性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

ほな全集中の呼吸と違うかぁ〜

元々そんな話し方だったのに、最近「ミルクボーイみたいな話し方ですね」と言われることがとても増えて釈然としない。

関西人には割と一般的な話し方と思われるので、同じような事を言われて悶々としている人たちがいるのではないか、その人たちと肩身を寄せ合い、静かに暮らしていきたい、だけどこのささやかな願いを踏みにじる様に軍は僕らを弾圧し、根絶やしにしようと追い立てるのであった…などと妄想が広がる訳だが、何にしても救いなのはミルクボーイの漫才が穏やかで老若男女に受け入れられるという点に尽きる。僕も好きだ。

もういっそ寄せていくかと思い、YouTubeなど見ながら真似て口に出してみるものの、全然似てなくて愕然とする。何を持ってして似てると言われるんだ。外の道は長く険しい。

結論、ミルクボーイは凄い。

 

そう言えば、休日出勤の振替休暇を取得していたものの、予定していた宝塚歌劇阪神タイガースの公式戦もコロナの影響で中止となってしまい、何もない休日になってしまう寸前、書店で予約していた「鬼滅の刃」の単行本ほぼ全巻が入荷したとの連絡があって会社帰りに受け取ったのは前日の夕方であった。

ピンチに駆け付ける鬼殺隊の様、恐らく公開が迫る劇場版の内容を含んでいるせいか8巻だけが予約が一杯で欠けてしまっているが、それまた「鬼滅の刃」らしい、失っても立ち向かうという強い意志を感じて励まされてしまう。(都合の良い解釈極まれり)

受け取った晩は読みたい気持ちをグッと抑え込み、ビールでググッと飲み込み、そのままグデッと寝落ちして耐え切る事に成功した。僕は主人公の炭治郎と同じく長男だからな。長男だから我慢出来た。僕が次男だったら無理だったろうけど長男だからな。

 

時差出勤の影響で平時に比べて早く出勤しているせいか、朝の5時頃に目が覚めて、全然人もいないうちにランニングをしようと家を出た。

マスクをして走ると高地トレーニングの様な気分を味わえて普段の倍しんどい。高地トレーニングやったことないけど。

マジで人がいない。5時台だからな。6時台だったらまだ出勤している人も多いかも知れないけど5時台だからな。

家に帰ってシャワーを浴びたら「鬼滅の刃」を読もうと思いながら走っていたら自転車とすれ違い、ちょっと避けておくかと思って横にズレたら何かに躓いて派手に転んでしまった。

集中していなかったからな。集中していたら転んでないと思うけど鬼滅の刃のことを考えて集中を怠っていたからな。

ここで全集中の呼吸を引き合いに出すべきか、否、皆、全集中の呼吸を勘違いしていないか?滅茶苦茶な鍛錬の先にあるのが全集中の呼吸なんであるからして、誰でも使える訳ではないのだ。全集中の呼吸に頼るな。まず己を磨け。俺は磨けてないからな。磨けていたら全集中の呼吸を使えたかも知れないけど全然磨けてないからな。人の事はまるで言えない。

ともかく、別に自転車が危険走行をしていた訳でもなく、自分がちょっと間隔開けておくかと思ったが故に派手に転び、両膝と両掌を激しく擦り剥き、挙句顎も擦ってしまい流血三昧である。

こんなに派手に怪我をしたのは左手に側溝の蓋が突き刺さった小学3年生、もしくはローラーブレードでジャンプして受け身をとれなくて左手を骨折した小学5年生以来で、鼻血と採血や献血以外で自分の血を見るのも久々なので「血は流れるものなんだなぁ」と考えながらランニングを切り上げて帰った。

ランニングで血の巡りが良くなっているせいか滅茶苦茶血が滴っていて、何かドラマチックなことが起こったみたいだなと思っていたけど、早朝ということで20分くらい歩いても誰ともすれ違わずに家に帰り着いた。物語って一人じゃ成り立たないんだな。

