のテンポが言葉のリズムも間も深めて凄く良くて、大掛かりな展開はないけれどスリリングで先が気になってあっという間に3巻読み終わってしまった。

イギリスの生活の中に当たり前にあるんだろうな、という文化や差別、キャリアのあり方なんかをさり気なく、でもしっかり見せてくれる上に絵がとてもスタイリッシュなので大変に好みな為、他の作品も期待しまくりで購入した。読むの楽しみ。

 

またー。

いろんな場所に身を置きながら誰もが暮らしておるという話。

小型犬が2匹、お互い飼い主に抱かれた状態で鉢合わせ、かなり攻撃的な、高圧的なニュアンスでキャンキャン鳴きあっており一触即発を演出しながらも互いに身動きをせず、一切飛び掛かるポーズも見せないのを眺めながら「ラップバトルの方が断然ハラハラするなぁ」とぼんやり思った。自分達の感情のぶつかり合いが安心安全なエンタメと化してしまっていることを彼らに教えたら僕も吠えられてしまうんだろうか。
その時、飛び掛かる素振りを見せられたら、彼らの中で僕こそが最弱なんだろう。


それはそうと先日、休日のホテルのラウンジにケーキを食べに行ったら周りがほぼ婚活顔合わせみたいな人たちで埋め尽くされていて緊張感がひしひしと伝わってきてケーキを味わうのに大変苦慮した。
当人たちは自身の緊張で精一杯で周りの似たような緊張を感じることも無いだろうが、目の前のケーキと紅茶の残量を気にするのみの自分は全部の席の緊張が少しずつ伝わってきて、率先して集めている訳でもないのに緊張感の元気玉状態だった。オラにみんなの緊張を分けてくれ、でもこれ集めたものの何処に、誰にぶつけたら良いんだろう。選挙か。皆、投票行こうな。モーニング娘。の歌みたいに投票行って外食しような。PEACE。
普段は比較的大人しめな部類の商談やらパパ活やらマダムの集いやらマルチの勧誘やらでバラけるので気にならなかったんだけど、これだけ集うとこちらが異分子過ぎて申し訳なくなってくる。
贅沢しに行っている身分なので身近な場所とは言い難いものの、見知った場所の別の顔を見た気分になった。


近所と呼ぶには微妙な距離に個人経営の割とコンセプチュアルな本屋さんがあって、存在を知ってから行くまでに3年掛かったんだけどいざ行くと楽しくて毎月1度は通う様になっている。
割と問屋からドン!配本でーす系の本屋さんにもよくよく見ると特徴があり、その品揃えと店員さんたちが生み出す空気感で頼れるお店というのが生まれるんだけど、セレクトショップ感があるというか、かなりコンセプトというか店主さんの美学で棚が埋まっている本屋さんというのは入る前にまず緊張で背筋が伸びてしまう。
初めてお店に向かう時は「きっと難しい本がたくさんあるんだろうな」と思っていたけれど、お店の選考を経た、言うなれば勝ち抜いた本が並んでいるので大きな絵みたいな印象になっていて勝手が解るまで途方に暮れてしまうだけなのだと思った。
恐る恐る気になる所に手をかけると次々と気になる本を見つけてしまう沼の様なものなのだと感じている。いや恐ろしい。抜けられる気がしない。
一冊をしっかり選んで買って帰り、普通の本屋で買った本なんかも挟みつつ一月で読み切ってそのイメージ。
今はどこからどう興味が繋がったのか雑貨論の様なエッセイを読んでいて、これを読み終えた自分が次はそのお店のどこが気になるのかが密かな楽しみである。
大前提としてお店の思いと自分の興味が合うかどうかの運もあると思うので、その辺を考えるとラッキーな出会いだったなと思っている。


またー。

一丁前にサラダ。

武尊選手のカミングアウトに触れ、次元が違い過ぎるのだけれど「勝って当たり前」に晒されまくる管理職、自分が倒れたら終わりという生活そのものからの何重ものプレッシャー受ける自分が言えないしんどさを「そう思っても良いんだ」と思えた事でとても感動しているし、感謝しています。


