性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

AIが描いたサンダードーム

前出のバー・ポームムの「桃と紅茶」が伝説の炭酸飲料「ごめんね」と味が似ているという件について、物好きな友人との共有により同じサントリー製であるという事に思い至り、当時ごめんねを愛飲していた子供が開発者として大人用ごめんね、通称「申し訳ありません」としてバー・ポームムを世に放ったのではないかと妄想が広がっている。

ミュウとミュウツーみたいな。

いやこれは違うか。

自分の世代が徐々に生み出す側に回っているので次は大人用バトルドームを誰かが用意してくれるのではと思ったけれど、大人用バトルドームマッドマックス2のサンダードームだと気付き、1人ボンヤリと虚しさに立ち尽くすなどしている。

 

過去に催されたド赤字企画以降、文芸及び実用の手薄さ(紙媒体に比べればまだまだ手薄なのかも知れない)はさて置きdmmブックスのお世話になっている。

基本的には漫画や仕事関係の本を購入しているのだけれど、先日あなたへのお薦めとして「落第忍者乱太郎」を送りつけてられて愕然とした。

小学生の頃から愛し過ぎた故に深い沼に沈め、検索すらかけて来なかったタイトルをこれまでの購入履歴から推測され、「コイツ絶対忍たま彗星食らってんじゃんね」とフルスイング、村上選手の様な圧巻の確信歩き決められている気がしてゾッとする。

隠し立てする様なものではないが何故か隠して来た手前、余計なショックを過剰に受けている。一体僕の何がいけなかったというんですか?

これがAIに人類が滅ぼされるという事なんだろうか。何て恐ろしい。マトリックスの世界はもうそこまで来ている。

目覚めよ!

それはそうとdmmがセールしてくれていた「村田エフェンディ滞土録」を買って読んだら滅茶苦茶面白かったのでまた紹介したい。文章のテンポが良過ぎる。

いやーお世話になっておりますー。

 

またー。

炭酸飲料追憶編〜2022年にごめんねを探して〜

最近発売されたバー・ポームムという緩いんだか何なんだか解らないものの若干の宮沢賢治「やまなし」みのある響きのシリーズのお酒を愛飲している。

カシスは赤ワイン好きに向いた渋みがあるのでリピート出来ていないのだけれど、「桃と紅茶」なる味が伝説の炭酸飲料「ごめんね」に通じる微炭酸微桃感で滅茶苦茶好きで完全にハマっている。

子供の頃、浴びるほど飲んでいたのに気付けば姿を消した謝罪を冠した謎の飲み物の尻尾を、2022年に酒の中に垣間見て捕まえる事にこちらも何となく「ごめんね」という気持ちになっている。

味覚が確実に変っている中で、記憶にある味に合致しているだけなので勘違いの可能性もあるんだけれど、そもそもバー・ポームムが美味しいから脳内で「かつて飲んだ美味しい飲み物」と共通項を求めるに至っているのでポジティブに捉えたい。

とは言え、バー・ポームムも「ごめんね」の様にそっと姿を消してしまう可能性があるので、財力がある程度備わった今ならその日が来るまで寄り添いたいし、可能であればほろ酔いシリーズの様に根付いていって欲しいと願っている。

僕の為に大ヒットしてくれ。

社会経験が無い頃は自分だけの特別を追い求めていたけど、今となっては売れないと残り続けるのは難しいと解ってしまった。

何となく遠くに来てしまったな。

 

それはそうと、通勤定期が都合により磁気定期券なので毎朝、毎夜改札機に通している。

先日、どういう仕組みか改札機から出てきた定期券に見ず知らずの集団が撮ったプリクラ(半透明のプラ板みたいなやつ)がくっ付いてきて朝から思い切り驚いてしまった。

就活生なのか、場所柄内定式に挑んだ新卒グループなのか、リクルートスーツに身を包んで楽しそうにこちらを見る美白目デカ加工がなされたもので、悲壮感は一切感じないのだけれど見ず知らずの人たちの写真を手に取ってしまっているので若干の恐怖を感じてしまった。