全然血が止まらないので藤崎竜先生版「封神演義」ファンお馴染みの名台詞「血が止まらねえさ」を声に出して呟きながらシャワーを浴びて消毒液ぶっ掛けてガーゼを貼りつけた。普通に、凄く、痛い。

振休で良かった。振休じゃなかったらこの状態で出勤しなくてはいけなかったけど今日は振休だからな。(そもそも休みじゃなきゃランニングしてないので転ぶことも無かったんだけど)

滅茶苦茶ボロボロの状態で「鬼滅の刃」を読み始めたせいか、主人公である炭治郎たちがボロボロになる度に傷が疼き、共に乗り越えているかの様な気持ちになる。単純を通り越してしまっている気がするけどすいません。任侠モノの小説を読むと言葉が乱暴になるくらいの単細胞なんで。

アニメ版の「鬼滅の刃」では胡蝶しのぶさんというキャラクターが一番好きなんだけど、漫画でもやっぱり胡蝶さんが好きだったし、善逸というキャラクターも随分追い上げてきて買ってよかったなぁという気持ちになる。

新刊が出るのが楽しみだし、ワクワクしながら映画を待っているし、買えなかった8巻を手に入れる日も早く訪れたら良いなぁと思っている。

作中の登場人物が滅茶苦茶なペースで回復するので、自分の擦り傷たちも早く治るんじゃないかという気になっている。小学生かよ。

明日までに少しはマシにならないと会社でギョッとされてしまう。「その手はどうしたんだ」と聞かれた時、自転車を避けて転びましたとか、ちょっとカッコ悪くて言い難い。

「学校に潜入したテロリスト集団を征圧していたら…ね、まあ擦り傷ですよ」みたいな事しか思いつかないし、そっちの方が社会的に致命傷になりかねないので、聞かれてしまったらば正直に話そうと思う。

 

同じ様な物言いが多かったのは「鬼滅の刃」にどハマりしている影響です。ご了承頂くと共に是非お読み下さい。

 

またー。

褒められた時のリアクションは練習しておくべき。

豆腐の話をしていて、小学生の頃のことを思い出した。

地元の商店街の人に話を聞きに行こう、みたいな校外学習で豆腐屋に行った時(商品は早朝に準備しているので、お客さんの相手をしながら掃除をする店主のおじさんに緩く話を聞くだけという、貴重な機会にも関わらず小学生としてはインパクトに欠ける場であった)に、「豆腐を作るには綺麗な水がいる」という話に対してクラスメートがスカした感じで「綺麗な水がないと作れない…シリコンバレー半導体と同じですね!」と言い放ち、その場にいたクラスメート全員が「それ、この前社会の授業で習ったやつやん」となり、おじさんには「この子供は何を言っているんだ?」という感じで流されてしまったのを思い出して、今更である上に他人事にも関わらず滅茶苦茶恥ずかしくなってしまった。

豆腐と半導体を結び付けられる柔軟性を持ちながら何故愛されないタイプの円谷光彦(名探偵コナン)みたいな感じになってしまったんだろう。光彦の社交性が高く、紳士的な性格が突き刺さる。

光彦、お前は素晴らしい子供だよと最終的には光彦を崇め、光彦が自分と同じように成長したとして、どんな音楽を聴く大人になるんだろうなぁと妄想した結果、クラシックとか声楽とか洋楽じゃなくてtofubeatsなんじゃないかという結論に達したんだけど、これ完全に豆腐の話に引っ張られただけだなとなって己の単純さに溜息が出るに至った。

バーロー…。

 

それはそうと、このブログを書いていて褒められる事はほぼ無い。

別に褒めてくれと言いたい訳ではない。

褒められる事がほぼ無いという現実よりも褒めてくれと言いたい訳ではないことを解って欲しい気持ちの方が強いくらいである。どうかお願いしますよ、お願いしますね。

何故なら、褒める為には褒められるべき内容がまず必要という、この世界の真理に僕も辿り着いているのだから…(最近「鋼の錬金術師」を観て影響受けている。すいません。)