弁当屋さんで出来上がりを待っていたら、後からやって来た男の子が弁当を注文し、友人と談笑している中で「この前、親の前でサラダ注文したら『一丁前にサラダ食べる様になったんやなぁ』言われて何か腹立ったわ」と言っていて、それは食生活に気を遣えるまでに成長した息子を喜びながらも素直に言えず照れて茶化しているだけなのではと思いつつ、「一丁前にサラダ」というフレーズの語感がとてもよくて「一丁前にサラダ、サラダ、サラダ…」と心の中で延々と呟いてしまった。OGRE YOU ASSHOLEはラムダ・ラムダ・ラムダ、レヴュースタァライトはロンド・ロンド・ロンド。
成長した息子は一丁前にサラダ、サラダ、サラダ。
当人に意味が通じるまでにまだまだ時間を要するのも含めて良い話だなと思いつつ、でも普通に褒めてあげた方が健康的な生活を送れるのになと思ったりもした。


気温が一気に上がって梅雨を実感する前に夏めいており、近所の田んぼのカエルも大変元気でよろしい。(得意ではないけど鳴いてないカエルが大量にいる方が映画のようで不気味な為)先日、買い物帰りに田んぼの前を通った際、田んぼのカエルの声を聞きながら話している親子がおり、「あぁ、生き物が好きな子供なのかな」と思いながら通り過ぎようとしたら、子供が「お母さん、知ってる?カエルの肉って食べれるねんで!」とワクワクした感じでまさかのグルメ路線で熱弁しており、母親は母親で「食べなくても済む様に頑張って働くわ…」とまさかのいざという時はカエルを狩って食いつなぐというニュアンスでイメージが完全共有出来ているのにテンションと機会の質が完全に食い違って交わりようがなく笑ってしまった。
全然交わらないのにちゃんと親子の会話として成り立っているように外野から聞こえるので素敵だなと思ったと同時に母親ってカエルを食べる可能性まで考慮しなければいけなくて大変だなと思うなどした。


そう言えば京都に行った際、京セラ美術館でポンペイ展を鑑賞した。
火山灰に埋まった(沈んだ)街から発掘された生活様式や美術の歴史に触れ、同時に自然の恐ろしさを感じると共に「自然災害の研究をする事で次に備える事が出来る」と人類の歴史そのものだけではない観点での大切さを研究者の方が語ってくれる映像を観て、その観点でこれまで展示を鑑賞した事がなかったなと新たな考え方を授けて貰えた気がして嬉しくなってしまい、Tシャツを物販で購入してしまった。加えて展示物にあった炭化したパンをモチーフにしたポーチに「こげぱんの始祖じゃん」という気持ちが拭えずこれも購入。最近の展示はどこもグッズが凝っていて面白いが、財布の紐が緩むので恐ろしい。
こげぱんの始祖はサイズが微妙(絶妙?)過ぎて何を入れて良いか解らず、とりあえず枕元で毎日炭化っぷりを見せてくれている。


雨の日、道路に出来た水溜りに初心者マークが水没しているのを見かけて入社してきたけど一瞬で辞めてしまった新卒の顔が過ぎった。
名前も覚えられなかったけど、まあ沈んでしまわない様に去ったのだと考えれば決断が早いほど良いとも思える。
無事浮上出来ていますように。


またー。

ニベアを塗りたくって福を呼び込みたい。

「あそび」という検索しにくさこの上ないコンビの『新人バイト』というコントを眺めていたら恐竜がコンビニに新人バイトとしてやってくるという内容で面白かったんだけど、何より序盤で肌がベトベト(かベタベタかヌルヌル)していると言われたのに対して「ニベア塗ってきたんで!」と恐竜が元気よく返しているのが滅茶苦茶ツボに入ってしまったし、僕も乾燥肌で夜なんかはニベアをベトベトになるまで塗るタイプなので今後は「ニベア塗ってるんで!」と元気よく言っていこうと何故か励まされてしまった。元気よく「こうなんで!」と言えるのは凄く気持ち良いし、羨ましい。特に自分は何に負い目というか、どこに卑下しているのか解らないけどへり下りがちな所があるので、あの恐竜の様に肯定感高くニベアを塗りたくりたいなと思った。
コント自体、好きなテンポで続くので楽しかった。