拾ってしまった人が恐怖の連鎖に巻き込まれ、最終的に写真の住人に加入して次の被害者を探すみたいな展開だったり、捨てる事で呪われて延々写真が付き纏って来て発狂してしまうみたいな展開だったりをネットのオカルト記事で読み過ぎたせいで、かなり明るいプリクラ1枚からもそんな妄想をしてしまう。

この写真が真夜中に全員がこちらを拝んでいる姿に変っている可能性もあるとか、そんな気味の悪いことを想像して不幸に率先して駆け抜けていかんとする自分もまた恐ろしすぎて部署の同僚に相談したら一瞬で処分された。

あ、呪われるとしたらコイツだと安堵してしまった。同僚には申し訳無いけど。

誰かの思い出を処分してしまい申し訳ないんだけれど、どうか思い出を落とさないでくれと思わずにはいられなかった。

まぁプリクラすら撮らない僕に言われてもって感じでしょうけども、撮らない人からすると1枚の重みが違うんだろうな。あんな透けるほどペラペラなのに。

 

またー。

第九を耳コピでケーキセット半額。

先日、カラオケで「神様、僕は気づいてしまった」の『名前のない青』を歌いたくなり、デンモクで「神様」で検索を掛けたら予想の遥か上の神様を含むアーティスト名がヒットして「八百万…」と神の多さに気圧されてしまい結局歌わずにそっと検索画面を閉じて米津玄師を歌った。

ちなみに神様、僕は気づいてしまったの「CQCQ」の歌詞は本当Twitterどっぷりな人のまんまなのでオススメしたいです。

個人的には「後で悔やむ事がないのなら、後で悔やむと書きはしないと」というフレーズが歌割りのテンポ含めてとても好きです。マジその通り過ぎるので。

 

仕事のアポが先方都合で1時間後ろ倒しになり、営業職でもないので近所で回るアテもなく考えに考えた挙句もう解らないと開き直ってホテルのラウンジで呑気にケーキセットを食べた訳だけど、昼ごはん2回分に匹敵するお金をこんな1時間そこらの為に惜しげもなく使って自分は何者なんだろうと考えることで無事に時間を潰すことに成功したしケーキは美味しかったしで結果オーライかも知れないと思い至り、何か自分は自分で思っているよりもポジティブなんじゃなかろうかと感じられるものの、そもそもポジティブな奴は自分は何者なのかに思い馳せることで時間を潰せたりしないんじゃなかろうかという疑念にぶん殴られてTHE ENDでした。

 

それはそうと年末名物の「一万人の第九」にお誘い頂いた。(行けるかはまだ解らない)

我ながらどんな風にやってきたら「一万人の第九に誘ってあげよう」と思って貰えるのかマジで想像がつかないんだけど、あの空間に行けたら素晴らしいの一点突破でチャンスがあるなら是非お願いします!となった。

概要がどういうものなのかボンヤリとしか解ってないのだけれど、歓喜の歌を聞く自分も歌う自分も想像が全く出来ないのでどっちにしても素敵過ぎる。当日までにフロイデっぷりが板につくように仕上げていきたいがやり方も解らない。

あらゆる事に喜びや感謝を見出して暮らせば鍛えられるんだろうか。

何にしても行ける事になったら堪能出来るよう、実家にCDを探しに行こうかなと思っている。

 

またー。

 

自分、ロンドンで不良やってました!と言う盛り過ぎて虚偽になってしまうアピール

ロンドンの不良は動きやすさとお求めやすさでリーボックのスポーツウェアを好んでいる、とファッション系の記事で読んで「あ、中学生の頃の僕はただのオタクではなくてロンドンの不良でもあったのか」と見当違いも甚だしい妙な感慨と「確かにそういうことあったよな、oasisとか聴いてたし」と角度も確度も見出せない共通項に納得してしまった。凄い、未だに自分が過去に遡ってまで何者かになりたいだと思うと恥ずかしくて床を悶える。