そう、褒めるポイントとなるべき内容がそもそもないんである。

無い袖は振れない、皆、着たくもないタンクトップを着せられて、こんな、長い文章を、読まされている。

その苦しみの岩を潜りて「内容が無いのに長い」という点を無理やり褒めてくれる慈悲深い人にお目に掛かる事が稀にあるので、最早インターネッツ荒業として成り立っているのかなと開き直っている次第である。

そんな中、「内容が無い時に下ネタに逃げないのは偉いですね」と言って頂く事があり衝撃を受けた。え?そういう褒め方あるの?マジ?と、褒めの新大陸を発見した気分である。そもそも大海に漕ぎ出してもないのに大陸側からやって来て頂いて申し訳ない。ハワイ島ですら少しずつしか寄ってこないというのに大盤振る舞いにも程がある。楽天ポイントの還元率が霞む程のサービスっぷり。神…様…(RADWIMPSふたりごと」参照https://youtu.be/gmLXEmCExIE)

しかし、下ネタに逃げる方が滅茶苦茶難しい不自由な性格をしているが故にその偉さが微塵も体感出来ないでいる。実に勿体ない。褒められる事なんて基本的にないというのに、その貴重な機会に俺は一体どうしちまったんだ、とキャラにないニュアンスで狼狽するばかりである。

下ネタが言える人はマジで凄い。

芸人同士が相手を笑わせんと激闘を繰り広げる「ドキュメンタル」なんかを観ていても、起死回生の一撃が下ネタである事は実に多い。要するに下ネタを使えない人間は窮地で狩られる側の存在であると思っており、そう思っているにも関わらず下ネタを振ず、奮えず、震えている自分がまさか褒めてもらえるだなんて、という感じである。

確かに僕自身も下ネタを使わないタイプのお笑いが大好きであるので、下ネタを使わないことを褒めて貰えた事自体は滅茶苦茶に嬉しいのだけれど「下ネタに逃げない」というのは間違いで、単に「下ネタをかます根性がない」というのが正しい。

この「使わない」と「使えない」の違いは余りにも大きく、勝手に過大評価と受け取って勝手に怖くなってしまっているのである。

まあ、お笑い芸人でも無いので有り難く受け取って、その喜びだけで100年くらい生きられちゃうよ的な漫画のヒロインくらいしか許されなさそうな表現でお礼を言えたら一番良いのだとは思ってはいる。

この度は、お褒め頂き本当にありがとうございました。人生100年時代、年金よりアテになる気がするよ。

そんな感じで味をしめて引き続き内容の無い文章をまき散らして行こうと思う。よーし頑張らないぞー。

 

またー。

チュンチュンワールドに生まれ落ちた日。

誕生日当日の仕事中、色々な人に「おめでとう」と声を掛けられ、職場で誕生日を吹聴するタイプではないのに何故皆知っているんだろう、最近は毎月誕生日の人を掲示したりするのかなと思いながら、ディズニーランドですらバースデーシールを貼れない性格の癖に「ありがとうございますー」と返していたら新年度の昇格者が発表になっていただけで誰も僕の誕生日を祝ってなどいないことが発覚して人知れず恥ずかしさで変な汗をかいてしまった。

昇格することは遊ぶ金ほしさで労働に手を染めている自分としては確かに嬉しいに違いないのだけれど、ここまで色々な人に祝福される誕生日というのは小学生以来だなとかしみじみ振り返っていたので耐え難いものがあってトイレの個室の中で赤面してしまった。

小学生の頃のバースデーパーティーと言えば自分の呼びかけで家に友達が集まって来てくれるというとんでもなく強心臓なシステムで、それを平然とやっていた子供の頃の自分の自信たるや凄まじいものがあるし、それを徐々に手放していっての今だとするならば手放し過ぎて何も残ってない、断捨離通り越して特殊清掃じゃないか、そんなことを誕生日に思い知るなんて大人は残酷である。身の程を知り過ぎてもまだ自惚れているんじゃないかと厳しい目を向けてしまう。もう少し楽に構えないといけないなぁとは思う。