そう言えば、家の周りが何故か割と緑豊かなので唐突にビワの木なんかもあったりする。
別に今が旬という訳ではないけれど、その木の前を通るたびに思い出すことがあるのでそれを書いておきたい。
ビワの実が沢山なり始める頃、毎年綺麗だなと思って通る度に眺めているんだけど、毎年毎年、ある日突然カラスが大挙して一日でそれを食べ尽くすのが映画の様で滅茶苦茶怖い。
その日までは抜け駆けもせずに大人しくしているのに、何を合図にしているのか解らないが毎年一日で食べ尽くすんである。
たまたまその日にビワの木の前を通るとカラスが実を落とすわ、それを横取りするなと威嚇されるわで大変恐ろしい目に遭う。
熟れて実が落ちたのを確認して「いけるぞ!」となるにしろ、ボス的な個体が「よし!今日は祭りじゃ!」と解禁するにしろ、何にしてもカラスの社会が高度過ぎて感心するし滅茶苦茶怯えてしまう。賢過ぎる。
「このあと夕飯に揚げ物食べるんだけどなぁ」と思いつつも我慢出来ずにばくばくチョコを食べてしまう僕なんかよりもカラスはずっと賢いと思うし、飛べるし、気も強いし、群れだしで勝てる気がしない。ヒッチコック監督の「鳥」を観て以降尚更そう思う。あの世界でも間違いなく僕はさっさと始末されているだろう。最後まで生き残れる訳がない。
木の前を通り、カラスのビワ狩りを思い出す度に「そもそも残らないんだし、残り物には福はないな」と思っていたらYouTubeでたまたま流れてきたトリビアの泉というテレビ番組の切り抜き動画で「80歳以上に聞いた『嘘だと思うことわざ』ランキング」にも「残り物には福があるは嘘だと思う」とランクインしていたのでカラスと人生の大先輩方の両方からお墨付きを頂いた気がする。
早まってもいけないし、出遅れても行けない。
非常に難しいが程々に上手くやる器用さがこんなに大切だとは子供の頃には思いもしなかった。
何の話だっけ?


拝啓工藤、大阪がカジノ建設云々でヤーヤー言うとりますけれども、その辺どうお考えでっか?なんやて?(誇張し過ぎた服部)
僕としての意見はカジノよりUSJの2号店を建てたら良いのになぁ、の一点掛けでスーパーひとし君人形、ファイナルアンサーである。
折角ハンターハンターコラボをしているのでグリードアイランドや天空闘技場を作ったりしたら混雑の分散にもなるし、皆通う程に強くなるので厳しい時代を楽しくサバイブ出来るのではという安直な発想。将来的にはあなたの街の美味しい暴飲暴食の心強い相棒ことじゃんぼ総本店(お世話になっております)の様にどんどんUSJを展開して行って、最終的にはUSJUFJどっちが多いの論争、という大阪生まれ大阪育ちが子供の頃からずっと距離感が微妙な友達同士の苦し紛れな会話でねじ込みがちな精度もへったくれもないネタを現実のものとしてあげる事で土地に溜まりに溜まったネタの怨念が浄化されて皆の心も晴々、気分も良くなったので経済も右肩上がり、ハンターが多数いることで犯罪も激減、強豪校の野球留学の様に大阪からハンターを各地に派遣するという新たなビジネスも軌道に乗り、最終的にはサマソニの東京と大阪での面子及びステージ数の格差が是正されるというハッピーエンドを迎える、というのが僕の筋書きなので今後を注視したい。
米津玄師さんのLemonの再生回数よりも多く繰り返されたネタを今更引っ張り出してきたせいで動悸がするので果たしてその結末を見届けられるのか、多少不安もあるもののそこそこ頑張っていきたい。


