性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

煮干しが前髪を泳ぎきるまで。

最近、誰でもいいから本屋に行って各自買い物をし、何故その本が欲しかったか、どこに興味を惹かれたのかをコーヒーを飲みながら発表だけして解散するという事をやりたいとずっと思っている。
勧め合いとか、書評みたいなのはハードルが高い。
お互いこれから読む本のどこに好奇心を刺激されたのかというワクワクを伝えるだけの時間があってもいいのではと考えているんだけど、令和はやっぱりコスパ・タイパの世界でもあるので読み終わった後の見解というものの方が重宝されるんだろうか。
ジャンルに興味を持ったとか、タイトルから想像したのが面白かったとか、表紙買いした本のどこに買ってみようと思うほど惹かれたのかという話が滅茶苦茶面白そうと思う人は少ないんだろうか。
何となくそんな事をずっと考えている。


そう言えば定時になったところで部下に「今日は髪を切りに行ってきます」と宣言され、そう言われてからずっと「翌日髪型についてコメントをするべきなのか」をめちゃくちゃ悩み続けて最終的に触れないことにした。単純に早く帰りたい理由の報告かも知れないという、僕なりの結論による選択である。
これまで一度たりとも早く帰る理由の説明を求めたこともないし、さっさと帰って欲しいというのは「はいはい」というぞんざいな重ね言葉を引き出すほどに重ね重ね浴びせ続けてているので伝わっていると思っていたが、まだ足りなかったのかも知れないと反省した。
有給休暇の申請も「明日休みます」とか「今日午後休もらいます」と言ってくれたらそれで良い。何故なのかは興味もないし自分が聞かれたら普通に嫌だ。どうしてもお願いしたい予定ですら案外いないならそれなりに何とかなるものである。
そう言った気持ちを持って翌日たまたま開催されたミーティングで「年度末で帰りにくいかも知れないけど予定と照らし合わせて上手いこと帰りましょう、有給も消滅してしまう分がある人は少しでも使いましょう」みたいな事を改めて伝えた。
頭に「繰り返しでしつこいかも、ですが」と添えてである。
そしたらミーティングが終わった後にその部下がやってきて、あ、休みの報告かなと思ってどうしたのと尋ねたら「昨日髪切るって言いましたよね、何の感想もないんですか?」と髪型のコメントを求めてきてマジでただの前フリだったのかと衝撃を受けた。己をコンテンツとして認識できる自信がマジで羨ましい。
愛されて育ったんだなと思う、と言うのは簡単だけど僕もまあ愛されて育ったはずで、どこまで自覚的なことに無自覚でいられるかみたいな話に頭の中でなっていった辺りで働かねばとシャットアウトした。


それはそうと自分の間食の最適解が煮干しであると導き出された。
それもナッツが入ったり胡麻がふられたオシャレなやつでなく、ガチで出汁用に売られている大きめでガシガシした徳用の煮干しである。
味の濃さと噛みごたえを追い求めて辿り着くというガムを選びと何ら変わらない発想で、後から健康にも良いと控えめに言い訳として付いて来る事態となっている。
とは言え職場で徳用煮干しをボリボリやってるのを周りに見せてワイルド通り越して奇怪な獣として怯えられるのも本意ではないのでこれまた徳用サイズのタフグミをずっと食べている。
歯磨き効果を除けば犬の骨ガムとやってる事に差が無い気もするせいか、最近では街ですれ違うわんちゃん達に並々ならぬ親近感を抱いて「僕もガシガシ噛んでるんですよ」とニンマリする始末。
生粋の猫派だと思っていたが親しみを抱くと随分と傾くもので、元々YouTubeに上がる最高ドキュメントの一つ富山ソフトセンターの集団狂犬病予防接種を観て自分も頑張ろうとインフルエンザの予防接種を打ちにいったり献血に行ったりしていたので犬好きが加速しているのを感じる。
これまでの好きのJRの新快速くらいのスピードだったものが新幹線のこだまくらいになっている気がする。
自分の精神構造が単純過ぎると思い知るたびに恥ずかしさに苛まれるが、一方でこんな偏屈な割に読後感が特に残らない謎の長文を書いている人間にそんなスカッとした面が残っているというのは喜んでもいい事だとも感じている。
喜び、どう表現すればいいのだろう。
イェーイ!
違うか。


R-1楽しみだなぁ。


またー。