家に帰ると友人から誕生日プレゼント(微塵も似てないけど非常にキャッチーな友人の顔がプリントされた狂気じみているけど何故かお洒落なパーカー)と3、4年前に呉の大和ミュージアムの公園で撮影した自分の写真をミッドサマー風に加工したバースデーカード(教壇の様なものがあり、後光が射すシチュエーションだったので教祖っぽいポーズを取っていた。この日から俺は90年に1度の祝祭に備えていたのか…しかしペレに選ばれるだけの度量が無かったんである)と、イラスト屋みたいな風合いのキュートな動物にミッドサマーの登場人物をあてた狂気極まれりバースデーカードに更新したばかりの実年齢をばっちし書かれるという地獄の業火それオペラ座の怪人ね(しかも僕が言っているのは金田一少年の方)みたいな心温まり過ぎて焦げ付き起こしそうなお手紙まで頂いてすっごく嬉しかったです。嘘っぽいからもう一度言うけどすっごく嬉しかったです。二回言って嘘っぽさに拍車が掛かるってどんだけ日頃の行いが悪いんだろう、なんて落ち込むこともあるけれど体力だけはあるんで明日からも身体だけは元気にガンバだね!と思っている。

身も蓋もないどころかまず鍋自体無くないですか?なこのブログをダラダラと更新し続け、世の中におーい俺ここにいますよーみたいな感じで適当にやっていきたいと思いまーす。

 

そんな事はどうでも良いんだけど、寒さの底は過ぎた訳で、今、絶妙に、朝の布団の中が気持ちいいから、出られなくて困っている。

最近は目覚ましを止めてから二度寝を防止する為にYouTubeで何か一曲聴いてから起きるみたいな事をしていて、たまたまチュンチュンワールドYouTubeからオススメされたので聴いたら凄いテンションがアガってしまった。

https://youtu.be/R3QzJ5kbbS4

チュンチュンワールドYouTubeのオススメに上がってくる人生って側から見てどんな感じなんだろう、凄く悲惨に見えやしないかと変な汗で脇と背中がじっとりしてくる。

しかしながら人生で初めてくらいのテンションで出社した。世界ってこんなキラキラしてんのかみたいな愉快な気持ちでワクワクしながら歩いていたんだけど、何このクスリやってますみたいなテンションと怖くなってきて冷静に考えたら、雀を見掛ける度に心の中で「あ!チュンチュンだ!チュンチュン!」みたいな呼び掛けをしていたせいで、あちこちに雀がいる故に盛り上がってしまって落ち着き所を失い、軽いトランス状態に陥ってしまったのではないかと分析した。

ヤバ過ぎる。チュンチュンワールドがなのか自分がなのかは敢えて触れないでおきたいけれど、まあヤバ過ぎるこんな人生をどうにかしないといけない。

恐ろしさから翌日から寝覚めにYouTubeは中止となった。

このYouTubeへの八つ当たりとしか思えない明後日な対応、国みたいだろう?と風刺を効かせた事にして、これにて。散!

 

あ、最近ダンバイン観てるんだけど登場人物が皆我が強くてウケるよ〜オーラ力って我のことなのかな?

 

またー。

ミッドサマーの感想日記。

ミッドサマーを観たのだけれど、エンドロールを眺めながら思いついた替え歌があるので、突然だけどちょっと歌詞を書かせて欲しい。

ペレというヤバいキャラクターのヤバい妹、マーヤの視点です。

それでは聴いてください。

 

『ハッ!夏至(summer)パ〜ティ』

※原曲は三人祭の「チュ!夏パ〜ティ」

https://youtu.be/NDIvwqzTE18

 

Fu〜n

ホッ!ハッ!ハハハッ!サマーパ〜ティ

ホッ!ハッ!期待しちゃうわ ハッ!

