性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

住人とのエンカウント率がレアポケモン級。

引っ越して丸2ヶ月が経ったものの、マンション内に人の気配がしないので綺麗な廃墟に越して来たのかなと時折不安になる。

管理人さんや清掃スタッフの方々にはお世話になっているものの、住人にはカウント出来ないので申し訳ないが除外させて貰うとして、住人、そう住人を殆ど見かけない。

1フロアに10世帯以上住んでいそうなのに、夕方以降の時間においては、エレベーターの前で鉢合わせた事も廊下ですれ違った事もない。朝も同様で休日の日中のみ稀に見かけるといった調子だ。

これより導かれる仮説は2つある。

1つは他の住人の多くがマンション管理会社が雇った住人のサクラのバイトである、という説だ。これで早朝もしくは夜に住人の気配がしない事の説明がつく。勤務時間が9:00〜18:00なのだ。僕は営業時間よりも早く家を出て、遅く帰ってくることが殆どなので営業中の姿を見ることが殆どないのだ。

彼らの仕事内容としては、廊下ですれ違う、ゴミ捨てに出る、公園で遊ぶなどが考えられる。子役まで導入する一大事業だけれども、その目的はと問われると本当に住んでいる数少ない人たちに「他にも住人がいる」という安心感を植え付ける為ではないかと思う。共益費がまさかそんな事に遣われているとは思いもよらなかった。これを最早廃れた向きもあるおもてなし(.feat.滝川クリステル)ととるか過剰サービスととるかは個人により評価はまちまちだろう。

僕の場合は営業時間にサービスを享受出来ないので判断もつかない状態にあり、受けないサービスに金を払っているという事になる為スポーツジムに月謝払ってるのに通っていないという人を笑えなくなる恐れがある。本当に困る。

 

もう1つの説は、マンション内で僕だけが周囲と全く異なった生活リズムで暮らしているという説だ。

これは単純に何か辛い。僕は残業となるとそこそこ帰りが遅いのだけれど、周囲は全く残業せずに帰る妄想の中にしかいないタイプの公務員もしくは開業医、または全員OLの可能性もある。全員Twitterでドラマの実況をしているしそこそこの割合で披露する予定もない恋ダンスを練習しているとしたら、それはそれは恐ろしいことだ。フォロワーにお隣さんがいるかも知れない。血も凍るという表現はこういう時に使うのかも知れない。

 こうなってくると自分の職業やライフスタイルを見直したい衝動に駆られる。無意味に転職サイトを検索して世の中に色んな仕事があることを眺めてしまう。この中で今の仕事くらいしっくり来る職業はあるんだろうか、少し切なく、そして虚しくもなりながら毎夜眠りにつくのがパターン化してしまいそうだ。

もしくは全員が夜型のネトゲ廃人もしくは丑三つ時に蠢く魑魅魍魎だったらどうしよう。前者なら夜食を差し入れ、後者なら悪魔くんのDVDボックスを全話見返して知識を深めることで交流を図りたい。何なら全員の夜食を作ることで生計を立てて暮らすというビジネスモデルで一山当てるというのもアリかも知れないし、魑魅魍魎の代わりに日用品の買い出しをして小遣い貰って暮らすというのも手だ。何にしても転職というルートになるのは何故なんだ。僕は穏やかに暮らしたいだけなのに。

 

などと思っていたら先日遂に同じフロアに住む住人とエレベーターに乗り合わせた。時刻は22時。仮説1の営業時間外なので正真正銘の住人に違いない(24時間営業である可能性は考慮しないものとする)

向こうも心なしか自分以外にも人なんか久しぶりに見たわという顔をしていた。めっちゃ気持ちが解る。挨拶をして別れる時、何となく振り返って見送った肩から掛けられた通勤カバンに乃木坂46の生駒ちゃんのキーホルダーが揺れていた。

もしかしたらこのマンション、アイドルオタクしか住んでないかも知れない。

 

またー。

Nの契約執行人

最近は「ねほりんぱほりん」を繰り返し観ている。NHKの番組で放送されている闇の深い赤裸々暴露番組で、例えば「ハイスペック婚」を果たしたゲスト及び果たそうと躍起になるゲストを豚の人形にし、司会者をモグラの人形にするという構成で顔出しNGをカバーして対談しているのだけれど、人形に置き換えている分だけ話の内容がエグくても笑っていいポイントに転化されている気がする。二次元だと人格が破綻しているキャラがすんなり面白くて推せる様になるのと同じ現象が起こっている。

対談を収録した後に人形劇を当てるという完全なる二度手間は僕たちが払った受信料の為せる技であると感心するし、強引な笑い声も視聴者をバカにしてるのかと思う頻度のテロップも無いソリッドさは実にNHKっぽい。

内容が全て具体的過ぎて、話されるエピソードすら適度に創作が入っていないと個人の特定は容易なのではないかと観ていてハラハラする。

偽装キラキラ女子、保育士、元国会議員秘書、ハイスペック婚の女。これだけしか観れていない(他にどんなタイトルが現在放送されているのかは知らない)のだけれど、保育士を除いてマジでその心配が凄まじく、ハイスペック婚に至ってはコレがバレたらこの人の人生どうなっちゃうんだと恐ろしい程の内容だった。

気に食わないという第一印象を抱かせるタイトルや前半から始まり、最終的にどうしてそういう発想に至ったかが理解出来て切なくなったり、幸せを願ってしまったりする。

まんまとNHKの思惑に乗せられている気はするものの、面白い番組だなと思う。

個人的には今の所「元国会議員秘書」と「ハイスペック婚」が滅茶苦茶面白い。オンデマンドでどうぞ。

ていうかNHKが未だに受信料云々で鬱陶しいのが凄い。多分来世紀でも同じことしてると思う。

僕はこの通り、田舎の老人ばりにちょっと時間があればNHKにようこそしてるので自分の受信料は何の文句も無く払っているけれど、観ないという人からも容赦無く巻き上げる光景はゲンナリする。自分が払った受信料の一部が観ない人からの取り立て人員の給与になっているかと思うと払うのも嫌になってくる。