またー。

雨乞いサンバで雨に挑む天才。

同じマンションの住人に集会室に集められ、「YouTubeで見た」と豪語する雨乞いの踊りを教え込まれるという夢をみて、目覚めたら雨が降っていた。YouTubeで(どこかで伝承されているであろう)雨乞いの踊りを見る、というのは物凄く現代的な組み合わせだなと思いつつ、それを見たとして何故住人を集めてダンススクールさながら教え込もうと言うのだろうか。皆で踊った方が効果が高いんだろうか。何故雨乞いの踊りを舞う必要があったのだろうか。マラソン大会や運動会や球技大会が嫌だったんだろうか。どれだけ疑問に思ってもそもそも夢なので解消のしようはない。
ボンヤリした頭で「雨乞いの踊りをYouTubeで見るって…それを人に教えるって…」と踊り自体を思い出せないモヤモヤ(バラバラに練習している中、そろそろ円になって踊りましょう!みたいな事を言われた辺りで夢から覚めた)しつつ窓を開けると雨が降っていて完全に目が覚めた。
思わず「えー…」と言った。
とは言え前日から天気予報で雨が降るかも、という予報は知っていたので、夢が降らせた雨だなどと言うつもりもないが、だったとして雨を降らせたい用事が予報を見た自分にあって、それが夢に雨乞いの踊りという謎イベントを採用させたのだろうか。
むしろ通勤の荷物に傘が増えるので全く歓迎する要素がない様に思えるが、深層心理で雨を欲している可能性もあり、それは表面上からでは自分ですら解らない。
果たしてYouTubeにある雨乞いの踊りとはどんなものなんだろう、と興味本位で検索したらテニミュ(テニスの王子様のミュージカル)の「雨乞いサンバ」なる動画が出てきて滅茶苦茶ウケてしまった。
思っていたのと違うが、これはこれで良い。
天才不二が歌い踊っていた。
その後、普通に雨乞い踊りも出て来て、福井県大野市のチャンネルで越前大野越前リョーマ…と結局またテニプリに帰結してしまって本当に何なんだ。テニプリ無限回廊にでも放り込まれたのかと震えるなどした。
素人が手を出してはいけないものNo.2ことテニスの王子様、遂に向き合う時が来たのかも知れない。(No.1はFX)
それにしても最近夢が鮮明過ぎて困るまではいかないけれど睡眠の本分であるはずの休息を得られているのか怪しく、どうにかした方が良いのでは(そう思ったからと言って何が出来るのだと)と思っている。
何故か「ポケモン言えるかな」のサビ終わりの「ポケモンのなまえ〜」を別のフレーズに置き換える大喜利に巻き込まれており、何か出さなきゃと思って「ラ・ラ・ラ言えるかな、き・み・は言えるかな、親が転売〜」と答えたら静か過ぎて耳がキーンとするという夢をみた。最悪過ぎる。自分の回答も夢の中と言え重ねて最悪過ぎる。
夢日記をつけると良くないとは言え、強烈なものは覚えてしまっているので仕方ない。有象無象の夢を書き留めていないのでセーフと言うことにしておきたい。
夢は自分の記憶やら感情を整理するためにみると言う話も聞いたことがあるけど、だとして今日ここに記した夢で僕は自分の何をどう整理したかったんだろう。僕の記憶は汚部屋か?だとしたら自力じゃ無理なんで清掃業者をお願いしたい。


またー。

オニギリアソリッド3

平日、会社勤めの昼食としてほぼ毎日おにぎりを3つ握って持参している。
元々はお弁当を作っていたのだけれど、昨年の夏に傷む可能性を考慮して秋になるまでおにぎりだけで我慢しようと思って始めてみたら、自分がそもそもおにぎりだけで全然満足するタイプだった事に気付き、通年オニギリスタイルに切り替える事にした。
これまでのお弁当の作り置きは何だったんだと思うものの、もう何年もそうしてきたからこそ解った事かも知れないと言い聞かせている。
お昼に食べたいものを考えるのが億劫というか、好きなものを好きなだけ食べたとしてもどうせまだ半日職場で仕事しなきゃいけないんだと思うと「そこまでのコストを掛ける程のものなのか」という若干歪んだ思想を持ち合わせている影響もある。
そんなこんなで打ち合わせなどで外出する場合は外食になる可能性を考慮して作らないものの、基本的には部下にランチを無心されない限りはおにぎりを握っている。(自分がランチを無心出来ないタイプの部下だった為とても羨ましい。この世に後輩風というものもあると思う。先輩風が不得手な目上の為に吹かせてやるのだ)
おにぎりは前夜か当日の朝に握る。
夜は早く寝たい、朝は単純に1分でも惜しいという理由でもお弁当より準備が楽である。
最初は塩、鮭フレーク、おかかなど毎日違うバラエティー豊かさを追求していたものの、鮭フレークを適量掬うスプーンや鰹節と醤油を和える為の箸と容器を洗うのが億劫に感じられ、どんどん研ぎ澄まされた結果、塩、胡麻塩、塩になった(塩×2としないのは何故か塩→胡麻塩→塩の順番に握る癖がついていたから)にまで単純化されていたんだけど、塩、素、塩でも良いのではと思った時に「いやそれは流石に…」と自分で引いてしまい、手間とのバランスも考慮して塩、塩昆布、ゆかり(ふりかけ)に落ち着いている。どれくらい落ち着いているかと言うとこの布陣が不動で半年続いているレベルで落ち着いている。色々ふりかけジプシーをした訳でもなく、まあ十分かなとさっさと落ち着いてしまった事は悔やまれるも、自分のボーダーが塩、胡麻塩、塩よりも若干上に設定されているんだろうなぁ、と納得済みの為、飽きない限りはこのオーダーが続くだろう。
だから何だという話でしかないけども。