 

兄さんが連れてきた グループは山を超え

YES!MY LOVE!

もう二度と帰さない

 

お天気に恵まれて お祭りもいい雰囲気

I LOVE YOU!

お昼ご飯のあと 墜落

 

片思いは切ないから

今日からあの人と一緒!

秘密のパイ焼いて

 

勝負(勝負)勝負(勝負)勝負勝負勝負

エンドレスダンスパーティ!

 

夏至の夜は ロマンチック!

なぜか なぜか 乙女心 大胆ね

夏至の夜は メルヘンチック!

でもね でもね

胸が 胸が 苦しいよ

 

Fu〜n

ホッ!ハッ!ハハハッ!サマーパ〜ティ

ホッ!ハッ!期待しちゃうわ ハッ!

 

大好きなあの人と たまにしか目が合わない

OH MY GOD!

彼女には笑顔ね

 

睨んでる場合じゃない

積極的に毒を盛る

料理の腕見せて!

 

勝負(勝負)勝負(勝負)勝負勝負勝負

エンドレスダンスパーティ!

 

夏至の夜は ロマンチック!

なぜか なぜか 乙女心 膨らんで

夏至の夜は メルヘンチック!

なぜか なぜか

皆で 皆で 共鳴ね

 

Fu〜n

ホッ!ハッ!ハハハッ!サマーパ〜ティ

ホッ!ハッ!期待しちゃうわ ハッ!

 

夏至の夜は ロマンチック!

なぜか なぜか 乙女心 膨らんで

夏至の夜は メルヘンチック!

なぜか なぜか

皆で 皆で 共鳴ね

 

Fu〜n

ホッ!ハッ!ハハハッ!サマーパ〜ティ

ホッ!ハッ!期待しちゃうわ ハッ!

 

Fu〜n

ホッ!ハッ!ハハハッ!サマーパ〜ティ

ホッ!ハッ!ついに…ハッ!!

 

そういう感じではあるんですが、あまり人に気安く勧められる映画ではないのは確か。

しかし良かったらば是非に美しく恐ろしい作品をチェックして頂ければと思います。

 

ネタバレ含む感想で宜しければコチラもどうぞ。

脈絡ないですけども。

ミッドサマーの感想日記(2020/02/26/Wed.)|大きな小皿|note

 

またー。

ヤクの運び屋は犬鳴村まで来てくれる。

ヤクルトの配達をしている方を「ヤクの運び屋」と心の中で呼んでいるのだけれど、普通に部下と外出している時にポロっと「あ、ヤクの運び屋じゃん」とか言ってしまい、失礼だからやめなさいと軽く、だが確実に注意されてしまった。

ヤクはヤクルトを指している訳で、別段失礼な呼び方ではないという苦し目の屁理屈に対しては「ヤクに運び屋を付けている時点で失礼な同音異義を狙っているので失礼である」と理路整然と説き伏せられてしまい、あぁ、これが論破かぁ…となってしまった。僕も是非とも論破というものをしてみたいものだぜ…。

配達に回っているヤクの運び屋さん(懲りない)に声をかければ在庫のある商品ならば契約しておらずとも売って貰えるという有益な情報を部下に教えることであるのかどうか最早怪しい上司としての威厳を保つと共に部下の腸内環境を思い遣ってみたところ「ウチの実家、届けてくれるんですよねー」と完全に上手の回答が返ってきて、あ、もう完全に負けました、参りましたと思った。格が違ぇよ。善玉菌の数とか絶対勝てる気しねえ。

 

それはそうと懸賞に当たったことがない。

当選は発送をもってかえさせて頂きます、とか言うやつ届いた事がない。どう言う事なんだろう。

申し込めど申し込めど当たらず、その度にどうせ当たらないんだと心が折れそうになりながらも、頭の中にドリカムの何度でも何度でもという歌声が響いて10000回ダメでヘトヘトになるまで応募してないんだから10001回目が来るまでは我慢せねばと懲りずに応募しているんだけど、人生そんなに応募しまくるほど懸賞を探し歩く暇もなし、多分20回くらいしか応募していないのであと9981回応募しないと当たらないのかも知れない。人生を何回やり直せば到達するんだ。