非常時、災害時以外はスクランブル放送に出来る技術はどう考えてもあるハズなのにどうしてなんだろうか。そこを「ねほりんぱほりん」で放送して欲しい。「NHK契約執行人」とかで、どういう手段で日々契約させているのかとか、解約の方法とか、執行人(呼び方に悪意を感じる)がどんな生活を送っているか、その苦悩などを紹介してくれれば、おそらく番組の構成上「執行人も人間なんだな・・・」と切なくなりホロリとする訳ないだろうけどそれくらいやっても良いくらいなんじゃないですかね知らんけど。

 

 さて、何が折角なのか定かではないけれど文字数という響きが好きなので自分がNHKの契約を果たしたのはどんな馴れ初めだったろうか、と思い返す。

そもそも実家はBSに加入していたので(目的は不明。特に観ていた記憶がない)それと併せて受信料を払っていた。僕の中ではNHK教育が学校を休んだ日につけっぱなしにするチャンネルという位置付けだった。大人になってからも何故かその習性が抜けず、つけっぱなしにしてはその強烈な構成に「教育の名の下に好き放題しておる」という気付きを得て盛り上がるというのを繰り返していた。(ちなみに知育番組にサブカルの影響や拘りの強さを見出して盛り上がる人間は性格が暗いという持論を推している。)

実家を出て、独り暮らしをしてからもその習性は変わらなかったものの、受信料のことは完全に失念していた。

ある日、ボソボソとネチャネチャの深淵より声を発している漫画版GTOの教頭先生の様な男性がウチに尋ねてきた。彼が僕のNHKの契約執行人だった。

断れるものなのかと試してみようという好奇心もあり、払わずに済む事もあるのかなという下心もありでゴネてみたところ、会話のキャッチボールどころか会話のラリー初手でスパイク打ち込むが如く死んだ目のまま俯いて、紫色がついて視認出来そうな悲壮感を漂わせながら「困るんです・・・お願いします・・・」と言われてあまりの暗さに僕のせいでこの人は今日誰かに責め立てられたりするのかと怖くなり、申し訳なさからその場で契約した。

それが彼の武器だったのではと今では思うけれど、実際滅茶苦茶観てるんだから払わないとなとも思う為解約を試みようとは思わない。

ただ、NHKの契約執行人はもしかしてハンター×ハンターの念能力者の様に色々なタイプがいるのではないかという気にもなってしまい、1人目で契約してしまったことに若干の後悔も感じている。(まぁ絵に描いたヤクザみたいな人が来たら嫌なので良かったのだろうけれど)

あの人がまだ現役なのかは僕が契約執行人になるというルートでハンター×ハンター的な展開をみせない限り恐らく解らないだろうけど、彼が能力者でなかったのだとしたら、NHKの末端として働く彼らが毛嫌いされない様な仕組みをNHKの高給取りの皆さんには是非作り出して欲しい。

やっぱりスクランブル放送にして、ショッピングモールとかで加入キャンペーンとかやるのが一番楽しいと思うんだけどなー。(大阪ガスのガス展という頻繁に開催しているイベントが何か好きなのでそういうニュアンスを期待している)

皆様におかれましては契約しててもしてなくても個人的にはどっちでも良いんですが冨樫がハンター×ハンターを完結させるのが先か、僕がNHKの手先になるのが先かボンヤリと見守って貰えるとアレです。特に何もないです。

 

またー。

京都の積ん読行為は全て閻魔様がみてる。

京都に行った。

まずは六道珍皇寺へ。丁度秋の特別公開の期間で展示物も多かった模様。有難い。

しっかりと六道と地獄についての知識を得る。

六道について知ると、色々小難しく感じられた部分が割とすんなり理解出来て進研ゼミかと思った。

各地獄の解説を読んでみると、まあ大体の人が地獄を経由しそうなので堕ちたらとりあえず行列に並ぶ事から始まりそうな気がする。罪がそんなに重く無い人には優先レーンやファストパスが配布されそうだなと思いつつ、地獄で順番優遇されても地獄だし複雑な気分だった。

冥土通いの井戸と、黄泉がえりの井戸を見学。黄泉がえりの井戸は特別公開だったのだけれど、クリスマスだからか(んなワケない)電飾でライトアップされていてあぁ年末だな、クリスマス飾り買いに300円均一行こうかなと思ったし、黄泉がえって最初に視界に入ってくるのが賃貸マンションというのも冷静に我に帰れそうで親切設計だな、など色々妄想捗った。

水で文字が浮かび上がるスパイ仕様の御神籤を引いた。

欲張って水に浸し過ぎて逆に読めなくなってしまい、とりあえず大吉だったのだけは確認したけれど、欲に滅ぼされて地獄に堕ちる恐ろしさをつい1分前まで勉強していたハズなのにまったく身に付いていない自分は間違いなく地獄に堕ちるなと思い、その時は宜しくお願い致しますと閻魔様にお賽銭投入してお願いしておいた。

あと閻魔様のクリアファイルを買った。閻魔様もクリアファイルにされるとは思ってなかったろうけど、地味なお守りより余程効き目がありそうな迫力溢れる逸品だった。

まあ確かに地獄ってイメージが若干アレだし、好感度アップに組織の長が駆り出されるのも最近では珍しいことでは無い。怠惰な自分への戒めとして買ってはみたものの、閻魔様も生きてる人間の面倒まで300円で負わされるとは考えていなかったろうに何だか申し訳ない。