日本のオタクの中学生とロンドンの不良御用達のリーボックが豊富に揃っていた最寄りのジャスコは今はもうイオンに名を変え、外観こそ名残があるものの、内部のテナントは総入れ替えしてしまった気がしている。地元を微妙に離れて暮らしているので近寄ることも無いけど、冒頭の記事を読んでジャスコリーボックの服や靴を買って貰ったなぁと懐かしい気持ちになった。

記事を執筆して下さったファッションライターの方もまさかロンドンの空気感を伝えたかったはずなのにジャスコに想いを馳せられるとは思ってないだろうに申し訳ない。

リーボックを着ていた頃の僕がロンドンを歩いていたら不良として一目置かれた訳もなく、恐らく何イキッてんだよと絡まれて涙目になっていただろう。

恐らく日本各地にある「これを身につけていいのはこういう人たちだけ」みたいなのがロンドンの不良にもあるんじゃないだろうか。

自分の身近な文化としては某スポーツ用品店のビニールバック(スニーカーやスパイクを買うと入れてくれるショッパー)を使っていいのはスクールカーストにおいてある程度以上の位置にいる人たちであった。

環境大臣から目の敵にされている今もそんな曖昧で無意味な制度は残っているんだろうか。体制への反抗みたいなアレで続いているんだろうか。

そういうのがロンドンの不良にもあると思うと(あるか知らないけど)ニヤニヤしてしまう。

実際不良の前でニヤニヤ出来るかと言われると爆音列島や東京リベンジャーズを一気読みした後でも難しいんだけれど、家でならニヤニヤし放題である。

今後、昔はロンドンの不良だったと胸を張っていこうと思う。そもそも不良が胸を張れるという価値観自体が地方臭くて終わっているんだけど、まぁスクスク育ってしまったので仕方がない。

問題は自分と彼らが着ていたリーボックは同ブランドのプロダクトの中でも似ても似つかないラインという事なんであるが、そこは不問に処したい。

 

またー。

デスクワークをする事でしかつかない筋肉。

帰宅する為に電車に乗ろうと駅構内を歩いていたらSONYと書かれたシンプルなTシャツにゴツいヘッドホンをしたおじいさんが向こうからやって来たのが見え、存在が完全に歩くSONYの広告塔なのが気になってしまい、どんなヘッドホン使ってるのかなと気になってマークし、すれ違い様に確認したら「BOSE」と書いてあって、現実そんな上手く出来てないわな、と思うと同時にもしかして上手くオチてはいるのか?という悶々とする結果となった。

おじいさんはあの随分としっかりしたヘッドホンでどんな作品を聴いているんだろう。ポップス、演歌、クラシック、洋楽、オペラ、落語、何でも良いが、自分がおじいさんくらいの歳まで生きていたとして、何かをちゃんと楽しめていたら良いなと思わずにはいられなかった。

 

それはそうと当方、生粋のデスクワーカーであるものの、年々体力が向上しており大雑把な括りであるものの世の中とほんの少しだけ反比例している。

デスクワーク歴が長くなる中、営業さんや立ち仕事をされている方と比べ、一日の運動量が桁違いに少ないのではと感じ、負荷は軽いものの週5日くらいは筋トレをする様になった。アマゾンプライムなどでシリーズ物のドキュメンタリーを流し、それを見ながらのんびりと1時間ほど筋トレをしている。

元々貧乏性なのにオーダースーツに手を出してしまったので太って着れないなんて事態に陥るとショック死するのではとの危惧が根底にある。(逆に筋肉がつきすぎても着れないのでトレーニングの負荷を上げられないという事情もある)

加えて持病なども幸い無い為、体型のコントロールに関しては完全に自分の意思と行動で自由になる、代謝も60歳になっても落ちる訳ではないという記事もそれに説得力を添え、結果、何となく仕事と同じように自然と筋トレする生活が出来上がってしまった。鈴木亮平さんの役作りにおける体重の増減がエグい、というニュースにも何故か鼓舞されていた気がする。

家系的にきっと禿げるし、それはもういつか来るので仕方がない。その諦めもありせめて自由が利く体型くらいは、との思いもあるのだと思う。隔世遺伝は脅威と先輩たちが泣きながらQ.E.Dかましてきた経験が後世に活きた諦めである。