話を聞くと割と誰でも大なり小なり1回は懸賞を当てている印象なので、自分がその1回すら迎えていないことが何だか切ない。敗北感と劣等感とまで言うと大袈裟であるが、何か妙に切ない。

昨年、2000人くらい集まる会社のバーベキューでお子様限定の福引きに同期の息子くん(5歳)と仲良く手を繋いで参加した時、まさかの1等を引き当てていて滅茶苦茶ビックリした。

え?強運過ぎん?この子はこの先破竹の勢いで人生駆け上がっていくんじゃないか、今のうちに取り入っておくべきか、せめてサインくらい書いて貰って2ショットで写真撮ってもらうべきじゃなかろうか?しかし、もし彼がここで運を使い果たしてしまったんだとしたらどう声をかけてあげたらいいんだろう、僕なんてまだ来てないよ?いやいやいや使い果たしてたら嫌味でしかないだろ根暗はこれだからな!こんな大人になっちゃダメだよ?それにこれで使い終わりなんてことは流石にないだろう、あれ?待てよ?仲良く手をつないで引いた福引きだとすれば僕の運が繋いだ手を伝って彼に乗り移った可能性もあるんじゃなかろうか…怖…僕の懸賞運が?彼によって?使い?果たされた可能性も???えー嫌だ!それは嫌過ぎる!あーでも素直で優しくて可愛いからなこの子…じゃあもう、この笑顔を引き当てたということで満足しないとアカンか…大人なんだから…となった。

もう今年の目標を「懸賞に当選する」に書き換えても良い気もしている。

 

あと怖い話が怖いという当たり前過ぎるタイプなのだけれど、思春期の頃からテレビで何度も見た「犬鳴村」の映画が放映スタートしているというので観にいった。

奇跡体験アンビリーバボー」で取り上げられていたのを観てからというもの、怖過ぎてやべえと思い続けていた訳なんだけど、あの得体の知れない怖さというのはテレビの尺の短さによる「何か怖い!!!」をピークに持ってきて終わるという構図が成せる技なのかも知れないと感じたのが真っ先に浮かんだ感想だった。

映画は割と原因だったり背景を解き明かすか、根元を断つという終わり方をするので得体の知れない恐怖が具現化されてしまうとそこから先は解答編となり怖さゴリ押しで無くなってしまい、怖がりな自分でも平然と観られてしまう。

怖いものを怖いまま終わらせないというのは優しさだとも思うし、正体が解ると急に怖さが暴落するという宿命でもあると思うんだけど、序盤滅茶苦茶ビビり倒してポップコーンを摘み損ねて落とす、口に上手く入れられなくて落とすを繰り返していたのにクライマックスには肘をついて「ほら、今だよ、逃げて」みたいなドッシリした鑑賞スタイルへ移り変貌を遂げたのが犬鳴村であった。

そういう意味では貞子や伽倻子は最後まで圧倒的に強くて倒せないから僕は最後まで怖いと思う。

「貞子vs伽倻子」なんて散々ギャグとか言われるけどオチまで含めて僕的には絶望的に怖かった。

ここまで全く内容に触れていないのだけれど、設定自体は犬鳴村やトンネルの都市伝説と犬鳴峠のダムの経緯なんかを上手く散りばめてある様に思うのだけれど、言ってることと違うくね?みたいな部分もあるし、主人公兄弟の年齢分布どうなってんの?とも思うし納得度みたいなものは少し物足りなかったし、肝心の犬鳴村の住人たちがそこまで怖くなかったんだけど、その呪いの犠牲のなり方は怖かったのでビビりたい人は観たら良いのではと思う。

 