それにしても徒歩圏内に閻魔様がいらして、いつでも会いに行けると思うとこの辺りの住人たちは悪いことをしなさそうだし、地獄に落ちるぞ!が妙な説得力を帯びそうだ。

などと、見事に何も学習出来ていない気がするが、地に足つけた生活を心掛けようとは思った。他にも沢山考えたりしたけど、まーそのへんはちゃんと人生に活かそうと思った。ここには書く必要がない。

その近所に清水寺があったのでついでに立ち寄る。大阪に住んでいるのに一度も行ったことが無かった。何ならこち亀両さんの少年時代編で行っていたのを読んだっきり10年程目にしていない気さえするので、折角だし行った。

綺麗だったし、あとチベットのお坊さん(公式か非公式かは不明)がデッキシューズで歩いてて何故もう少し歩きやすい靴をチョイスしなかったんだろうと思ってしまった。確かにデッキシューズ可愛いけどさ。

清水寺はマジ半端ねぇ観光地って感じだった。

そこから「地獄って現世にあるんだ!」でお馴染み京都の市バスに乗りたく無い一心で京都伊勢丹まで歩く。スゲー歩く。天気がよかった。

京都伊勢丹ではびじゅチューンの井上涼さんのサイン会を遠巻きに見ながらグッズを買い漁る。整理券は行くことを決めた段階でもう枯れ果てており、とりあえず生であの朗らかな姿を見て、声を聴けたので満足した。

富士御神火文黒黄羅紗陣羽織のクリアファイルと貴婦人でごめユニコーンのキーホルダー、そして湯呑みを買った。奥さんは風神雷神図屏風デートのキーホルダーを買っていた。ルソー5のシールを貰い、「NHKの人が持ってきた」と店員さんが言っていたザパーンドプーンLOVEの3回スタンプを重ねて押すと絵になるやつ(簡易版画浮世絵的な面白さを味わえるやつ)をさせて貰って会場を後にした。タイトルからしてスゲー好きそうだなと我ながら思う。

ランチはたまたま見かけた店で240gのハンバーグを食べた。ハンバーグは150gくらいで良いと学んだ。また欲張ってしまった。本当に何の反省もしていないと改めて思った。

東本願寺にいたよく分からないゆるキャラと写真を撮った。色々学んだハズなのにダブルピースで写真に収まる僕。

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勤行集という本をスタッフの姉ちゃんが「赤本くん!赤本くん!」と呼んでおり、インドの神様ばりに日本もそこそこ親しみが湧きそうだなとボンヤリ思った。赤本くんって呼んでも良いんだ。

以上、るろうに旅心〜京都風水編〜おしまい。

 

 

自分の知的好奇心が安いのではないかと薄々感じているものの直視出来ずにいる。
興味深い書籍を店頭やネットで見かけた際に「ほーん(本に対する感嘆詞)興味深いやんけ、で、幾らなん???」と価格を確認するのだけれど、それが高いと「さよなら、また今度ね(笑)」とバンド名or大森靖子と来来来チームの曲名を呟きながら本棚に戻してそれ以降出会ったことすら忘れ去っている。
口にするのは「さよなら、また今度ね(笑)」なのだけど脳内ではSURFACEの「それじゃあバイバイ」が鳴っている。口では嘘をつけても心は正直という現象かも知れない。
値段にすると書籍であれば1冊2000〜2500円となると手が出なくなる。中々現金な知的好奇心だ。いやーいい仕事してますねー!と知ったかしながら後ずさる31歳は滑稽。
空腹には本当の空腹と嘘の空腹がある、というネット記事からして、恐らく知的好奇心にも本当の知的好奇心と嘘の知的好奇心があるのではないかと思っている。
2500円が出せないのはただのケチなのではないかと思うのだけれど、図書館の蔵書を検索するなどもしない為、そこまでして得たいものではなかったんだろう=嘘の知的好奇心という判定を下している。
そもそも読書を時間潰しとして活用しているタイプなので何か読みたいを知的好奇心の反応と勘違いしているのかも知れない。週に1〜2冊本を読む生活が何年も続いているものの、全く身に付いていないのはこの片付かない文章からして明らか。ちなみにこの自虐とも取れる文体は富士見ファンタジア文庫のあとがきを読むことで備わったもので、それはもう20年程昔の技能である。進歩の無さが凄い。野生動物だったら絶滅してる。いいないいなにんげんっていいな。
とは言え、嘘の知的好奇心だろうが買った本を売るというフェーズに移行すると何割かは手元に残り、それを再読すると答え合わせ的に満たされるし知識として残る。(もちろん初見からガツンと頭に入ってくる本も沢山あるけど)
一番良いのは全て読んだだけ吸収しようという姿勢を身につけることだと思うのでそこを目指したい。
ただ、こんな体たらくで言うのがそもそもダサイのではあるが、積ん読を公言してマジで読まないでいる人はダサイ。読めよ。
これは買った本は読むだけは辛うじて実行出来ている僕なりの美学だ。そして何だかんだ言いながらダサ仲間が欲しいのだ。仲良くしようぜ。ダサイあなたに乾杯。

 

またー。

藤井フミヤとサンドイッチ

 藤井フミヤがスゲー勢いで走ってくる夢をみた。

関係者だろうか、止めて!とその遥か後方で叫ぶ女性がおり、呼び止めようにも面識が無いので何て呼んで良いのか解らずにモタモタしていたら、藤井フミヤはあっという間に僕の目の前を通り過ぎていった。