こんな感じだと「目標もなく運動が続くのが気持ち悪い」と言われたりもするが、毎日その目標達成の上で生活しているのでどう答えて良いのか解らず、説明しようにも目標のスケールが小さ過ぎるので「何となく続けられてるんでやってるだけで…」と濁している。進行形というか継続系なので成功体験に胡座をかいていると言われても反論出来ない。まあ今のところ胡座かいてますが…。

何かしら競技をしている人から見て、部活で言うところの帰宅部みたいな宙ぶらりんな状態ではあると思うので、何かスポーツをして活かした方が良いのかも知れないなと思う一方で、人に説明する為に何かに取り組むなんて話題作りの為に皆と揃ってゲームやってた中学時代と何も変わってなくて草通り越してメンタル荒野、こんだけ生きてきてまだ自分の歩いて行く先すら決められないんかいと真夜中に静かに涙してしまう気がするので諦めている。

そのうちバッタリと何かやりたい事に出会える事を期待してはいるが。出会い方としては月9は枠として華やか過ぎるので木10くらいの内容でお願いしたいが、その枠は割とサスペンスだったり愛憎系だったりする事もあるので何卒程々であって欲しい。

副産物的に、デスクワークは長時間椅子に座って同じ姿勢での作業となる中で、筋肉やら体力というのは案外重要であり、それがもたらす集中力も存在するんだなと自身をソースに気付きを得た。

筋トレでメンタルを鍛える、みたいな風潮には関係なくない?としか思えないけれど、一日の業務を自身の体力に足を引っ張らせないという点においては役立つと思うので、社内アンケートの新入社員へのアドバイス欄に「運動をしましょう」みたいな事を書いたら的外れとされてしまったようで不採用になった。

僕のアドバイスが載っていない社内報を読みながら、まあ「メモを取りましょう」とかの方が大事だよなと感じつつ、何となくショックだったのを思い出した。

何故それを思い出したのかと言えば、また「若手社員へのアドバイス」みたいなアンケートが回ってきたからである。

不採用にされたのがショックだったと透けて見える己に若干退いているが、この文章がそのダメージを隠す為のパンチ効いてませんよアピールなんだとしたら効き過ぎで恥ずかしいことこの上ない。膝ガクガク。

 

またー。

ドキュメントを見ながら誰もがドキュメントしてる。

生活スタイルが単純に変わったのもあって、今年の夏は殆ど蚊に刺されなかった。

昨年購入したムヒの残りの出番は今年訪れず、肌につけるものであるしいい加減処分しなければと思っている。

今年に関してはお盆休みという長期間暇な日(アクティブでないので)をコロナで潰してしまった為、連休に毎日やる「運動がてら公園でジョギング」ができなかった事もあり、余計に蚊に遭遇することもなかった。

マンションの3〜4階以上は蚊が登ってこない何て本当かどうか判らない話も聞くし、その条件を満たした環境で暮らしているので自然と蚊を遠ざける生活が成立してしまっている。

元々蚊に刺されたいなどと思っている訳ではないが(世の中には痒みに興奮する人もいるのかも知れない。痛みの親戚みたいなものだろうし)、何というか季節を丸ごと1つ取りこぼした様な気が、そんな些細なことからしてしまう。

何となく見始めて早シーズン7に到達してしまったアラスカで自給自足の暮らしをするドキュメント「氷点下で生きるということ」では夏といえば長く厳しい冬への備えに大忙しであり、その最大の脅威が熊と蚊であり、もっぱら2022年の蚊の脅威はこの番組から得ている。

カメラの前で語る住人(全員が愛嬌がありながらも真面目で、自然を愛している家族想いの人たちである)の輪郭をzoomのエフェクトばりにほんのりとぼやけさせる程の蚊が飛び交っているのは圧巻で、当人たちも慣れた様子ではあるものの作業中は気が散る為に悪態をついたりする。