またー。

懐かしいところで言うとサトラレみたいな。

「よーし今日は筋トレをしたいから早く帰るぞ!」

「よーし今日は録画したタモリ倶楽部を観たいから早く帰るぞ!」

「よーし今日はジョギングをしたいから早く帰るぞ!」

などと表明せずとも胸中意気込んで定時退社達成に向けて業務に励んでいると大体部下か同期に「ちょっと寄ってかん?」と飲みに誘われるんだけど何故なんだろう。

誘われること自体はまあ嬉しくはあるし、そこまで今日じゃなければならない用事でも無いので「折角だし行くかー」と飲みに行ってしまうんだけど、こうも何かしら意気込んでいる時ばかり誘われると段々そういう時の自分を狙って皆誘ってきているんじゃないかという気持ちになってくる。突飛だと感じる人は恐らく比較的明るい気質を備えているのだと思う。それはこれまで生きた環境や自らの手できちんと勝ち取ってきたものを裏打ちされた誇るべき個性なので拍手を送りたい。僕は根が暗いからそんな方向で考えてしまいがちなんである。しゃーない。

だから自分が顔に出過ぎるタイプで、しかも皆から実は好かれていないとすれば、この現象に簡単に説明がつくと考えている。

まず僕が今日は早く帰ってジョギングがしたいなぁと意気込むとして、周囲全員が僕の顔をみて「あ、コイツ今日早く帰ってジョギングしようって顔してんな」と感じ取る訳で、そしたら「今日はお前のシフトだろ」って僕を邪魔する順番を決めている同僚達が声をかけあって、該当する人が渋々僕を誘うことで妨害をしている、というものである。

そしてその回数をポイント制にして、並の意欲を阻止したとなれば1ポイント、より意欲的な場面で阻止した人には3ポイントと積み上げていき、年間王者を決めるという遊びをしているかも知れないと考えている。栄えある年間王者には賞品としてガルボが贈られます。

何て無意味で邪悪な遊びだろうか。考えついた人間の無駄の多さには舌を巻く。

まあ誘われて行く分にはそこそこ楽しかったりするので別に構わないのだけれど、割と「帰っても暇でしょ?」くらいのノリで誘われるので自分がどんだけ暇そうに見えるのか気がかりではある。口が半開きであることが多いので仕方がないとは自分でも思っている。

 

2019年度最高の映画こと「プロメア」のブルーレイが届いたので最高過ぎて視界に入る度に最高が家にいるの最高じゃね?と思っている。

ペットを飼うと、ペットが視界に入る度に可愛過ぎる生き物が家にいる!という気持ちになると聞くので、まあそれの映画版だと思って貰えたらいい。

ちなみに2018年最高は「ヘレディタリー〜継承〜」だと思うのだけれど怖過ぎて家にあると気が狂ってしまいそうなので最高と言えど絶対に買わないぞ、ネットのレンタルで済ませるぞと強くて心に誓っている。

誰に頼まれた訳でもないけれど、改めてプロメアの魅力を伝え続けたいよねと思わずにはいられない。

プロメアの勢いと情報量と色彩の凄まじさを超える作品を作ろうなんてことは不可能なんじゃないかと感じてしまう程に全てを破綻寸前の状態まで高めた作品である。

ドラゴンボールシンゴジラとパシフィックリムを混ぜてAKIRAを添え、隠し味にジャッキーチェン入ってない?みたいな映画なので、まず単純に勢いで1回観れて、次にストーリーを頭に置いてキャラクターの良さを堪能するのに1回観れて、更に多くは語られないけれど滅茶苦茶複雑なテーマを感じ取るために1回観れた挙句、各キャラクターの細かい所作から溢れ出る愛おしさを確認する為に1回の計4回は皆さん飽きずに楽しめるんではないか、と。

二桁行くのではくらい観た身てして自信を持って断言したい作品である。

折角ブルーレイを買ったので何度も何度も観ていこうと思う。これを読んでしまった人も是非観て欲しい。

 