僕は意を決して「フミヤさん!!」と呼び掛けながら走って後を追いかけたものの、追いつく事なく見失い、家に帰ってハム太郎レトルトカレーを食パンに乗せて食べた。

緊急時だと言うのに親しみを込めて下の名前で呼ぶとは中々図太い神経をしている。

ていうか何だったんだろう。


年末調整の書類の欄の狭さに憤って良いのかどうか、毎年迷っている。
どうにも保険の種類を記する欄が物凄く狭い。
こんな弱音を吐いては米にお経書く人に笑われてしまいそうではあるが、米にお経を書く人なんて「世界まる見え」でしか観た事が無いしその番組すらもう観ておらず今も放送されているかも知らないので気にしない事にして弱音を吐く。
めっちゃ狭いんですけど!!
とは言え、憤るかどうか迷っているのは「省略して書いて良いか調べていないから」である。
自分が調べていないだけで、バッツン省略しても問題が無いパターンの場合、憤った分だけ無知っぷりが強烈になってしまう。
それでも1年に1度、たったこれだけの為にそれを調べるのも億劫で、結局毎年潰れかけの文字ではみ出しながら書いている。
誰か教えてくれると有り難いのだけれど、確実に来年の今頃には忘れているのでそれでも構わないと言う方は奮って御教示下さい。


マウンテンバイク型の電動自転車に対して違和感が拭えない。
僕が検問してたら確実に止める。ちょっと待って。おかしくない?
マウンテンバイクって変速がついてたりして坂もバリバリ登れるゴリラ御用達の自転車じゃないんですか?
それに体力に自信がない人を救う名目で生み出された電動アシスト機能を搭載する意味あるんですか?
マウンテンバイクの運動強度を電動アシストで偽装するとか、これが自転車レースやミニ四駆の大会なら確実に車検でアウトな訳で、どういう層がこのマウンテンバイク型の電動自転車を買うんだろうかと悶々としていた。
そしたら後輩が買ったんですよ、マウンテンバイク型の電動自転車。
先輩としてやっぱり一言物申してやらなければいけないと思って、「いや、おかしいだろ。マウンテンバイクである意味は何だよ」と言ってやったんですよ。
後輩は、面倒な先輩だなと言う顔をしながら「面倒な先輩ですね」と声に出す親切設計で前置きして僕を確実に傷つけてから教えてくれましたね。
お洒落だからですよ、と。
お洒落は我慢と言う価値観が完全に崩れ去った瞬間だったし、お洒落で坂も楽に上れるなら僕も買おうかと思った。
マウンテンバイクである意味?お洒落だからですよ!

 

休日出勤は私服可の職場なので「休日出勤とかマジでクソ」という大前提はさておき私服で出社するのだけれど、白いシャツの中にキャラもののTシャツを着ていったら滅茶苦茶綺麗に透けてて恥ずかしかった。

電車で向かいにいたおばちゃんかあまりに僕を見るので家族の仇に似ているのか死ぬ程好みなのかどっちでも良いけど絡まれたくないなと思ってドキドキしていたんだけど、この透けてるキャラクターを読み取ろうと必死だったのかも知れない。罪作りな男。

独り暮らししていた頃、あまりに忙しくて肌着の洗濯が出来ず、白いTシャツなら良いとシャツの中に着ていったら蓄光プリントで夜に思い切り光って凄く恥ずかしかった事を思い出した。

「うちの息子も光るパジャマ着てるわ」と上司に言われてこっちはお洒落なんだよと思ったけど光るパジャマも子供的には勝負下着の様なものだろうし、要するに大差なかったのだから親近感でも抱けばよかったなぁ、と何年か越しに今日思った。

上司の息子も小学校の高学年になり、そろそろBad Boyでも着てるんじゃなかろうか。ディーゼルの子供服とか着てたら敬語で接してしまうかも知れない。

 

メルヘンというサンドイッチ屋さんにハマっている。揚げ物サクサクだしフルーツのカットも贅沢過ぎるくらい大きいし、コンビニで300円とか出してサンドイッチ買うならここで400円出す方が美味いしデカいしコスパも良いし可愛い。

ていうかコスパって何なんですかね。連呼してる人が勧める店が当たりだった事が無さ過ぎて別の意味での判定基準と化している。決して自分をグルメだとは思わないけど、好みが近いかどうかにおいて中々良い物差しになる、という話。

それにしてもメルヘンのサンドイッチ美味しい。保冷剤に至るまで可愛いし、しかもこの保冷剤がある意味二度おいしい。足繁く通いたい。

大森靖子さんのオススメはエビカツとシャインマスカット。僕のオススメはマンゴーだ。皆で食べよう!

 

またー。

働くこと、雨宮さんのこと。

働くって何だろうとここ数年は沢山考えてきた。超仕事術みたいな方向じゃなくて、何で働いてんだろみたいな類のことを考えてきた。かと言って別に働きたくないでござる!という訳でもなく。モチベーションとかそう言うやつだ。

最初は答えを探して本なんかを読んでみたけど、製本されて表紙が付いてISBNコードまでついて店頭に並ぶのは良くも悪くも立場的にも志的にも行動力的にも凄い人だらけで、そこにはただ凄いことが書かれていて答えなんてなくて、普通の人にとって働くって何なんだろうとボンヤリ考えていた。

まぁそもそも答えが欲しいとか言う時点で邪な訳で、ヒントにして自分で考えないと何の意味もない、そう頭で解っているのにどうしても答えを欲してしまう。啓発本を消化出来ずに餌食になるタイプの人間に対する感情は同族嫌悪だったのだとようやく思い知る。よう俺。俺だよ俺。

 社会人を10年、それも同じ会社に勤め続けていても「楽しく働く」みたいな事を言われる度に全然意味が解らなくて苦しい。何語だよそれ。やり甲斐を就活生に聞かれても「人それぞれあるから」と笑って誤魔化すしかない。