アラスカで生活をする強靭な精神を持ち合わせた彼らが悪態をつくほどの状況なので、自分が同じ状況に見舞われたら即発狂するだろうなとある種熊よりも恐ろしいものとして眺めている。

アラスカで蚊が猛威を振るうのは蚊を捕食する生き物の数が日本に比べて少ないというのがあったりするんだろうし、それを含めてアラスカの方が生まれ育つに適した環境ということなのかなと考えながら見ている。

 

ドキュメントと言えば、海外のサッカーやアメフト、アイスホッケーなどのチームの1シーズンに密着する「ALL or NOTHING」では海外に行った経験もほぼ無ければ英語を主に使う生活もしたことが無い僕からすると驚くほど多種多様な「F●CK」に触れられることが一つの楽しみと化している。

不平不満がある時、憤っている時、鼓舞する時、褒める時、笑い合う時。どこにでも出てくるのが驚愕である。

ポケモンイーブイが三種類に進化するだけでも胸躍った子供が大人になってから更に多岐に渡る進化のバリエーションに度肝を抜かれた様なものである。因みに僕は草ポケモンばかり使いがちな子供だったので、何というか今の自分に通ずる感じもあって虚しい気持ちを抱く日もあるが、それは別の話。

喜怒哀楽に寄り添うソレの表情豊かさに勿論それを真似する様な生活文化ではないが驚くばかりである。

身近にないコミュニケーションに触れることは「そういうのもあるんだ」と想像、許容、理解にも繋がると思うので知れて良かったといつも感じる。

他方、ONE PIECEのサンジの「クソ〇〇」の多様さへの親しみも同じ意味合いで湧いてくるものなのだろうかと思うし、系統は違えど語尾に特徴があるキャラクターのソレに感じる魅力もまた遠からずなのかなと思うに、基本的に影薄めの人生で忍者、隠密みたいな称された事のある自分のキャラ立ちへの一発逆転の布石はやはりその辺りにあるのかとあれこれ企んでみるに至る。

キャラが薄い人と言われる人間は、幾つになっても世代、立場などで都度名を変えながら大学デビューの様な爆弾を抱えて生きているんである。大変だろう?

 

また凄い人たちと自分に共通点があると嬉しくなるのもドキュメントの良い点であり、僕の中で身近な凄い人たちと言えば春や夏の全国高校選手権大会を目指す高校球児である。

絶え間ない努力と競争の世界に高校生にして身を投じ、目標に向かって突き進んでいく彼らの日常を垣間見れるドキュメントがYoutubeで見ることが出来、元気を貰っている。

浦和学院の生徒が週一度のコンビニ通いを楽しみにしており、そこで生ハムやおつまみの美味しさに目覚めてしまった球児や、常葉菊川地域猫を愛でる選手たちの様子などを見ると自分と似たような事をしているなぁ=自分もこの人たちと同じ部分があるなんてやるじゃんという謎の公式が成り立ってしまい、失礼ながら親近感を抱くに至っている。

最近ではKing Gnuの常田氏がタクシーの長蛇の列に並んでいるというニュース(そんなプライベートをいちいち記事にして報じるなよとは思うが)などにもそんなことを感じたし、常田氏に関しては過去にtofubeats氏との対談で「追い焚き機能有りの風呂のある部屋に住むということがアーティストとして一つの通過点」みたいな話をしており、その対談が行われた氏の当時の制作部屋は押し入れの戸を外して机に改造されており、その辺りでも幼少期にそんなことをしていた自分と被るものがあり、その上で好きな曲も多いことからファンを公言するに至っている。

因みに押し入れの襖を外して机や見せる収納とする手段は一人暮らしの手狭な部屋を視覚的に広く見せる手段として割とポピュラーなのではと勝手に信じており、先日撮り溜めしていたタモリ倶楽部を片っ端から観ていた時にトリプルファイヤーの吉田氏も同じことをしていたので元々好きだった吉田氏もさらに好きになった次第である。僕らの家の押し入れにドラえもんは住めない。

 

これらのことから分かる様に、単純過ぎる人間にドキュメントを与えるというのはあらゆる点で親近感を湧かせるという意味で非常に有用であると同時に、染まりやすいという危険性を伴うとも言える。