またー。

2月になった事を受け入れられない人は何処へ行くのか。

気付いたら2月になっていてビックリした。

1月31日の時点で普通は「今月ももう終わりか」となりそうなものだけど、正月の休みで実働日数が少なかったり、そもそも新年という別に地続きなのに何かリセットされてしまった感が影響しているせいか「月が変わる」という認識が滅茶苦茶薄くなってしまうのが原因なのではないかと思っている。

1月31日が3日間続くハズでは?という体感である。1月31日が3日間続くハズもないし、1月31日が3日間続くという日本語も書いてみると物凄い頭が悪そうでビックリしている。

どれくらいビックリしているかと言うと、この頭の悪そうな響きの方が2月になっていたことよりも驚きが強く、2月になっていたこと自体はすんなり受け入れられる程である。これが無かったら2月になったことをおいそれと受け入れる事は出来なかったかも知れないし、そういう意味では大いに矛盾を通り越して日本語としても太陽暦的な意味合いでも崩壊していた1月31日が3日続くという言葉に初めて役割が生まれた気もして、何だか良かったなという気持ちになる。あまりに何の役にも立たないと言葉を吐いた身として責任を感じてしまう。小心者なので。

2月になったことをすんなり受け入れられて良かったなぁと思う一方で、仮にこの下りが無かったとして、2月を受け入れられなかったとしたら僕はどんな日々を送っていたのだろうか。

正直、曜日感覚こそあれど日付の感覚は割と希薄な方であるのでそこまで困らないかも知れない。

スーパーを筆頭に○日は特売デーだとかポイント倍デーだとか、そもそも行かなければ!という気になるどころか混んでそうだし行きたくないという気持ちが勝ってしまう。ダブルスコアでの圧勝くらいの勝ち方。普段の待遇で大丈夫っす、もう本当、いつも十分有難いと思ってますんで、となってしまうのでたまたまスーパーに寄った時にそれらの開催日だった場合、あー運が悪い、ちゃんと調べてくれば良かったとなってしまう。普通逆だと解っている。店が混んでいるのは「今日こそ行かねばならない」ということの現れであるし、お得に買い物したい、家計を助けたいという気持ちも痛いほど良くわかる。僕だって大してお金を持っている訳でもないので安く買えたに越した事はないんであるが、混雑に弱い人間が混み合った店内で張り切っても最後まで集中力が保たないし、余計なものを買ってしまうし、どっと疲れて何もやる気がなくなってしまうし、疲労感からビールも飲みたくなってしまうしで、要するに普段の方が自分に合っているんである。

人間には向き不向きがある。ライフスタイルの確立ってそういう所に目を向けるとこから始まるんじゃないですかね?

2月になったことを受け入れられない場合の想定を述べていた筈が、買い物における持論を振りかざす流れになっていて、しかもシメが何かいい事言えてそうだし偉ぶってみても読み流してくれるんじゃないかという浅い感じが透けていて辛い。何なんだこの器の小さき生き物は。

ただ、2月1日に僕が2月になったことを受け入れられなかったとしても世の中は受け入れて進んでいる訳なので特に問題はないのでは、という見方も出来る。周りが2月然として(何だ2月然って)いてくれれば、小心者なので仲間外れは嫌だし2月を渋々受け入れるだろうし、バレンタインが近付くと自身へのご褒美に高いチョコレートを買ったりする為に急に2月である利点を最大限に活かそうとするだろうし、最悪そこを耐え抜けたとしても2月25日には大好きな給料日があるからして(支給日には個人差がありますが弊社は25日)、そこで2月は日数も少ないのに他の月と変わらずお給料が貰えてお得だな!2月って最高だな!となること受け合いである。

2月を受け入れないなんてのは最早不可能であろう。起こり得ないことを想定する時間があれば、世の中とは言わずとも何らか自身の役に立つことをあれこれ考えてみた方が良いと思う。

 

思うのだけれど、こんな事をダラダラと書いていたせいで非常に眠たくなってきたので本日は寝ることとする。

 

またー。