性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

絵コンテ海外旅行。

AKIRAのセル画展に行ったら廃墟やネオンや路地裏が格好良過ぎて痺れに痺れた。
治安悪そう過ぎて実際には近付ける気もしない臆病者ではあるけど、映画で観た場面を分解して展示された絵コンテで大体どのシーンか解るし、解る度に喜びと共に脳内再生がなされて楽しかった。
極端に説明のない簡素な構成で、それがまた思い出を蘇らせようと作用してくれる体感として新しい展示だった。
春木屋が割とまともな子料理を出していて、しかも2020年代の物価とまあ合ってる事をこの原画展で知れたのが異常に嬉しかった。
会社の同僚が友人の付き合いで鑑賞したらしく、絵コンテを観て「何で展示の半分は色塗ってあるのに半分が下書きなの?」と聞いて友人に大変叱られたという話をしてくれた。
アニメを観ない人たちからすると、絵コンテという存在が下書きになるのか、と発見を貰いつつ、友人はAKIRAファンの巣窟で恥ずかしくて怒ってしまったんだろうなぁと同情してしまった。
金田の口先を尖らせた表情やケイのラストの穏やかな表情、あとは玩具の寄せ集めでクマが形成させる過程など、貴重なものがたくさん観られて大満足だった。


それはそうと「アリスとテレスのまぼろし工場」を数週間前に観た。1991年のある日を境に集団で同じ1日を繰り返している街を舞台に、時間も進まず身体も成長しないけど記憶は更新される人々の暮らしはどんな描かれ方なのか気になったのがキッカケだった。
予告のロリ強調で身構えてしまった部分はあるんだけど、そんな作品をゴリ押しするなんて脳死状態の制作元があるんだろうかと思って確かめたい気持ちもあった。
予告に関して言えば完全にミスリードで、ミスリードでもしないとネタバレしてしまう、というくらいの内容だった。
本来なら大人になっているくらいの時間を中学生として暮らす主人公も、亡くなっていてもおかしくないくらいの老人も、生まれるはずがずっとお腹の中にいる赤子と母親も、役割として各々の存在を生きているせいか感情の起伏がそんなに大きくない様な印象で、毎日同じキャラ設定を演じ続けることで定めた範疇から出ない事の影響をヒシヒシと感じた。
ネタバレしたくないので主軸に触れられないのだけれど、物語が進むに従って登場人物の感情の解放度合いがどんどん変化していって「本当はそんな人だったのか」という発見の多い映画だった。
変わらないと思っていた事を見つめ直した時に、実は変わっている事がどれだけあって、それがどれほど自身の中で多くを形成しているのか自分に置き換えて考えてみたくなったし、単純にハラハラして面白い映画だった。
レビューで「意味わからなかった」と脳死みたいなコメントをしている人がいたのを事前に見ていたんだけど、これだけ言葉と描写で分かりやすく説明してくれても解らないなら受け手として何か楽しもうと努力したの?という気持ちになってしまう。
世の中には好みや向き不向きはあると思うけど、「解らない=解らない作品作る奴が悪い」と言うのは乱暴過ぎるなと改めて感じた。
また別日には「レニングラードカウボーイズ・ゴー・ニューヨーク」と「レニングラードカウボーイズ、モーゼに会う」を平日に5日くらいかけて少しずつ観た。
レニングラードカウボーイズという架空のバンドが故郷シベリアからアメリカ、メキシコまで演奏しながら旅をする前者と、メキシコから故郷を目指す後者の2本で、守銭奴マネージャーの圧政の中で各地で演奏し旅費を稼ぐバンドを淡々と、ユーモラスに描いているんだけど、演奏シーンが愛らしくもライブとして凄く良くてそこを目当てに続編まで観た。
ロードムービーとしては懐かしさが自分の中にそもそもないので感慨深さは無かったんだけど、各都市、各国の印象を濃いめに脚色してくれてて特色が感じられて、実際今どうなってるんだろうか、イメージはこのままなのかなと思うなどした。
旅行すら中々行かないけれど、海外旅行が好きな人たちはこういう違いを見つけるのが凄く長けていて楽しみ上手なんだろうなと考えるなどした。


またー。