それと同じくらい仕事をサボったり、上司や同僚の文句を言いながら生活している人の感覚も上手く理解出来ない。そこまで思わせる仕打ちを幸運にも受けたことがないからこんな事が言えるのかも知れないけれど、あまり共感出来ない。

どっちつかずの人間だ。一体そういう人がどれくらいいるのか考えたこともないけれど、少なくは無いのではないかと思う。

僕の場合は、ただ「やりたい仕事かどうかは解らないけど性格的に向いている気がするし、生活する為のお金を稼ぐ」為に働いているだけだ。

仕事で自己実現出来る人は素晴らしいと思うし、沢山努力もされたのだろうと思いながら本やインタビューを読み眩しく思うけれど、かと言って自分が怠惰だとは思わない。

黙々と仕事を納め、淡々と報酬を貰う事で社会的地位と安定を手に入れた。誰かに必要とされ、誰かを必要とすることが根付いた職場に恵まれ、拘束時間は長いけれど対人関係のストレスは皆無でのうのうと生活出来ている。

先の本を執筆された方々と何より違うのが、特別な能力も習得せずにのうのうと生活出来ているという事と、そのペラさで土台が揺らいだ時に生きていけるのかという不安を抱いているのに、現状滞りなく生活出来ている故に本腰になれない、常に後回しになってしまう事への後ろめたさではないかと思う。意思が弱いで片付けているという自覚があったのだと思う。

頑張っていないことは無いんだけど、頑張り切れていないという気持ちではいる。

それがどことなく、誰に言われるでもなく引け目になっていて、働くという事の意味を悶々と考えるに至らせる。

でも、本当はよく解っていた。難しい問題じゃなくて、働くという事に対して単純に自信が無かったのだ。

 

その中で出会ったのが雨宮まみさんだった。

AVライターという肩書以外での活動が目立つ様になってから雨宮さんのことをネット上のコラムで知り、色々読んできた。雨宮さんは女性の恋愛相談や、自らのこじらせた過去・現在を引き合いにほんの少し先の未来を見据えた文章を沢山書かれており、気付けばそれを昼休みに何度も読み返していた。会社のパソコンのブラウザのお気に入り欄には「雨宮さん」というフォルダがあって、いくつかのリンクが入っている。

具体的なエピソードは純度及び精度が著しく落ちてしまう為、又聞きの様に話すのは控えるけれど、僕にとって雨宮さんはいつも強過ぎるくらい率直な意見と、それ以上に相手の良い所を見出す、時には生み出して(それも嘘っぽい大袈裟なものではなく、ストンと納得出来る様なポイントを生み出して)肯定してくれる人だった。

すっげースポットライトの当て方だな!と思った。闇に紛れさせても良い部分にもガッと当てる。優しいなと思った。

それを読み、我ながら図々しいなと思いながら、雨宮さんの文章を読むたびに視点の転換というか、自分の性格や仕事に対する意識みたいなものを別の言葉で、別の見方で捉えなおして考えてみる癖がついた。

こんだけ長く勤め続けられるのは自分でも向いていると思っているからではないか。

やたら些細な事で相談の電話が掛かってくるのは都合が良い相手と思われているのではなく、能力を宛にされているからではないか。

特に成果物について問題になったことがないのはそれだけのクオリティーを示せているからではないか。

恋愛について多くを書かれている雨宮さんの文章を全部仕事に投影していくのは中々ズレている気もしたのだけれど(あとは飲み会でアラサー既婚者に寄せられがちな恋愛相談に対して雨宮さんのコラムを教える事で片付けるという活用もさせて頂いた)、その結果、良い意味でプライドが高くなれたというか、無意味な謙遜をしなくなった。自分は仕事が出来る。評価もされている。それでお金を稼いでいる。

自分も疲れないし、相手にも無駄にエネルギーを使わせずに済む様になった気がする。バーンと出し過ぎてちょっと恥ずかしい事もあるにはあったけれど、それはそれ。引っ込み思案は図々しいくらいで良い。

働くということが何なのか、志の方面では相変わらず何にも解らないのだけれど、少なくとも「生活する為に働いている」ことへの後ろめたさは随分と薄らいだ。

お金を稼いで、週末に、時には平日にも自分為に楽しいことをする。それで良いじゃん、そう思える様になった。

 

そして今週、何となく気が向いて読み返していた雨宮さんのコラムで服をたくさん買うというものがあり、ふと自分だけが欲しいものを思い切って買ったことが無いのではないかと思った。

結婚もした、家も買った。

もちろん必要だと思ったからだし、そうしたいと思ったからだけれど、これは奥さんとの二人共通の「どうしても欲しかったもの」だ。そう考えると何か高い買い物をしたくなった。

スーツみたいに必要に駆られた高額商品ではなくて、単純に自分が欲しいからと言う理由で自分だけの為に買い物がしたくなった。

そんな気になって、そんな内容のツイートをした翌日、雨宮さんが亡くなったとニュースで知った。

詮索もしたくないし、美化もしたくないけれど、色んなことを教えてくれた先輩が突然いなくなってしまって、こんな時一番相談したい人がいないという感覚になってしまった。

ただ悲しかった。お礼も言えないままで終わってしまった、みたいな親密さは無くて、単純に世に出た彼女の出版物で読みたいと思いながらも購入していなかったものが何冊もあった事が悔しかった。

今更買ったって雨宮さんの生活の一部にはならないんだという気持ちが強くて切なくなった。あんなにお世話になったのに、殆どお返し出来なかったんだという自分への腹立たしさだった。仕事について活用させて貰っていたので、どうしてもお金の方に気が向いてしまうのが面白くてちょっと笑ってしまった。

 