アマゾンプライムビデオで名探偵コナンの歴代劇場版が見放題なので気になったタイトルから順番に観ている。自分が小学生の頃にはアニメ化されていた作品を今も電子書籍で全巻所持しており、劇場版の新作を毎年楽しみにするだけでは飽き足らず過去の劇場版作品まで観ているんだよ、と小学生の頃の自分に言ったら何て言うだろうか。
きっと「え?テレビやってるのに観ないの?本当に好きなの?」と言うだろう。
「大人になっても好きなの?」と言われるよりも抉られる気がする。大人になっても好きなのでそんなものは何のダメージにもならないけれど、好きを自負しているのに肝心要、ここから入ったと明確な地上波テレビ版を観ていないのに何を言っておるんだ君はと言われるとぐうの音も出ない。作中でコナンくんにやんわりおとぼけ調で論破されたありとあらゆる大人たちの気持ちが痛いほど解る。痛みを知ると人は成長するらしいのでそこに全額賭けていきたい。
それはそうと名探偵コナンに長く触れていると自身が子供だった頃には気付かなかったのに今はやけに気になってしまうポイントがいくつかある。
微妙過ぎるんだけど、微妙過ぎる故にチラチラ気になってしまい進行するストーリーを前に自分だけが一瞬足を止めてしまい、我に返り早足で追いつくみたいな事をしてしまう。
今回は少年探偵団の皆をまとめて蘭姉ちゃんなどの保護者枠や大人が呼ぶ時に「子供たちー!」と呼ぶ場面に遭遇してしまい、それが大変気になってしまった。
文章では「子供たちと」などと書くことは当たり前にあるが、声に出して子供たちを呼ぶ際に「子供たちー!」と発声するだろうか。僕は聞き逃しも多々あるだろうけど今まで「皆ー!」と呼びかける場面には遭遇したけれど「子供たちー!」と呼びかける場面には遭遇した事がない。
もしかしたらコナンの世界では「皆ー!」と呼ぶと阿笠博士なども嬉々として駆け寄ってくるんだろうか。それはもう現場というよりパーティー。パーティーは足で稼ぐ世界線
あとはやっぱり大学生老け過ぎ問題があるけど、これは前からなので割愛したい。大学生に村でも焼かれて恨みでもあるのかというくらい基本的に老けている。大学生に村を焼かれるって金田一少年の事件簿であったけど、まさか金田一少年の事件簿の村で生まれた少年が大人になって名探偵コナンを描いているなどと?思う訳?ない。


