性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

3月は当たり前にはじまって。

季節感というのが割と欠如している人間なのでは???という思い込みというか、自認している節があって、梅とか桜とかようわかりませんけど僅差で梅の勝ちですかな、くらいのもんなんだけど、最近いきものがかりの「SAKURA」を梅田サイファー(梅とか桜とかようわかりませんわの伏線回収になってしまった。回収出来てない?)がカバーしているのを聴いていて、このはらはらと散る美しさの様な切ない感じの儚げな曲調に春という季節を滅茶苦茶感じている事に気付いてビックリした。随分と繊細で段階を踏んだ受け取り方をしている。
かと思えばこの2月から3月にかけてよく聴いている曲を並べてみればa子さん、Uruさんなどの電子音にそういう向きを見出している様で、あくまで自分が設定した季節感を適用しているので作品自体とはミスマッチしているパターンもかなり多い。繊細な割にざっくりしている。材料と調理に拘った割に結局大皿料理でバーンと出て来るみたいな。テーブル備え付けのソースを全体に気前よくかけちゃってる。
ある種常連的なムーブな気もするが、マイルールというのはこんな所にもあるのだなぁ、と思ったりしたし、花粉症になりそうでならないこの何年か、怯えてばかりだし新しく覚える事が多い気怠い季節だとばかり思っていたのに無意識にちゃっかり春を楽しんでいた事が発覚して、何というか照れ臭い。
思ったより好きでした、春。


そういえば、前職の最終出勤を終え、有給休暇消化の初日にたまたま公開日だったララランドを通勤と変わらぬ時間の電車に乗って観に行ったのを何故だか思い出した。
これまでと同じ電車、でも行き先が違う、その程度の事なんだけど、いくら世間的に変わった事でないとしてもまさか自分が転職をするような人生を歩むと思っておらず、それだけで物凄く新鮮だった事をよく覚えている。
映画の序盤15分くらいで特異点的なピークが来て、そこからどんどん普通の映画に軌道を変えてスムーズに着陸していく様を含めて、転職という行為のエンタメ性みたいなものに近い作品だと思って意外と親近感の湧く作品だと思っている。
そして手に入れた日常が続いていくというか、手に入れられた日常しか現実として生きてはいけないというか。
ララランド的な踊りよりは日体大の集団行動の方が人間的に近いはずだけど、それでもララランドとの親和性を見出したいのは捨てきれない微かな憧れがあるからなのだと思う。


それはそうともう3月なんだな、とまだ2日目なのに30回くらい考えている。
誕生月であるという事以外には特に何もなく、数えて良いのであれば年度末だなぁくらいのものだけど考えてしまう。
歳をとるのは正直嬉しくないし、捻くれているのかも知れないけど今はとにかく貯蓄が少しずつ増えていくのが一番の楽しみという状態でロボットめいている。
3月なんだな、と考えた30回のうち10回は「新卒で入った会社の同期からの年賀状に返事を出さないまま2月が終わって3月に突入してしまった」という罪悪感である。
年賀ハガキの期間→寒中見舞いの期間と年々後ろ倒しになり去年は2月の中頃に返事を書いたが、順調に最低記録を更新して今回は3月になってしまった。流石に金沢旅行でポストカードを購入したのでさっさと書いて出してしまいたい。
律儀に交流を持ってくれる人を大切に出来ないのは良くない。2年に1度くらいしか会わないけど、それで続いてるのは凄い事だ。
元々仲良くなった人が部活を辞めたり学校を辞めたりバイトを辞めたり会社を辞めたりしがちな人間なのでそういう寂しさを人より味わってきている自覚があるのに、それを人に与えそうな事をしているというのは類友というやつだろうか。
周りが0か100しかないみたいな人が多めだったので自分のマメさが馬鹿馬鹿しく思える事も多く、人のせいにしてはならんのだけど億劫になってしまっているのもある。何にしても反省したい。
しかし我ながら味気なさたるや、誕生日の予定も半日仕事をした後に免許の更新、翌日も歯医者に行くくらいで、都合が合えば免許の更新の後に歯医者をハシゴしたかったくらいの残念っぷりである。
警察の皆さん、ゴールド免許褒める意味合いでフラッシュモブしてケーキ出して来てくれてもいいんですよ。
そしたらちょっとはこう、この世に生まれて無事に誕生日を迎えるという事が結構な事であると感じられるような気がするので。


旅行の帰りの特急列車の中でこれをかいている。
移動が長いと文章を書いて時間を潰そうとする癖がある事がよくわかる。


またー。