その翌日、予定通り自分が欲しい、着たいと思った服を値札も見ずに買った。私服用のジャケットとパンツのセットアップ。8万円だった。

気持ちが良かった。スカッとした。ドキドキした。働いてて本当に良かったって思った。

わざわざATMでおろして、会計の時に現金で払った。自分で一万円札を8枚数えながら、なんだ全然買えるじゃん、スッゲー似合うし、僕はこれまでちゃんと頑張ってきたんだな、という圧倒的な肯定を得て指が震えた。

またこんな日を過ごす為に仕事を頑張ろうと思ったし、その為に働いたら良いと素直に思った。

ただ、もっといろんな事を書いて欲しかったなと思いながら、それでも世に本を出してくれた雨宮さんと出版社への感謝と、単純にまだまだお世話になる気も満々な為、持っていない雨宮さんの本をアマゾンでカゴにブチ込み、これを書いている。

 

突然これを読んだ人からすれば、どこをどう繋いでいいのか解らない支離滅裂な文章だと思うのだけれど、当の本人としては滅茶苦茶に筋が通っているつもりなので、あぁハズレ引いたなくらいに思って貰ったら良いと思う。

雨宮さん、ありがとうございました。これからも勝手にお世話になります。

 

またー。

丸3年ブログが続いたのを祝うだけの日記。

このブログが丸3年続いているらしい。

自分では意識していないけど、はてなブログの運営が自動で記念日としてメールで知らせてくれる。律儀なのか何なのか、考えている事がいまいち解らない。

とりあえず単純計算で小数点の誤差があるものの1年に140件くらいの記事を書いているらしい。これは3日に1件くらいのペースだ。中々凄い。

そしてそれはあくまで公開されてる記事数でカウントしているので、ガバガバの僕のチェックにすら引っ掛かったあまりに残念なエントリーは数に入っていない。これがあと50件くらい上積みされる。ちょっと書き過ぎじゃないかと言う気もしてくる。

加えて、このブログは1記事当たり2000文字が最低ラインなっており、3000文字、場合によっては4000文字に到達することも頻繁にある。完全に書き過ぎだと思うしちょっと退いてる。

最後に、何よりコレという拘りも、知識も披露されていない。こんなに書いてんのに役に立つ記事が本当に見当たらないのだ。何を原動力にどこを目指して書いているのか自分でも解らない。もう単純に怖い。

そこで今回は3周年を記念して、この公開されている約440件の記事に全て目を通し、このブログに何が書いてあったかをいくらか記事をピックアップしながらお伝えしたい。

苦行としてはかなり優秀だろうけれど、それを人にも味合わせようという魂胆が丸見えになっているので余程暇な方以外は、今日のところはここでお別れした方がお互いの為だ。おやすみなさい。良い夢みてね。

読み進めてみようというアナタ、行ける所までご一緒しましょう。

ちなみにどのリンクを踏んでも文字数が多いのでもう踏まなくていいと思う。

 

<1.そもそもの開設理由>

完全に忘れていたのだけれど、1回目の記事にバッチリ書いてあった。

要約すると、「DMでTwitter語りが長いからブログ書けと文句を言われた」というのがキッカケだった。文句言った奴は最早Twitter上に存在していない様なので、どちらかが辞めるまでを勝負とすれば奴は死んだ訳で、つまり僕の完全勝利という事になる。ザマーミロ。

ただ、Twitterにしろブログにしろ承認欲求の道頓堀みたいなものなので、むしろその界隈からの死は世間的には卒業であり、そう考えると勝敗は180度入れ替わる。

まあそう考えると余りに辛いし、大体その目的も忘れて書き続けていたんだからもう関係ない話である。誰だよ開設理由思い出そうとした奴は。クソが。

ちなみに記念すべき第1回には、B'zファンに会ったことないみたいな事が書いてあります。

マイナスからのスタート。 - 性格の悪そうなBLOG

 

<2. よく解らない試み>

何かちょいちょい特集記事的にロクでもない事を書いているのでいくつか紹介したい。

『白米偏愛』

散々色々食べさせてきたろうに親ならぶん殴った挙句に泣く。

白米サミット。 - 性格の悪そうなBLOG

思いついた事を思いついた順に書く。 - 性格の悪そうなBLOG

個人的にお勧めしたいご飯の食べ方について。 - 性格の悪そうなBLOG

 

Base Ball Bearについて』

こんなに書く???ってくらい書いている。

当初はその月によく聴いたCDの雑感をまとめたりしていたのだけれど、あっという間にやめてしまっていたし、どれも別に特筆すべき内容が無いので(他のもまあ無いっちゃ無いんだけど)特別思い入れが強いアーティストについてはバンドBの様にあれこれ書いている様子だ。こんなの書いたっけ?みたいな記事もチラホラある。如何に考えず、手癖で長文を書いているかがわかるんだけど手癖で長文って日本語ゾッとする。話が長い校長みたいなモンかね。

バンドBについて。 - 性格の悪そうなBLOG

BASE BALL BEARのアルバムを聴き返したのでレビューを書いた。(前編) - 性格の悪そうなBLOG 

BASE BALL BEARの歌詞の傾向を探ってみた。 - 性格の悪そうなBLOG

 

西川貴教云々』

これも色々。思春期の残り滓に直火で熱を通している感覚になる。

貴教が起こした革命についての思い出話。 - 性格の悪そうなBLOG

トライ!夏の自由研究、T.M.Revolutionが歌う僕と君の恋愛考察 - 性格の悪そうなBLOG

 

大森靖子さん関連』

1番マトモな文体。緊張するタイプの好きを拗らせているからかも知れない。

散々書いているオワリカラとかQLIPなんかアレだもんな。かろうじて文字って感じだもんな。

大森靖子&THEピンクトカレフ 2013.12.31@南池袋ミュージックオルグ+2014.1.1@新宿ロフトを観てきました。 - 性格の悪そうなBLOG

2014.10.03 大森靖子(& THEピンクトカレフ)を観てきました。(@東京キネマ倶楽部) - 性格の悪そうなBLOG

大森靖子さんの「洗脳」で何か思った事を詰め込んでみたやつ。 - 性格の悪そうなBLOG

2015.04.16 大森靖子さんを観てきました(@梅田AKASO) - 性格の悪そうなBLOG 

大森靖子さんの「愛してる.com」を聴いて何故か思い出された事。 - 性格の悪そうなBLOG 

 

ムーミン

全裸で躍動する繊細なデブについても何度か書いている。この一文の様に何故かムーミンについて書くと普段より攻撃的な言動になる不思議。北欧イエー!