用法容量を守り、自身のスタイルとしっかり照らし合わせる冷静さが求められるし、まぁフェイクニュースなんかに気をつけたいなと思う次第である。

 

またー。

新しいルームメイトが現代アートだった件。

山Pさんが英語でペンギンと会話するCMを初めて見た時、山Pさん相変わらず美しいな…と目を奪われているせいで尺の半分を過ぎるまで英語を話している事に気付かなかったので驚いた。

単純に普通に流れている日本人出演のCMが英語な訳ないという思い込みも含まれるし、アニメが割と細やかに動くのでそれを見て伝えたい事のイメージが掴めてしまっていたというのもあるんだろうけど、だとして、何を話しているかをもすっ飛ばしてしまう美はやっぱあるんだなとCMの意味を完全に無視した感心を抱いてしまい広告主の企業に対し申し訳ない気持ちになった。

 

それはそうと、ずっとバーバリーサコッシュくらいのサイズ感の斜め下げバッグが欲しくて、いつお店に実物を見に行こうと半年ほどタイミングを見計らっていた。

季節が移り変わり、ラインナップも入れ替わるというのにお店に行くという行為に妙に尻込みしてしまって、最悪オンラインショップで購入してもいいかと思っていた。

「服屋に着て行く服がない」の兄くらいの気負いっぷりで確保されていた余剰資金(投資とブランド品入手は余剰資金でやりなさいというのが祖母の教え、ではないけどそういうものだと勝手に自分で信じている)は最終的に2022年の夏休みの終わりに木彫りの熊へ姿を変えた。

 

何を言っているのか解りにくいと思うので順を追って説明すると、

信楽焼の狸や木彫りの熊などの民芸品をモチーフにした現代アートを発表されている中谷健一さんという方がいらして、2021年に催された個展の写真をTwitterで見かけたのがそもそものキッカケだった。

グリッチタヌキを筆頭に、民芸品が持つ丸みや素朴さをデジタルな歪みが際立たせる作品群の立体感や色彩に目を奪われて非常に興奮した。

いつか個展に行って実物を眺めてみたいなと思い続けていた所にまさかの作品の一部をネット販売されるという機会があり、思い切って購入してしまったのである。

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ありがとうバーバリー、お陰で躊躇いなく購入出来る資金がそこにあったよ。

また余剰資金できたら今度こそお店に行くからね。

数年前に買った濃紺の財布が可愛い上に丈夫過ぎて全く美品の域を出ず、ヘタリもしないので超愛用しているよ。

話が逸れてしまった。戻す。

購入した作品は厳密に言うと木彫りの熊をモチーフにした「テラゾークマジェイド」というタイトルのオブジェなのだけれど、アートの知識も乏しく、造形の素敵さ一点突破で突っ切ってしまった自分の語彙で説明するのが困難な為、人には「木彫りの熊の現代アートをお迎えしたんスよ」と説明しているんだけど、まぁそれでも伝わらない。

「何でコイツはブランドバック買うハズの資金で木彫りの熊を?」というリアクションをされるし、何となく木彫りの熊でイメージが固まり過ぎるのか「うちの実家にあったやつ貰ってきてあげようか?」と言ってもらえたりする。それはそれで並べて飾りたいので欲しいけど運ばせるのも申し訳ないので丁重にお断りした。

そんな状態の自分が作品を購入して良いのか迷いもしたけれど、青柳カヲルさんやさいあくななちゃんに恥ずかしがる前に行けと教わった(気がしている)事で無事に飛び込む事が出来たので、ちょっとは成長したなぁと思うし、今は青柳さんの絵の横に熊が飾られている。

民芸品の曲線美を鋭い角度で切断され、そこからカラフルなテラゾー仕上げの色彩が覗いており大変に良いリズム感の作品で気ままに角度を変えて眺めている。

それでもって、大事にしなきゃなと思いながら暮らしている。

個展にも行けるように仕事ちゃんと頑張るぞー。

 

またー。