またー。

ハイブランドンキあれそれ。

Twitterを10年以上使っていて、時々「この、いつでも辞められるんだからな!と思いながら延々辞めないこの感じは恐らくギャンブル好きとかタバコ好きとかと分かり合えるんだろうな」と思う。実際どうなのかは解らないし、お互いにお互いをコイツと一緒にしないで欲しいと心のどこかに秘めている可能性はある。社会って大変。
何となくネットで見かけたシャネルの香水が可愛すぎて買って以降、ちょいちょいハイブランドの広告がタイムラインに流れてくる様になった。
これがインターネットに監視されてるってやつか!最近攻殻機動隊を観てるからこれくらいじゃビビらんけどな!と斜なのか何なのかとりあえず構え、それぞれのブランドのプロダクトが綺麗なのでついクリックしていたら流れてくる広告が90%ハイブランドで埋め尽くされる事態となっている。
あらゆる新作コレクションのショーなども観ており、何故かプラダエルメスなどの新作を滅茶苦茶見知っている状態なのに全く購入したことがないという化け物が育成されてしまった。買ってもらえないおもちゃの広告を切り抜いてコレクションしていた幼少期を彷彿とさせる。その頃との当社比とは言え「金ならあるわよ」と言える大人なのにも関わらずである。
まあ何にしてもハイブランドの造形美や視覚表現はお金が掛かっているのもあってやはり美しく、目の保養として有り難く逐一拝見している。(正直香水の広告は表現がぶっ飛び過ぎてて全然ついていけないので所詮は付け焼き刃と思い知らされる訳だけども)
今後も誰かが買い支えてくれるお陰で生まれ続ける豊かな表現のおこぼれを頂戴したいし、そのうちカバンくらいは買いたいと企んで吟味している。
ちなみに残り10%にねじ込んでくるのはドンキの広告である。強過ぎやろお前。飲食店で溢れかえる食べログにコンビニのイートインスペース投稿する会員か。まああれはあれで役立つんだけど。
ドンキの経緯としては、恐らくトー横界隈の話を検索し過ぎた事で生じたアプローチであろう。
もしかしたらその派生で新宿の煌びやかな夜の街という角度からハイブランドも流れ込んで来たのではと思わなくもないけども、それは流石に自分がシャネルの香水を調べて買った事によるものにしておきたい。これがプライドというものである。


先日、阪神タイガースの試合を見に行こうと電車に乗ったらピカチュウのリュックに鬼滅の刃の雷の呼吸の使い手である我妻善逸のキーホルダーをつけた男の子を見かけて「属性がハッキリしていてカッコイイな!」と感心した。好きなキャラクターがたまたま両方電気属性だったのかも知れないけど、一貫していて良いなぁと思った。自分はどんなキャラクターが好きだったろうと思い返しても全然一貫性がない。
僕はポケモンではフシギダネが好きで、鬼滅の刃では蟲柱の胡蝶しのぶさんが好きです!当方、蟲の呼吸というか虫の息です!バトルお願いします!
僕も随分と古のオタクの諸先輩方に近付いてきたので、雷の彼には天野銀次をオススメしたい。雷帝になって欲しい。冷静に考えて奪還屋って何やねんな。
その彼もまた甲子園に阪神タイガースを応援に行くようなので(ピカチュウのリュックから応援用のメガホンが突き出してデッドプールみたいになっていた。例えが最悪でごめんな)何としても勝ってもらいたいと思い、大山選手のタオルを買って応援したら大山選手の活躍もあって勝利してくれて本当に良かった。
今年の阪神タイガースは我慢の時間が長いけど少しずつでも取り返して行ってくれたら良いな、と思った。
この短時間で話の内容がすり替わってしまっている。やはり一貫性のない人間、こんなものである。


それはそうとユニクロにチノパンを買いに行ったら裾上げの対応として下さったスタッフさんの対応が丁寧過ぎて「1990円のチノパンにして頂く接客じゃなさ過ぎる」と恐縮するレベルだった。
無事に裾上げ位置をピン留めして貰って着替えている最中、「もう脱いだタイミングでカーテンを開けられる悪戯でも喰らわないと割に合わない気がする…」と思ってしまった。
丁寧に接して頂いて本当に有難いのだけれど、そこまでして貰うようなレベルじゃないんでとハラハラしたし、平日というのもあったけど裾上げが20分で仕上がるというのも何というか頑張り過ぎなのでは、と。話題のヤクルト1000を差し入れしたいレベルだけどそんなもんを渡してしまったら「もっと頑張れと仰るのか」とあらぬ誤解を抱かせてしまいそうだなーと実際差し入れもしないのに考えていた。
見知らぬ人間からの差し入れなんて怖過ぎるしな。
感謝の気持ちで「本当にありがとうございます!」って伝えるに留めた。
また利用することが一番の恩返し。


またー。