ムーミンのお勧めタイトル書いてみた。 - 性格の悪そうなBLOG

思いついた事を思いついた順に書く。 - 性格の悪そうなBLOG

 

 <3.ただの日記>

このブログの9割9分はコレで構成されている。

説明不要の無意味の極みなので淡々と。

着回し的なのを書きたい。 - 性格の悪そうなBLOG

半年に一度、どの動画の服装が一番ダサいかを確認する程好きなバンドASHを雑に紹介します。 - 性格の悪そうなBLOG

ピーチ航空の対応がキュートだった。 - 性格の悪そうなBLOG

GARNET CROWの前期について色々書きました。 - 性格の悪そうなBLOG

お好み焼き激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム。 - 性格の悪そうなBLOG

BUMP OF CHICKENのオーイェーアハーンを数えてみた。(調査編) - 性格の悪そうなBLOG

有給休暇と脚立を巡る冒険 - 性格の悪そうなBLOG

2016年に「ホイッスル!」を読み返した雑感日記。 - 性格の悪そうなBLOG

氷川きよしのレコ発リリイベを観にいった雑感。 - 性格の悪そうなBLOG

マンション買えるかな日記(01) - 性格の悪そうなBLOG

ちなみにまさかタグにまでして使うとは思っていなかったタイトルらしからぬタイトル「思いついた事を思いついた順に書く」のプロトタイプは2014年の5月に書かれていた。

驚くべき事にこれ全て中身が違いますからね。チョコエッグかよ。

思いついた事を思いついた順に書く。 - 性格の悪そうなBLOG

思いついた事を思いついた順に書く。 - 性格の悪そうなBLOG

思いついた事を思いついた順に書く。 - 性格の悪そうなBLOG

思いついた事を思いついた順に書く。 - 性格の悪そうなBLOG

思いついた事を思いついた順に書く。 - 性格の悪そうなBLOG

思いついた事を思いついた順に書く。 - 性格の悪そうなBLOG

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思いついた事を思いついた順に書く。 - 性格の悪そうなBLOG

思いついた事を思いついた順に書く。 - 性格の悪そうなBLOG

思いついた事を思いついた順に書く。 - 性格の悪そうなBLOG

思いついた事を思いついた順に書く。 - 性格の悪そうなBLOG

思いついた事を思いついた順に書く。 - 性格の悪そうなBLOG

こんだけ同じタイトルが並ぶと目がチカチカする。撹乱機能付きエントリー。

読了!という言葉が以上にダサく見える病気なんだけど、突然それと全く同じ要領で読書感想ブログを書いたり意味不明なプレイリストを公開したりと中々にこそばゆい事に手を出してはあっさり辞めてを繰り返している。

しかしブログ自体よく続いたなと思う。

その間に2回ライブハウスで企画をした。よくやったなーと(実際によくやってくれたのは出演者だけど)興味あるを興味のままで終わらせなかったのはちょっと誇らしい。

などと色々感じる有意義な時間になったのだけれど、それでも半日以上に渡り自分の書いた文章(しかも行き先が定まっていない)を読み続けて物凄く疲れた。何してるんだろう、何をしてきたんだろう。

3年後、今日より先の記事をまた振り返る自分がいれば少しは楽にしてあげたいなと思いながら。

 

またー。

 

生まれて初めて競馬に行った話。

生まれて初めて競馬場に行った。

ギャンブルを禁じられて育った訳でもなかったけれど、周りの友人や大人が誰も嗜んでいなかった為に何となく賭け事をせずに大人になってしまい、結局この歳まで宝くじ以外のギャンブルに身を投じた事がなかった。もしかして名家の生まれで上流の生活に身を置いていたのかと振り返ってみると総中流を先取りした様な環境だった。

それにしても、まさかこの世に徹夜で麻雀をしない大学生や友達と連れ立ってパチンコに行かない大学生が実在するとは思わなかった。我ながら少し勿体無い気もする。

元を辿ればゲームセンターでもゲームをしないでボンヤリと人のプレイだったりデモを眺めている子供だった。やりたいとか上手くなりたいとか一切思わず、上手い人がやってるのを観るのが好きだった。と言うか、食べ物や購入した商品として手元に残らないものに子供の頃からお金を投じてこなかったのが影響しているのではないかと思う。基本的に食い意地がとんでもない子供だった。親にはあらゆる場面で「ちゃんと食べさせてるでしょ!!」と叱られてくる意地汚さだった。確かにしっかり過ぎる程に食べさせて貰っていたのに不思議なものだった。何由来の食い意地だったんだろう。未だに謎だ。

 

そんな自分が競馬へ行くキッカケとなった些細な出来事がある。前に住んでいた地域で行きつけだった居酒屋さんで競馬好きのお爺さんに勧められて興味が湧いたのだ。それでも中々重い腰は上がらず、友達を巻き込むことでようやく行く運びとなった。

 

行くことが決まっても一向にモチベーションの上げ方が解らず、苦肉の策としてブックオフみどりのマキバオーを買いに行ったら1〜3巻までしか売っておらず、とりあえずソレを購入した。マキバオーは連載当時に途中まで集めていたのだけれど親分がアレした(伏せ方が下手くそ)辺りで辛くて読むのをやめた。だからどんなフィナーレを迎えたのか知らない。カスケード強過ぎな。

ついでに競馬新聞を買ったら470円とかして滅茶苦茶高かった。紙質は綺麗だし丈夫だったし、データが尋常じゃなく細かくて、競馬新聞をサラっと読めるお爺さんがスマホの使い方や株や為替の読み方が解らないのは正直どことなく納得いかなかった。お前ら競馬以外でも本気出せよ。高度かつ圧倒的な情報量だったし、あまりに色々書いてあるので逆に何も考えられなくなり、結局語呂合わせで馬券を買う事にした。470円が華麗にドブに捨てられた瞬間だった。

 

今回遊びに行った競馬場は京都の淀競馬場で、駅も綺麗だしそこから巨大な連絡通路が直結となっていて、公園も綺麗だし女性客や若者を取り込もうと講習会やイベントも充実しておりテーマパークの様だった。

パドックで馬を見ると、どの馬も引き締まった身体をしており、気品が漂っており自分よりも運動能力及び知能指数が高い生き物に思え見惚れてしまった。

こんな綺麗な生き物が滅茶苦茶なスピードで駆けるなんてマジかよと思ったし、更にそれの着順を当ててお金が貰えるなんてちょっと意味が解らないというのが率直な感想だった。

友人に教わりマークシート状の購入券を塗りつぶし、機械に入れて馬券を買ってレースを観た。

初めて生で観たレースは、馬が余りに速く、とんでもない迫力で駆け抜けるので自分が買った馬券の番号さえ忘れて観てしまったのだけれど、テンションが滅茶苦茶アガッてしまい、とても興奮した。最後のストレートでの客席の盛り上がりも地響きの様でそれもまた迫力があった。

2度目のレースで買った馬券が単勝で当たり、馬券を機械に通すと買った時より簡単にお金が返ってきた。100円を賭けて260円を手に入れた。

お金が貰えた事よりも、当たった事が嬉しかった。こんなに爽やかなモンかと腑に落ちなかったけど、勝てないレースを重ねるに連れて「あの時1000円賭けてたら2600円になってたのにな」という気持ちが育ち、あぁ、これか、これがギャンブルに堕ちるという奴かとゾッとした。

100円賭けて楽しくやってるくらいが丁度良いと言い聞かせて最後まで100円で通したら、最後のレースで買った三連複があと1枠当てたら100円が2万円以上に化ける所だった。要するにハズレたんだけど、100円でもそんな可能性があるんだから自分は100円でチマチマ遊べば良いのだと納得いった。

競馬場は前方がスタンディングエリアで後方がベンチエリア、芝生のシートエリアもあり更にお金を払えば個室もある。パドックで馬を眺めた人たちが30分おきに開催されるレースに合わせて大移動する様はロックフェスの様だった。あの馬が良い、あの騎手なら勝てるなどレース前から盛り上がって、レースは更にヒートアップする。完全に仕組みとしてはバンドマンカワイイbotのフェスの過ごし方と同じに思えた。なので案外異文化に戸惑うという事もなかった。

レースが芝とダートでほぼ交互に行われる事も2ステージ制の様に感じられたし、フードエリアのフェス飯と完全に一致するメニュー及び価格帯もそれに一役買った気がする。

 

元々、競馬場は治安が悪くアル中とヘビースモーカーがガラガラ声で怒鳴りあっているというイメージがあったのだけれど、別にそんな事は無かった。ひどい酔っ払いもいなかったし、喧嘩してる人もいなかったし、身なりはそこそこキチンとした人が多かったし、女性客も想像の10倍くらいいた。

競馬場に入るのに入場料が掛かると知らなかったんだけど、このたった200円の入場料が効いているのかも知れないと思った。花見の時期に入園料が掛かる万博公園に行くと、無料で花見が出来る他の公園よりもハイソな客層で平和に花見が楽しめるのだけれど、それと同じ事が起こっているのではないかと思った。

ただし、これは場外馬券場の雰囲気も体験しないと結論付け出来ないし、大体僕の想像していた世界が実在するかも解らない。

一方で予想通りというかそれ以上だったのは、馬券や新聞や書き損じのシートなどのゴミはそこら中に捨てるわ、椅子はガラガラかと思いきやどこも全部手荷物で場所取りしてるわ、そこら中の壁際の床に座り込んでテリトリー形成してるわという奔放さだった。

こんなに綺麗なスラム初めて見た!もしくは何この活気のある被災地って感じの衝撃だった。

ただ、無法という訳ではなく、かなり忠実に喫煙区域を守っている事や売店の列に普通に並んでいる事から「言われてない事はやらないだけ」が徹底されているのだと感じた。

治安が悪いと言うよりは、日常的に守っているモラルが通用しないというか無い事になっている世界だと思った。

 

それでもコースの芝が本当に美しく、どの馬も兎に角キラキラして美しかった。それだけで不思議とチャラになる魅力があった。

客層は馬券売り場でひたすら画面を凝視している人たちよりもレースの度に客席に出てきて観戦している人の方がギャンブルというよりエンターテイメントとして楽しんでいる側面が強い気がする。

実際、遊びに来たグループという感じの集団や馬をカメラで撮りたい集団なども沢山いたし、半ばピクニックと化している家族もいた。いや公園いけよ。

色んなものが入り混じり、不思議なエネルギーが轟々と渦巻く空間だったせいか、帰ったら疲れがドッと出て爆睡してしまった。刺激が強かった。

2年に1回くらいは遊びに行きたいなと思った。 

 

 またー。